これはまさしく闇討ちだ
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ぐにょり、と白塗りの壁が蕩けたように見えた。
(……?)
見遣る。己の視線の先一点だけが、奇妙に歪んでいるように見えた。いや、正真正銘歪んでいた。
どういうことだ−−思いながら、彼女はそこを見詰める。視線を少しでも逸らしてはいけない、そう感じ取ったから。
程なくして。
歪みの中心から。ほっそりした白い腕が、文字通り突き出された。
その先、黒の皮手袋に包まれた手に握り締められていたモノ、それは−−
「……!」
黒い、手袋よりも闇よりもなおも濃い、濃い、
刃。
いつも通りだった。
「父」に鍛えられ「母」に命じられ、「祖父」に仕込まれ「祖母」に慰められながら、それを繰り返し続けた。
あんまりにもそれがいつも通り過ぎて、疑問を感じたことなど一度も無かった。それは恐らく、他の「子供」達もであっただろう。
今回も同じ。「母」の命で赴いた。自身に備わったある能力のおかげで、それをこなすことは大して難しくなかった。
例え幾重にも警備網が張り巡らされていようと、意味は無い。ただ、摺り抜けられるだけ。
「何を考えている?」
どうやら、聡い彼女は直ぐに、能力の特性に気付いたらしい。更に、今自分が何を狙いに訪れたのかを。
「サヨナラ、言いたくて」
「俺の首をかっさばく前に、か?」
「うん」
「だったら、壁から出て来い。せめて顔ぐらい見せろ」
「見慣れてるでしょう?」
「死ぬ時には誰かの顔を拝んでおこうと決めてるんでな。−−さあ、星河」
ああ、こんな展開にはなって欲しく無かったのに。
支配者の笑みを浮かべて手招く彼女を見て、諦める。……諦める?
ぬるり。きっとそんな擬音が相応しいのだろう。壁から文字通り「現れた」自身を見て、彼女はむしろ嬉しそうだった。
「傑作だ。微笑みと癒しを振り撒く聖職者の実体は、道化のような能力を持って冷徹に死を与える暗殺者でした、ということか」
「……」
否定はしない。彼女の言うことは正真正銘、事実だったからだ。
聖職者のふりをして、影で暗殺を繰り返す。今回はターゲットがたまたま、知り合いになっただけだ。
「依頼主がいるんだかどうだか知らないが、……どうせ伊集院家に傷を付けたいだけなんだろう?」
それは自身とは関係無い。というか知らない。考える気も無い。
どうやら彼女にとっても、こちらの意思などどうでも良いのだろう。勝手に話が続けられる。
「だが、所詮卑しい妾の子に過ぎない俺を殺したところで、何の意味も無いんだがな……。ああ、事情を知らないなら仕方ないか」
その上、彼女はとっくの昔に出奔していて、最早伊集院家とは、血の繋がりぐらいしかない。
「で?依頼主は誰だ」
「言えないよ」
「それもそうだな。だが、俺はもうすぐ、貴様に殺されるんだろう?なら、せめてそれを冥土の土産にしたいものなんだが」
「……知らない方が、良いと思うけど」
こちらとて、「母」の命からこぼれ落ちる情報からの、朧げな推測でしか分からないのだが。
彼女の命が無くなってしまえば。そう、切に願う者は−−
「伊集院家の、現当主。……って言えば、分かってしまうよね?」
「……、…ああ」
やはりあの人は、俺のことが要らないんだな。
そう呟いた彼女の表情は、ほろ苦いものだった。何か、心の何処かで縋っていたものが唐突に失せてしまった、そんなものを伺わせるもので−−
彼女にとって、伊集院家は居場所ではなかった。本来安らかに居られるべき場所であるにも関わらず。
そして、今。彼女はようやく見付けた新たな居場所から、排除されようとしている。
彼女は遂に、腰掛けていた椅子から立ち上がった。壁に立て掛けられていた、実践用の細身の槍が、彼女の手の内に収まる。
「気が変わった。お前に俺の命は、やれなくなった。……あの人に、子殺しの罪を背負わせたく無いんだ」
例え、自分を「我が子」と認めていなくとも。
こちらが「我が父」と、そう思っているから。
「そっか。……良かった」
「何が」
「死にたくない、って言ってくれて」
−−僕だって、大事な「友達」を殺したくなんて無いよ。
黒塗りの刃を、喉元に添え付けて。
いつも通りだった。
「母」の命に従うこと。命を奪い取ること。
それは当たり前。そこに、意思など加わってはいなかった。
だけれども、今は。
−−いつも通りでは、無かった。
「……!」
気付いたのだろう、こちらの意思に。
(だけど、もう)
遅いよ。
「サヨナラ、炎山君」
−−そして。
白塗りの壁に、赤い紅い朱い、鮮血が花びらのごとく舞い散った。
2012/10/06
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誇りある端っこ貴族と意思ありからくり人形、みたいな。