Peior odio amoris simulatio
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記憶が無い、と言うのは果たしてあそこまで気にするものなのだろうか。
疑問に思いながら、ブルースは悩みを抱えた張本人の背に、声を掛けた。
「サーチ」
ビクリ、と彼女の肩が跳ねる。やはり考えていたらしい。振り返った顔には、悩みの色が見えたからだ。
しかし、それには気付かないふりをして、話出す。
「どうした?こんな所で」
「……、…」
サーチは答えずに、ただ、珍しく表情の浮かんだ、端正な顔を背ける。−−よくあることだった。彼女に関しては。
作られた人形のように感情表現の乏しい彼女だが、最近は何と無く「分かる」ようになった。今回は、どう見ても困っている。
「少し、考えていた」
「何を」
「万が一接近戦になった時は直ぐさまナイフ格闘に持ち込むべきか、それとも切詰式散弾銃の零距離射撃で吹き飛ばした方が良いのか」
「……じ、状況によるだろう。何なら、後で手合わせをして、実際にどちらの方が良策なのか決めれば良いんじゃないか?」
「………それもそうだな。なら付き合ってくれるか」
「ああ。その前に、俺の疑問について一緒に考えてくれるなら、な」
「疑問」
紅い瞳を見据えてくる彼女に頷く。答えないことは許さない、という意味を込めて。
それを正確に読み取ったサーチは何も言わず、ブルースの問い掛けを待つ。
「−−記憶が無いのは、不安か?」
その質問は想定の範囲外だったのか、彼女は一瞬目を見開き、そのまま視線を僅かに落とした。
やはり答えづらいのだろうか。思いながらも、こればかりは聞きたくて仕方が無い。
長い眠りについている間も、それまでの生を嫌という程思い返していた自分と、どれ程の違いがあるのか、知りたくて堪らないから……
「……、不安だ。一体何を仕出かしたのか、サッパリ分からないんだからな」
「………」
「普通の精霊なら誰でも分かっている筈の、『還り方』も覚えていない。ライカ様と何時出会って何を理由に契約したのかも分からない。……分からないことばかりだ」
シャーロのあの寒村で、『目覚め』て以降は全て、覚えているのだが。その前は何も、思い出せない。
まるで『何か』が意図的に、自身の記憶を消し去ったかのように……
(…、…、思い当たりは有るんだが)
何と無く、知られたく無かった。この男には、特に。
何故そう思うのかは、分からない。
「……もし、」
「………」
「覚えていても苦しいだけの記憶なら、」
−−どうする?
(そんなのは)
分かりきったこと。
「−−別に、どうともしないさ」
何たって、どうしようも無いんだから。
過去は既に過ぎ去ったモノで、今考えても変えたりなんか出来ないから。
だから、自分の過去を知りたいだけなんだ。本当に。
「そう、か」
黒曜石の瞳が、静かに閉ざされる。白銀の髪がサラリ、と垂れて。
(そう言い切れるだけの強さが、あったなら)
後悔してばかりだ。沢山沢山人間を殺害したことも、『大術』をまともにくらって無事だったことも、破片だけ引き受けて眠りについたことも、幼い子供を半ばだまくらかして契約したことも、目の前で何も出来ないまま主を失っても。
それでもまだ、のうのうと生きていることも。
……後悔して、ばかりで。
(そのぐらい、強ければ、)
今頃、
(不安に漬け込んで、思いを伝えるなんて、こと、も)
きっと、容易な筈。
だのに、言えない。
「余計なことを、聞いてしまったな」
スルリと、全然違う言葉を吐いていた。
そんなありふれたことを言いたいんじゃない。彼女に抱いた、抱いてしまった感情をぶつけたいんだ。
ああ、だのに。
「……別に」
視線と共に、彼女の興味が逸れて行くのが、分かってしまう。きっともう、手合わせのことしか考えていないんだろう。
タイミングが消え失せる。最早何かしらの試みを試そうとすることすら無意味。
(また、遅かったか)
何時も何時も、そんな感じで。
このままでは、また何かを、失ってしまいそうで。
(今度は、何を?)
今や世界で最も哀れな存在となってしまった、自身の主だろうか。それとも。
……目の前の、彼女?
切詰式散弾銃を携えて、普段は滅多に扱わないサバイバルナイフを太股に巻き付けて、戦いの間中変わらないであろう無表情を端正な顔に貼り付けた、最強のイキモノの下僕。
(……もう、いい)
これ以上、実入りの無い思考など。
必要は無い。
「行くぞ、ブルース。早く試したい」
「ああ、分かった」
もう少し、もう少しだけ。このぬるま湯に浸ろう。
どうせ何時か、決着を着けなければならないのだから。
(先送り。先送り。その結果は、)
12/05/09
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お題は『愛の見せかけは憎しみより悪い』という格言らしい。ラテン語の。
ブル→サチを久々に。ヘタレ度が上がっただけだった。誰か彼に青春スーツを着せてやっておくれよ。