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薄暗いコンサート会場の前に一台のワゴン車が止まる。

「ほら、ミソラ。明日は此処に、お前のファンがたくさん来るんだ。絶好の稼ぎ時なんだ、逃げられちゃ困る!」

「だって、…」

私、お金稼ぎの道具なの?一生このまま?

(ママ、ごめんね…)

ママのために歌うって、約束したのに。いなくなってしまった、あの日から。

ミソラの翠の瞳に涙が溜まる。……闇の帳に溶けて、多分誰にも見えてはいないけれど。

瞬間、凄まじい風が吹き荒れた。その中に混じる、音。甘く清冽に澄んだハープの音。

「な、何…!?」

お気に入りのフードを押さえながら、ミソラは辺りを見回し、そして気付いた。目の前にいたはずのマネージャーがいない、どころか、場所までもが変わっていた。

墨を流し込んだように真っ黒に塗り潰された、息苦しい空間。ただ聞こえるハープの音だけが慰めになるような。

「どうなってるの…?」

わん、と響く自らの声が不安を駆り立てる。

ポロ、ポロン。いつの間にか近い、音。

「何か、悩みでもあるのかしら?」

「ッ!?」

妙に甘く掠れた女性の声が背後から聞こえた。

思わず振り返る。そこには癖の強い青灰の髪をこめかみで高く結い上げた女が一人、小振りのハープを抱えて優雅に立っていた。桃色の瞳が細められて、自分のことを品定めしている、ように思える。

「誰……っ!?」

「私はハープ。強いて言うなら、音楽の女神よ」

ポロン。ハープと名乗った女の細く白い指が、彼女と同じ名の楽器の弦を何気ない動作で弾く。不安と混乱で曇る心を、澄んだ音が払拭していく。

「音楽の、女神……?」

「そう。貴女は音楽のことで悩んでいるのでしょう?苦しんでいるのでしょう?」

「……、…」

「大丈夫よ。私が力を、貸してあげる」

その一言は、擦り切れた心にはとても甘美に響いた。掻き鳴らされるハープの音色以上に。

「力を?」

「ええ、そうよ。…貴女の音楽を汚す愚か者達に制裁を与え、なおかつ自分の歌を守り抜く、力」

そこまで言うと、目の前の女性−ハープは唇の端をニッと吊り上げた。それはまるで、獲物を見付けた肉食獣が歓喜の舌嘗めずりをするかの如く、猟奇的なものだった。

普通なら、彼女の言うことは突拍子もなく、しかもかなり危険なものであることが分かるだろう。けれど今は普通の状況ではなく、それはミソラの心理も同様であった。

「私の歌を……私が守る…。私が、自分の力で…」

呟けば呟く程、強い酩酊感が襲い掛かる。抗えない。

ぐらり、身体が傾いだその時。蠱惑に満ちたハープの音が一滴、漆黒の空間に落ちた。

それを皮切りに。少女の瞳から輝きが失せる。

「大丈夫よ、響ミソラ。私に、委ねなさい」

自身の運命を。暖かに澄んだ思い出を。秘めた力を。傷の無い身体を。……貴女の持つあらゆるモノ、全てを。

「さあ、契約を交わしましょう?」

強く優美に掻き鳴らされるハープの音。嵐と成り行くその中で、歌う様に誘いかける甘い声に。

ミソラは蝋人形の如く固まった無表情で頷いた。

その様を、ハープは実に満足げな、蠱惑的な、猟奇的な笑みを湛えて見詰める。

(ふふ…これで自由に動ける。さあ、待っていなさい。『裏切り者』の、)

−落ちた呟きは、元の現実に染みて消えて行く術空間に呑まれて、誰にも届くことはなく終わる。



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