詰め込み処


 刀剣カウンセリング2





と言っても、刀剣を再教育など出来るのだろうか。
私のような素人よりも、力のある審神者の元へと送り、そこで健全に過ごしてもらった方がよほど効率的な気がするが。

そう思案しながら私は、ミヤコさんからコンテナを積んだ台車を引き受け、宛がわれた施設へと移動した。
政府職員の作業所…つまりお役所の中のワンフロアに本丸と似た設備がある。
内装自体は洋風のマンションそのものだ。なんでも、本丸の特性をそのまま使用しているらしいが、私にはよくわからない。

他の本丸とまるで違う部分、それは「中に居る刀剣が外に出ることのできない結界が張られている」という点か。なんとも、保身的で身の毛がよだつ機能だと思う。上層部でぬくぬくし

ている役人連中の魂胆が見え見えだ。

ここでもし私が無残な死を遂げても、その亡骸を回収してもらえるのは一体いつになるのだろう。



先の、本丸への移動に関しても一応は建前があるらしい。「別本丸に現存している刀剣達や、その審神者に被害を及ぼす可能性があるため」だそうだ。

要するにこの施策は『ダメ元』なのだろう。失敗して審神者や刀剣が傷つくリスクの方が問題視された。
それ故に、危害を加えられ最悪殉職しても政府にとってダメージの少ない、私のような末端役人に仕事が回ってきた。そんなところだ。
そう思うと、審神者としての能力をある程度持ってはいるが、直接戦況に関わっているわけではない私は随分と適任な気がする。


ああ、自分で言ってて腹が立ってきた。連中は、私の命を何だと思っているんだ?

そりゃあ、危険な戦地に赴いている刀剣や、それを率いる審神者の為には尽力したい。
私のわがままで審神者になることを拒否したのだから、私に出来る事ならば何でもやる。この仕事が回りまわって、そのうちに皆のため、国のためになるのならば喜んでこの身を差し出

そうとも思える。

だがしかし、あのクソ上司共に指図された挙句人身御供にされるようなこの空気が、私の腹にずっしりとした不快感を与える。本来であれば総務部総出で取りかかるべき案件なのではな

いだろうか。顕現自体は特殊な能力が必要ではあるが、その後は誰でもコミュニケーションが取れるのだから。


苛々とした感情を吐き出すように、深いため息を一度吐く。
ああ、幸せがひとつ逃げて行ってしまった気がする。

私は、手渡された書類の中から優先順位リストを取り出した。
その中でも一番頂上に書かれた名前。この職業についてから幾度となく見てきた名前がそこにあった。


名刀・三日月宗近

まあ、私は講習で習った薄い情報しか持ち合わせていないから「ああ、珍しいらしいなあ」としか感じない。
天下五剣、国宝、審神者の中でも希少価値の高い刀剣。そんな事しか知らないのだ。私は審神者ではないから、彼らの名前を見ることは多々あっても、その姿を見たことは無いに等しい

。聞くところによると、なんとも見目麗しい外見をしているらしい。

手元の写真と照らし合わせながら、三日月宗近を居間のローテーブルに運ぶ。
それ以外の刀剣は、申し訳ないが今しばらく待機してもらおう。一振り一振りを箱に入れ、顕現するまで鍵付きの金庫で保管する。


ひと通りの作業が終わり、一息つく間もなく、刀剣の姿のままの三日月宗近と向き合う。

顕現した瞬間に斬り伏せられたら、私には成す術もない。
大切なのは第一印象だ。いかに、私が彼に対して無抵抗で敵意がないのかを一瞬にして理解してもらうことが出来れば、その次のステップ…対話に勧める。

きっとこういうのは、時間が経てば経つほどに決心が鈍るだろう。
私は、大きく息を吸い込み、一息にその重たい刀身を鞘から引き抜く。

そして、三日月宗近の姿が見える前に、床へと身を伏せた。そう、五体投地である。







頭上で衣擦れの音が聞こえる。横目でちらりと伺うと、あたりに桜の花びらが舞っているのが見えた。
ああ、これが噂の桜か…死ぬ前に見た最後の桜が、室内に舞い散る花弁にならないように、ただ祈った。

いやむしろ、いっその事頭でも心臓でも一突きにしてくれればそれでいい、痛くて苦しいのだけは勘弁願いたい。



「あなや…そなた、腹でも痛むのか」
「痛いのは嫌です…ん…?」

恐る恐る顔を上げると、そこには、私の事を心底心配げに見下ろす青年が経っていた。
正直、息が止まるほどに美しい顔立ちをしている。ああ、これが三日月宗近かぁ。

思っていた反応と違い、つい狼狽えてしまう。
あれ? 彼はブラック本丸で審神者に酷い目に合わせられて、人間を憎むようになってしまったんですよね? 何故だろうか、その形の良い眉をへにゃりと下げてこちらを伺う表情に、

嫌悪感など微塵も感じない。


「あのう、三日月宗近さん、ですよね」
「いかにも」
「その、ご気分を害されたら申し訳ありません、以前他の本丸で、無体をはたらかれたとお聞きしたのですが…」

私の問いかけに、三日月宗近は悲しげに俯く。
この反応を見ると、どうやらその三日月宗近で間違いはないようだが。

「俺は、これからどうなる?」
「へ?」
「あの本丸に戻されるのか…それとも折られてしまうのか…」

語り口調から察するに、そのどちらも彼の本意ではないらしい。

「ええと、その、ご希望であれば、政府お墨付きの審神者のもとへと赴いて頂いて、そこで新たな生活を送っていただく事にはなると思います」
「新たな主とな? もしや、そなたの事か」

三日月宗近は、その宝石のような目をきらきらと輝かせてこちらを見つめる。
その反応に、こちらが「あなやー」とでも声を上げたくなるくらいだ。

「いえ、私はその、能力はあれど審神者ではありませんので、貴方の持ち主には成り得ません。すみません」
「そうなのか…残念だ」
「すみません」
「そう謝るな、俺が勝手に期待しただけに過ぎないさ。そなたとなら上手くやれるやもしれぬと、思っただけだ」

その一言で、私がどれだけ救われた気持ちになるのか、きっと彼は知らないだろう。
ここに勤め始めてから何度も言われた「お前の代わりなど幾らでも居る」という言葉。
私という個体は必要とされていない。必要なのは、命令通りに動く働き蟻のような存在なのだと何度も何度もくり返し刷り込まれてきた。

そんな私に、会って数分、しかも気の利いた一言も言えなかった私に、そんな言葉をかけてくれるなんて。


「あの、どうして、そこまで言ってくださるんですか?」
「…俺は長い事、人間を見て来た。そういう事だな」
「つまりどういうこと」

私の頭の上には、無数の疑問符が浮かんでいる事だろう。
神様のいう事はわからない。私のような矮小な人間には到底理解できるものではなかった。

三日月宗近はくすくすと笑いながら、私の腕を掴んで助け起こしてくれた。
そうか、今まで私は床に這いつくばったままだった。お恥ずかしい。


「おや、目の下に隈があるな」
「ううっ…くすみの無い美肌が眩しい…えっと、仕事が多くて、寝不足でして」
「身体は大事にしなくてはいけないな」

そう言って、三日月宗近は私の頭をゆっくりゆっくりと撫で始める。
刀剣とは思えないその手の温もりに、体がじんわりと温まるような感覚がした。
この三日月宗近が、どうしてこんなにも穏やかなのか。私にはまるで分からないが、目の前の彼が随分と楽しそうにしているので、それに水を差すこともないだろう。

「名は何と申す?」
「あ、えっと、おなまえです。すみません、フルネーム…ええと、姓を明かすことが禁じられているんです」
「よいよい。美しい、良い名だな、親御殿が心をこめて付けたに違いない」

彼の言葉には、まるで私個人をまるごと肯定するかのような包容力が感じられた。
今までおざなりにされてきた部分が、ふんわりとぬるま湯で包まれるような心地よさ。

つい、鼻の先がツンと痛くなる。


「疲れた顔だ。手も冷えている。忙しいらしいが、少しは休めているのか?」
「え、あ、つい昨日まで立て込んでまして、あまり…」
「そうか。冷えは万病の元と聞く。今宵はゆるりと湯に浸かり、暖かくして眠ると良い」

実家に居た時には当たり前のようにあった、労り。
閉鎖された仕事場で、友人との連絡も取れなくなり、ここ数年ぱったりと無くなっていたそれ。
初めて対面した、人ならざる人にほんの少し言葉を掛けられただけで、凝り固まっていた心が解きほぐされる気さえした。

じわじわと顔が熱くなり、それが雫になったかのようにポロリと涙が零れ落ちる。


「す、すいません、こんなに、優しく、してもらったの、何年かぶりで」
「うん」
「なんで、三日月さんは、私に優しい事を、言ってくれるんですか?」

嗚咽がこみ上げてきて、途切れ途切れになる言葉を何とか紡ぐ。
三日月宗近は少し考え込み、そして再び、その口元に笑みを浮かべた。

「俺達は、今でこそ神に成り得たが、元々は只の剣だ。いくら刀としての出来が良かろうと、そなたのような人間無くしては、話す事も、物事を考えることも儘ならない」
「私みたいな?」
「ああ、そうとも。そなたのように、俺達を神と崇めてくれる人間が居て初めて、俺達は神と成り得る。俺達に人の姿を与え、茶を飲む喜び、何かを食す喜び、花の香りの芳しさ、居眠

りの心地よさを教えてくれたのも、そなたらだ」

三日月宗近、彼は人間に恨みなど抱いてはいないのではないか。
先程まで疑問形だったその問いかけが、確定へと変わっていく。
人間が彼らに与えたものを嬉しそうに羅列する表情は、ひどく穏やかで、柔らかい。

「そして、主に逆らった俺にもう一度機会をくれた。恐ろしかっただろうに、その役目を担ってくれたのは、他でもないそなただ。感謝こそすれ、恨むような真似はしないさ」

花が咲くような笑顔とはまさに、この事を云うのだろう。彼は、そう思わせるに十分な顔をしていた。

対する私がどんな顔をしているかなんて、とても考えたくない。
ずるずると涙やら鼻水やらは流れ続けるし、きっと顔中くちゃくちゃだろう。
ここ数年ですっかり染みついてしまった隈も、荒れた肌も、とてもじゃないが褒められたものではない。

でも、三日月宗近は、それを卑下することなく心配してくれた。
そして、彼は生きることが楽しい。それを与えてくれた人間が好き。そう言ってくれたのだ。

こんなにも慈悲深くて優しい彼を、どうしてぞんざいに扱えようか。
この時ばかりは、私が彼らの主に成って変わりたい。この上なく大事にしたい、と心の底から思った。


一度は蹴った審神者も、そう悪いものではなかったかもしれない。




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