詰め込み処


 第2話




喫茶ポアロでの追及劇から三ヶ月が経った今日、降谷零はシアトルにある国際空港のロビーに立っていた。
鞄も持たず、パスポートと財布と携帯だけを掴んで急なフライトをした彼。その表情は重苦しく、先ほどから深いため息をついている。彼の機嫌を著しく損ねている原因は、二つある。

一つは、生物兵器テロの重要参考人としてマークしていたみょうじおなまえが依然行方不明だということ。三ヶ月前に「喫茶ポアロ」で彼女を尋問し損ねて以来、ただの一度も彼女を見つけられずにいるのだ。
捜査が難航している彼らの元に、成田国際空港でみょうじおなまえと思わしき人物が出国手続きをしたとの情報が入った。報せを受けた降谷は、その瞬間に身一つで飛行機のチケットを取り、自身も彼女と同じ空路を辿ってこのシアトルまでやって来たのだ。しかし、この広いアメリカで一人の人間を探すのは決して容易ではない。
これが日本国内であれば多少強引な違法捜査もできるだろうが、国外ともなると彼の動きは一般人と同じレベルまで制限されてしまう。

そしてもう一つの"原因"は、日本の公安警察上層部から「今回のテロリスト捕縛任務は、アメリカとの合同捜査によって行う」と正式に命令が下されてしまったことだ。
日本を守るという使命の元活動している彼には、揺るぎない決意とプライドがある。日本の事に関して他国の機関に手出しをされることが意に沿わないのだろう。
しかし、今回の事件はアメリカの裏組織が売人となり、日本へと兵器の売り付けをしようとしている。国を跨いだ事件には、同じく国境を越えた対策チームを組まなくてはならない。それがもしも彼が毛嫌いするFBIであったとしても、正式な任務であれば受諾するしか方法はないのだ。


こうして立ち止まっていても仕方がない、と降谷が重い足を踏み出したその時。背後で誰かに「やぁ、ハウンド」と呼びかける男の声が聞こえた。変わった愛称が耳に入り、降谷が何気なくその方向に視線を向けたその瞬間、彼は青い目を大きく見開いた。彼が探し続けていた人物、みょうじおなまえがそこに居たからだ。

降谷零は、チャンスを続けて逃すような男ではない。反射的にみょうじの腕を掴み、その顔を覗き込んだ。突然腕を掴まれたみょうじは一瞬だけ硬直したが、彼女の手がそろりと脇腹に固定されているガンホルダーへと伸びる。


「探しましたよ、三ヶ月もね」
「偶然ですね、安室さん」

互いに、空港のど真ん中で騒ぎは起こすべきでないと判断しているのだろう。静かな声でそうやり取りしている。只事ではない空気を感じ取ったのか、みょうじに対して「ハウンド」と呼びかけていた男も会話に加わって来た。

「君は…彼女の知り合いか?」
降谷にそう問いかけて来た男は、非常に体格の良いアメリカ人だった。身長は185cm程度だろうが、その全身を覆う筋肉量が凄まじかった。軍人か何かだろうか。
男の、堀りの深い目元から鋭い眼光が向けられる。野生の猛獣と向かい合うような緊張感に、降谷はじわりと冷や汗が浮かぶのを感じた。

「知り合いと言えばそうですが」
「はぁ…流石に出国手続きをするとバレてしまいますね、降谷零さん」

限られた者しか知る筈のない名前が彼女の口から放たれると、降谷の空気は一層刺々しいものになった。
降谷の本来の立場を調べ上げる、一般人ではおおよそ考えられない情報収集能力。慣れた様子で携帯している拳銃、そして彼女と親し気な大柄の男性。その全てが降谷の警戒心を掻き立てる要素にしかならなかった。

「…ハウンドか。嗅ぎ回るのが得意そうなニックネームですね」
「私の名前って、英語圏だと呼びにくいらしくて。降谷さんこそ変わった愛称をお持ちですよね」

覚えのない言葉に、降谷は少しだけ首を傾げて見せる。みょうじが続けて「ゼロとか、バーボンとか」と小さな声でつぶやくと、彼女の腕を掴む力が増す。ギリギリと締め付けられるような拘束だというのに、みょうじは相変わらず顔色一つ変えない。

「君のその情報の出どころ、是非聞かせてもらいたいね」
「ちょっと待ってくれ、彼を”フルヤ”と呼んだな」
「はい、そう呼びました」

険悪な二人の間に割って入った男が、降谷に「失礼だが、これからワシントンD.C.でこちらの人間と落ち合う予定はあるか?」と問いかける。彼の言う事に覚えがあった降谷だったが、現時点で不審者でしかない彼に答える筈もない。鋭い視線を送りながら「だったらどうなんです?」と攻撃的に言い返した。

「俺がその合流相手だ」
「証明できますか?」
「ああ、隊員証と運転免許証で良いか? 必要ならば、君ところのデータベースと照らし合わせてくれ。事前に俺のデータは送られている筈だからな」

降谷の刺々しい口ぶりにも快く答えた男に、降谷は意表を突かれたように呆気にとられる。あれだけ敵意をむき出しにしていたにも関わらず、男には気分を害した様子など微塵も見受けられない。降谷は男が提案した通りに、彼の身分証の画像を公安警察のデータベースと照合した。
すると男の言う通り、生年月日から顔写真に至るまで完全一致する人物のデータが出てくる。「クリス・レッドフィールド」と書かれたデータの男と、目の前の男は紛れもない同一人物だ。


「合流場所がワシントンD.C.と聞いていたから、てっきりFBI本部にでも行くのかと…B.S.A.A.とは? 彼女は一体何者なんですか?」

いつの間にか降谷の手はみょうじの腕を放しており、彼はこの大柄な男との会話に集中していた。身分が明らかになった彼の言う事ならば、信憑性があると判断したのだろう。

「移動しながら話そう、車を用意してある」

男は空港の外を指さして言う。そして、思い出したかのように「改めて、クリス・レッドフィールドだ、よろしく」と付け加えた。







みょうじおなまえと共に姿を現した男、クリスが車を運転する。そうなれば説明役は手の空いているみょうじが請け負うことになる。みょうじと降谷、二人揃って後部座席に乗り込み、まずお互いの身分を明かすことから始まった。


「みょうじおなまえ、B.S.A.A.極東支部所属のS.O.A.です」
「本名だったんですね」
「私たちは貴方のように身分を隠さなくてはならない立場ではありませんから。B.S.A.A.とは、対バイオテロに特化した公的機関です。国連からの承認があるので、国境を越えて制限なく鎮圧活動ができます」
「日本においての情報開示レベルは?」
「極めて少人数。総理大臣、防衛省・外務省の大臣と副大臣。それから警視総監で情報が留まっています」
「まるでトップシークレットだな…」

みょうじが挙げ連ねたそうそうたる面子に、降谷は思わず苦笑いを浮かべた。もっとも、彼の苦笑いは「任務にあたる人物にくらい情報開示してくれ」といった感情から来るものだが。

「B.S.A.A.自体は秘密組織ではありません。ただ、日本という国は他国と比べてバイオハザードへの抵抗力が弱い。銃社会ではないという事も大きな原因の一つですが…パニックを引き起こさないため、情報は公開されていないようです」
「抵抗力が弱いなら、尚更情報を広く開示して、有事の際に備えるべきでは?」
「いいえ、情報開示によって日本国内での銃火器の闇取引が横行するかもしれません。パニックに陥った国民が、一斉に国外へと国民が流れてしまうかも」

確かに、日本という国は情報伝達速度が早い分、最初に発表された情報に国民が踊らされてしまうことも多い。テレビで紹介されたもののブームなどならまだ良いが、震災の時の全国的な食糧買い溜め等はまだ記憶に新しい出来事だ。降谷はそういった騒ぎを思い出し、納得した様子だった。

「人の口に戸は立てられない、情報を開示すべきでないと判断したなら、それは必要最低限で留めておくのが一番いいやり方です」
「なるほど。S.O.A.というのは?」
「スペシャル・オペレーションズ・エージェントの略です。B.S.A.A.には大きく分けて二種類の配属先があります。一つは少人数で情報収集や捜査をするS.O.A. もう一つがS.O.U.と呼ばれる12人編成のユニットがあります。こちらは主に最前線でのテロ鎮圧が任務で、戦闘能力に長けた者が多く所属しています」
「君はエージェントですか。彼…クリスはS.O.U.の方かな?」
「ああ、元々は俺もエージェントだったが、数年前にユニットの方へ移ったんだ」

運転席に座るクリスが、後部座席の降谷へと話しかける。何でも彼は、B.S.A.A.に所属する前はアメリカ空軍や警察の特殊部隊にも身を置いていたらしい。あの逞しさと精神的な安定感はそこで培ったものなのだろう。
降谷とクリスが会話を終えた数秒後、今度はみょうじがぽつりとつぶやくように簡潔な身の上話を始めた。


「降谷さん、貴方の知っている通り、私は警官になるのが夢でした。けれど、21歳の時にアメリカでバイオテロに巻き込まれ、彼に命を救われました。それから『このまま帰国して末端の警察官になったとしても、この脅威から日本を守ることはできない』と思うようになったんです。だから、こっちで3年間の訓練を受け、B.S.A.A.に入隊しました」
「それが、あの空白の3年間だったんですね」
「ええ、それからは各地のバイオテロを鎮圧する毎日でした。私やクリスはエージェントの中でも特殊な立場で、国や支部を超えた活動ができるんです」

みょうじの「日本を守る」と言った時の表情。それは常日頃、日本の為に任務にあたっている降谷と非常に似たものだった。彼女の覚悟を聞き、不可解だと思っていた行動にも説明がついた頃、既にみょうじおなまえに対する降谷の警戒心は薄れていた。


「僕はてっきり君がテロの首謀者だとばかり思っていましたが、とんだすれ違いだったみたいですね」
「同じ事件を追っていましたから、遭遇するのは必然でしたね」
「案外、君と僕は似た立場にいるのかもしれない」


すっかり敵意が取り払われた降谷の態度に、みょうじも笑みを見せる。そして「貴方にそう言って頂けるのは、とても光栄に思います」とだけ返した。





***

第2話 補足

【みょうじ おなまえ】
B.S.A.A.極東支部に所属するエージェント。
身体能力の高さと情報収集能力を活用して、様々な事件を捜査・鎮圧している。
射撃の腕は良い方だが、体術とナイフ戦術の方が得意。

【クリス・レッドフィールド】
30代後半 身長185cm 体重100kg B.S.A.A.北米支部に所属している。
体格が良く、腕力も非常に強い。成人女性を勢いよく投げ飛ばし、民家の屋根の上に着地させることができる。
他にも「ショットガンを片手で撃つ」や「自分の体積の5倍以上ある岩を動かす」等の経験がある。
アメリカ空軍や警察の特殊部隊に所属していた経歴もあり、戦闘能力もさることながら精神的な面でも頼りになる存在。

【B.S.A.A.】
Bioterrorism Security Assessment Alliance(バイオテロリズム セキュリティ アセスメント アライアンス)の略。
国連による公的機関で、バイオテロに関する事件の時は国境を越えて自由に行動することができる。
欧州に本部を置き、現在は7つの支部がある。
設立当初はNGO団体に過ぎなかったが、2005年に再編成されてからは戦闘に特化した特殊部隊になった。

【S.O.U.】
Special Operations Unit(スペシャル オペレーションズ ユニット)の略。
12人編成のチームで、各支部に複数存在する。隊員は基本的に固定で、アルファ、ベータ等それぞれに名前がつけられている。
最前線での戦闘任務が主で、命を落とすどころか遺体が回収できない、または原形を留めない事が殆ど。
任務中にチームの大半が殉職したとしても撤退は許されず、人命よりも任務の遂行を優先させられる過酷なポジション。
クリス・レッドフィールドがこのS.O.U.に属している。

【S.O.A.】
Special Operations Agent(スペシャル オペレーションズ エージェント)の略。
1名〜2名で行動し、主に情報収集や潜入、捜査が主な任務だが、時には戦闘任務にも就く。
戦闘能力の他にも精神的安定感や様々な技能も加味して選考される為、誰もがS.O.U.より戦闘能力に長けているわけではない。
また、それぞれに「行動レベル」というものが設定されており、これが高ければ高いほど制限なく行動ができる。
クリス・レッドフィールドや狛江悠は最高レベルの「行動レベル10」であり、国境や支部を超えた活動ができる他に、資料や機密情報を好きな時に閲覧することが可能。





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