バシュル山の逃亡戦 5/7
「なるほど、ではおれはここを抑えて、その集落へ向かうとしよう。それまで殿下をおたのみする」
そう言うと、ナーマエはやっとこちらをふり向いた。
「もちろんです、ダリューン卿。お気をつけくださいませ。それに助けていただき、感謝します」
「ああ。礼には及ばぬよ」
ダリューンは軽く笑って答えた。その言葉を聞いてナーマエは、馬の向きを変えて仲間のもとに走り去った。
ダリューンは再びみごとな手綱さばきで、黒馬を躍らせる。
なるほど、と思った。
どうやらナーマエの瞳には、これから進むべき進路がはっきりと映っているようだった。
といっても比較のしようがないからで、この陣地の守備が薄いかどうかは分からない。
ただ、ナルサスが彼女に信頼を置くのであれば、その言葉を信じてみるのも悪くない気がした。
それは、これが王都の姫君となれば、若き万騎長に助けられでもしたら、うっとりと頬を染めようものを、あの使者は、うら若き乙女であるが、そんな表情を浮かべるどころか、アルスラーンだけを見ていたからかもしれない。
ダリューンは、ナーマエのアルスラーンをみつめるまなざしに、なみなみならぬ意志を感じとっていた。
――見た目に反して、その中身は忠実な戦士であるか。
そう思ったが、それは使者の使命であるのだから、ナーマエがアルスラーンを気にかけるのは当然のことで、これはわかりきったことである。
――とすればおれは、あの潔いまなざしに戦士を見たということだ。
なるほど、とダリューンは再び納得した。
槍をひらめかせて、敵地を駆けめぐり、兵士をけちらした。追撃の手がまわらぬようここを抑え、はやく殿下を追わねばならない。
怒号が飛びかう混乱のさなか、ふと手綱を引いて馬を止めた。
すると遠くに、落ち着きはらった友人が、部下のひとりになにかを言っている姿が目に入る。
その友人、ナルサスは異国の使者に進路をゆだね、ゆうゆうとこの逃亡戦を楽しんでいるようで、そのまま颯爽と馬で走り去っていった。