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けれど、何も知らない自分は。
今、自分だけが何もしらないこの世界は。
なぜ、お前がいるのだと、少年の華奢な体に無言の非難を浴びせて来るのだ。
だから、あの絶対の輝きが欲しかったのに。
圧倒的な双眸に映し出してもらえれば、自分がここに存在することを許してもらえる気がした。
衣織はきつく拳を握り締めた。
背後の様子に気付かない雪は、懐から葵色の袋を取り出すと、小さな黒水晶を一つ手にした。
その様子に、少年ははっと我に返った。
この映像には覚えがある。
そうだ。
確かあれは、雪の深い出会いの地。
「なんだ……」
囁きはなぜか木霊しなかった。
彼の目的はこれだったのか。
少年は知っている術師の行動に、静かに息をついた。
よかった、自分は次に何が起こるかも知っている。
ここに居てもいいのだ。
――違うだろ
心の声は、すぐさま自身によって否定された。
ギシリっと心臓が鈍く軋んだ。
少年の思いをよそに、雪の澄んだ声が朗々と流れ出したのは、次の瞬間。
「花の流れの同胞よ 汝が背負いし夏の地に」
術師は黒水晶を高く放り投げた。
空中で動きを止める小さな輝き。
知っている、言葉。
知っている、儀式。
なら、ここにいる自分は知っている。
――違うだろ
「贖罪の記憶、焔の言葉、紡がれる告解と共に」
鋭い光が洪水のように溢れた後には、石造りの床に巨大化した黒水晶が突き立っていた。
――違う
明確な否定。
糾弾の台詞。
目を背けていると責め立てる、己の言葉。
衣織の唇が、薄い笑みを刻んだ。
染み入る雪の声が、最後の一句を口にする。
「花の御許に眠れ」
厚く砂埃の積もった床に、黒い塊は飲み込まれた。
あの時と同じように、波紋を描きながら。
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