東国シンラ。
潮風が漆黒の髪を踊らせ、磯の香りは鼻腔をくすぐる。
悪戯な紺碧の上を、貿易船は波を裂きながら進んでいた。
デッキから見下ろす海面は、白い飛沫を上げて船体にぶつかっては消えていく。
曇った空のせいでせっかくの船旅の魅力も半減してしまったけれど、少年の心にはまさにぴったりな天候であった。
底の見えない奈落の海は、この舞台下に一体どれほどの脅威や美貌を隠しているのだろう。
まるで、彼の人のようだ。
ぼんやりとただ流れ行く青を黒曜石に映し、脳裏に浮かべた白銀の術師へ思いを馳せる。
「馬鹿か…俺」
自嘲の言葉はどこか寂しげな色を含んで、失敗に終わった。
先日発ったばかりの砂の国から、衣織は厄介な塊に頭を悩ませていた。
雪のことを知りたいと願う、強烈な欲求である。
何も知らされていないと自覚してしまえば、その不吉な感情が心に根付くのは素早く、日に日に暗雲に似た花は成長しているように感じる。
真実を言えば、少年は自分の内側に渦巻く存在を、持て余していた。
どうしていいのか分からない。
こんなにも自分が不安定になるだなんて、信じられなかった。
雪のことを何も知らないだけで、己の存在が危うくなりそうな。
そんな錯覚に陥る。
誰かのことで思考を占拠されたのは、初めてだった。
「俺……マジでどうしちゃったんだよ……」
くしゃりと髪に手を差し込むと、衣織は重苦しい溜め息を吐いた。
早くどうにかしなければ、自分がおかしくなってしまう。
けれど少年にはまだ、己の抱く感情の名前すら、判然としないのだった。
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