虚無を引き裂いた慟哭の空
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何がいけなかったのだろうか。
(炎山様)
どうして、この人が、こんな、
(炎山、さま)
問いは言葉にならない。思考は頭の中でぐるぐる渦巻いて、その中で、大切な大切な主の名だけがポッカリと浮かび上がる。
(何故、何故貴女が、死ななければ、ならないのですか−−?)
その日は朝から嫌な予感がしていた。何と無く、「出掛けない方が良い」、そう思っていた。
けれども、行かなければならなかった。会社にとって大切な取引があったから、行くしか無かった。だから忠告は飲み込んで、何処か疲れた様子の主に着いて行ったのだ。
そして、予感は当たった。無事に取引を成功させた帰途、奴らは襲い掛かってきた。十数人の、暗殺者。
走り続けるリムジンを襲撃してきた奴らに、迷いなど有りはしなかった。運転手と数人の社員を護る余裕も無かった。主と二人で、立ち向かうしか生き延びる道も無く、何人かを切り倒したその時、
−−刃が肉を突き刺す、嫌な音が、聞こえたのだ。
主が敵を倒した音、ではなかった。向かう敵の姿も忘れて振り返った。見えた。
だらりと落ちた、空手の左腕。血染めの刀が滑り落ちた右腕。くず折れる両足。力無く崩れ落ちた肢体。
「炎山、さま……?」
信じたくなかった。
それが主の、息絶えた瞬間であるなどと。
何をしていたんだろうか。
真っ赤に染まって、もう使い物にはならない片刃剣を放り投げ。
「炎山様」
亡殻に触れる。冷たい。まるで死人のようだ、いや、もう生きてはいないのだから当然、
……当然?
(ああ、)
何故当然なのか。そんな理由は無いではないか。このお人はただ、眠りに着いているだけで、命宿らぬ死体であるなど、有り得ない。
そうだ。有り得ない、有り得ないようにすれば良い。
そう出来る術が、自分には有るのだから。
(さあ)
息を吸い込む。喉を震わせる。旋律として、空に吐き出す。
あまり好かない、この呪歌を、今はただこの人を死の世から引き戻す為に。
血溜まりと屍の海の中で、彼は歌い出す。
−−瞬間。
死体を啄もうとしていた鴉達は一斉に羽ばたき空へと消え去り、草花を食んでいた兎達が即座に飛び跳ねて森へと逃げ込んだ。
残された青年はしかし、ただ、歌い続ける。旋律に乗せられた術の砕片は呪いのごとき重みを持って、黄昏の空に響き渡る。
−−やがて。
抱えられた遺体に、異変が起きた。
青ざめた肌に、生きている生物特有のみずみずしさが宿る。薄い胸に出来てしまった醜い刺し傷が、切り裂かれた衣服の傷が、瞬く間に塞がっていく。
極めて強力な治癒術、ではない。これこそが、剣の精霊ブルースがその身に封じた「大術」の破片、「逆行」である。
対象の「時」を巻き戻すその術が、彼の主の肉体が経過した「時」の状態を、「致命傷を負ってしまった」という地点から「それを負ってしまう以前」の地点に逆流させているのだ。
そう、あたかも死に至る傷など受けていないかのような、今までの彼女の如く、佳麗、華麗、家隷な状態に。
一つ、心残りは。
(ソレデモ、貴女の命は、モドラナイ)
例え傷を癒そうと暖かみを取り戻させても戦いの痕跡を消そうとも。
「命が失せてしまった」、その事実は巻き戻らない、巻き戻せない、否定出来ない、許されない。
どれ程願っても、決して叶ってはならない、それが「蘇生」であるとは分かっていて、けれど−−
「炎山様……」
物言わぬ体を抱き締める。冷たくは無く、されど最早息はしていない。息を吹き返すことは無い。
(ああ、)
どうすれば良いのか、ワカラナイ。
「……なぜ……」
護りきれなかった?
死なせてしまった?
幾度脳裏に繰り返しても、分からない。
掻き抱きながら、ぐるぐる、ぐるぐる、自責の問い掛けを巻き戻す。早送る。幾度も、幾度も。
そして。
……時の流れも、分から無くなった頃。
ピクリ、と。主の細い指先が動いた、ように見えた。
「……!」
そんな、馬鹿な。けれども、確かに。
動いていた。
やがて、ふるりと震えた睫毛。閉じられた瞼がゆるゆると動き、程なく開く。覗く、青玉の眼。
「……ぶる、す……?」
漏れる声は、紛れも無く、敬愛する契約主のもの、で−−
「炎山、様」
呼び掛ける。確かにそうなのか、信じたいがために。
魂なき死体だった筈のその人は、こくりと頷いた。
「お前、ずっと、此処に、居たんだな」
「……、ええ」
「悪かった」
何がだろう。あの方が自分に対して、謝ることなどしただろうか。
「……最期、お前を、見てやれ無かった」
向けられ無かった。と。そう仰せになられるのは。
まさか、自分に対して負い目を感じているのだろうか。
心を知ることも護り切ることも出来なかった、契約精失格の存在になど。
「……なあ、ブルース」
「何でしょうか」
「違うんだ」
「っ、何が、ですか」
「殺されたんじゃ、無いんだ」
息を呑む。殺されたのではない、なら、ならば。
「……死にに行ったんだ。自分から、殺されに、行ったんだ」
ズブリ、と。
「もう、疲れた、ってな……」
そして、バタン。
「………」
「……聞かない、のか?」
「……はい」
「そっか」
幼い子供のように、彼女は小さく呟いて。
腕の中から立ち上がる。血塗れの刀を取り上げると、懐から取り出した布切れで血脂を拭き取って鞘に仕舞う。そして、手を差し延べた。
(ああ)
思い出す。遠い昔に思える、契約の時。
あの時に、酷く似ていて、けれど違う。遠い遠い。
「行こう、ブルース」
何処へ、とは聞かなかった。聞く意味など無かった。
主の行く所は、自分の行く所。ならば問う必要など、ありはしない。
あっては、いけない。
(貴女が望むのならば、何時何時までも傍にいましょう)
それが、今の己に課せられた使命であり、罰であると、分かっているから−−
2012/11/11
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炎山死亡時のブルース視点。
ブルースは炎山の為なら何でもしかねないような。しかし暗い。暗い……