雪山にご用心。




純白の世界に、彼はいた。

身を切るような寒さは、この土地に住むおかげで慣れている。

頬を打つ吹雪も。

足元に積もった厚い絨毯も。

彼にとっては当たり前のこと。

ただ一つ違うのは。

「あー、くそっ。騙しやがったなっ!」

彼の叫びが、白銀の山に響き渡った。

「おいっ!そっちに逃げたぞっ」
「生きて帰すんじゃねぇっ、捕まえろっっ!」

野太い声が追ってくる。

彼――衣織は背後を見やると、吹雪の向こうに見えた複数のシルエットにぎょっとした。

「くそっ」

白い息と共に吐き捨て、全力で駆け出す。

足場の悪さを物ともせずに、衣織は深い木々の向こうへと入って行った。

「はぁ、はぁ……っ。ま、まけた……?」

荒い呼吸を繰り返し、酸素を求める肺に冷たい空気を送り込む。

体力の続く限り足を動かしたおかげで、こんな気温だと言うのに額にはうっすらと汗が浮かんでいた。

それをグローブをはめた手で拭い、辺りの様子を窺う。

ごうごうと音を立てる雪の激流が視界を邪魔するが、人の気配が感じられないことに、ホッと胸を撫で下ろした。

よかった。

あんな連中に捕まりでもしたら、本当に生きて帰してはもらえない。

木の幹に寄りかかりズルズルと硬い雪の上に座り込む。

先ほどまでとは違い、この辺りにはあまり積もっていないようで、すぐ下に大地の感触がした。

呼吸の乱れが収まった頃、衣織はようやく周囲を見回す余裕が出来た。

大きな黒い瞳が映すのは、途切れることの無い雪の白と、黒にも似た深緑の樹々。

自分の知らない場所。

彼は急速に冷えていく頭で、静かに事実を飲み込んだ。

「オレ……迷った?」




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