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ハリー、カノン、ダンブルドア、そして黒い犬の姿になったシリウス。

彼らが医務室へ入ると、中にいた4人が目を見開いた。ロン、ハーマイオニー、モリー、ビルがそこに立っていたのだ。中でも一番反応が大きかったのはモリーだった。それ程に心配していたのだろう。
「ああ、ハリー! カノン!」と声を上げて駆け寄って来る。だがダンブルドアは2人の前に立ち、モリーが声を掛けるよりも早く話し始めた。

「モリーや、この2人は疲れておる。今日のうちは何も言わずに休ませてやりたい。決して、今夜起こった事について質問してはならぬぞ」

きっぱりとした声で言ったダンブルドアの指示を、モリーはすぐさま了承した。
「ええ、ええ、もちろんですとも! 聞いたわね、2人は絶対安静なのよ!」
モリーはダンブルドアに何度も頷いた後、後ろに立ちつくしている3人に向かって厳しく言った。

カノンは、彼らが思っているほど疲れていなかった。
だが、セドリックの事をぺらぺらと饒舌に語れるほど、平静ではなかった。カノンもハリーもダンブルドアの言付けに、これ以上ない程に感謝した。

腫れものに触れるような、恐る恐るといった様子のロンとハーマイオニー。
カノンは2人と視線を合わせることなく、ハリーがベッドに行くのを手伝った。

その後ろを、黒い犬がちょこちょこと着いていく。
マダム・ポンフリーはその姿を訝しげに見るが、ダンブルドアが笑いながらフォローすると、マダムは何も言わずにそれを承諾した。


「ハリー、カノン。わしは大臣の所に行ってくる。ファッジにこの件を伝えたらすぐに戻ってこよう。ゆっくりと休むのじゃぞ」
「はい、先生」

カノンはマダムと共にハリーをベッドまで送ったあと、誰に話しかけられる前に自分も隣のベッドへと歩み寄る。そして素早くカーテンを閉め、外側と内側を遮断した。


『余裕のない君なんて随分久しぶりに見たよ』
「…そう」

リドルに対してそれだけ返すと、カノンはばったりとベッドに倒れこんだ。
今まで自力で立っていた彼女が、いきなり糸の切れた人形のように倒れたのだ。そしてリドルの言葉にも碌に言い返さず、ただ静かに息をしている。

『ごめんね、嫌味を言いたいわけじゃないんだ。じきにマダムが薬を持ってくるだろうし、今日はゆっくり休むと良い』
「ん…」

半透明の姿だったリドルが、なけなしの魔力を使って実体化した。そしてカノンの体をきっちりベッドに入れて、彼はすぐに姿を消す。

「ミス・マルディーニ、薬を飲んで。さぁ、夢を見ずにぐっすりと眠れますからね」
「はい、ありがとうございます」

上半身を起こしたカノンは、ポンフリーから薬の入ったゴブレットを受け取った。ポンフリーはカノンに優しく笑いかけ、すぐにカーテンの外へと出て行く。
カノンはゴブレットに入った薬を一口飲んで、再びベッドに倒れこんだ。


「リドル」
『何だい?』
「そこに居てね」

うとうとと目をしばたかせながら、極々小さな声で呟くカノン。
半透明の状態で椅子に腰かけていたリドルは、驚いたように目を丸くした。そして『…ああ、勿論』と返事をし、目を閉じたカノンの髪を優しく撫でた。

彼は気づいているのだろうか。一人でしか眠れないはずの彼女が、今まで幾度となくリドルの居る場所で眠っている事を。
『おやすみ、カノン』

それが信頼から来るものなのかは、誰にも分からない。だが、眠っている彼女の表情がひどく穏やかな事だけが、リドルにも分かる唯一の事実だった。



***



誰かの怒鳴り声で騒がしくなった医務室。すうすうと安らかに眠っていたカノンの眉間にも皺が寄り、赤い目が薄く開いた。

「んー…」
『起きちゃった?』
「うん、誰?」

寝ぼけた声でそう受け答えするカノン。リドルはカーテンの向こう側をじろりと睨んだ。

『さぁ、誰だろうね』

その声は次第に鮮明になり、バタン! と大きな音を立てて医務室の扉が開かれる。

「まさか! あれを校内に入れるなんて! 校長が許さないと言いましたでしょう!!」
「そうは言っても、しょうがないだろう! ああ、ダンブルドアはどこかね?」

カーテンの外側で響く声は、マクゴナガルとファッジのものだった。ファッジは怒鳴りあいながらもダンブルドアの所在をモリーに尋ねている。

「ここにはいませんわ! 大臣、ここは医務室ですから、もう少しお静かに…」
「何の騒ぎじゃ? ミネルバ、あなたにはバーティ・クラウチ・ジュニアの見張りをお願いしていた筈じゃが…」
「もう、その必要はなくなりました!」

姿を現したダンブルドアに、マクゴナガルが怒りで震える声を出す。
カノンはこれほどまでに怒った彼女は見たことが無く、寝ぼけていた頭もすっかり冴えわたった。
カーテンを少し開き外を覗くと、そこには顔を真っ赤にしたマクゴナガルが拳を握りしめて立っている。

「大臣がそのようになさったのです!」
「今回の事件の黒幕が死喰い人であり、我々がその人物を捕えたと大臣にお知らせ申し上げた所…大臣はご自分の護衛に吸魂鬼を連れておいでになりましてな。その吸魂鬼と共に、バーティ・クラウチが捕縛されている部屋に入っていったのです」

怒りのあまり高い声を出すマクゴナガルとは対照的に、その後ろからスネイプが低い声で説明をした。いつもと同じ、ゆるりと低い声で紡がれる言葉。カノンはいつも通りのスネイプを見て安心したのか、ふと声を上げた。

「あ、教授…」

ぽろりと漏れたカノンの声に反応したのは、この場で唯一平静を保っているスネイプだけだった。パッとカノンの方を向き、僅かに安堵の色を見せる。
そして素早い動きでカノンの居る場所まで移動し、ファッジから死角になるように立ちはだかった。

「体調はどうだ?」
「えっと、思ったよりも良好です。その、元々怪我はそんなに酷くありませんから」
「それは結構。だが顔色はあまり良く無い…もう一度眠りたまえ」
「あの…はい」

彼女の体調を気遣いながらも、このまま質問をすることは許さないといった様子のスネイプは、サイドテーブルに残ったままの薬を差し出した。
カノンはこういう状態のスネイプにはどんな反論も通用しないことを知っていたので、大人しく彼の手からゴブレットを受け取った。


「カノン」

普段呼ばれることの少ない名前を呼ばれ、カノンはぴくりと肩を跳ねあがらせた。

「知りたいことは次に目が覚めた時に、全て聞かせてやろう」
「はい」
「一つだけ言うならば…そうだな、指導者の秘密は守られた」

スネイプが口にした"守られた"という言葉、そして先程マクゴナガルが言っていた吸魂鬼という言葉。それらを合わせた結果が予想できないカノンではなかった。
バーティ・クラウチはおそらく、吸魂鬼に魂を吸われてしまったのだ。今や言葉を持たない廃人となり…いずれは彼も吸魂鬼と化すだろう。

カノンはこの校内で魂を吸われた人間が居る、という事のおぞましさと同時に、自身の秘密が守られたという安堵を感じていた。


「ありがとうございます、あの、私、寝ます」
「そうしたまえ、良い夢を」

夢も見ずに眠れる薬なのに…とカノンは考えながら、薬を飲み干してベッドに入った。
そして頭を二度三度撫でられる感触を感じ、あっという間に眠りの世界へと落ちた。


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