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ポートキーが競技場へと戻り、3人の身体が地面にたたきつけられる。
カノンはぼんやりとする意識のまま、遠くからダンブルドアとスネイプが駆け寄ってくるのを眺めた。


「あの人が戻ってきました…復活したんです…」

隣でハリーが囁く声が聞こえてくる。カノンがそれを聞いていると、彼女の体を助け起こす人がいた。
その人はゆっくりと優しく、横向きだったカノンの体を上に向かせ、抱き上げた。

「教授…」
「しっかりしろ。どうした、何故ポッターと共に現れた? それに体の傷はどこで…」
「ヴォルデモートが…セドリックを、私…ムーディに送られて…」

緊張が解かれたのと、慣れないポートキーのせいで朦朧としているカノンの意識。うわ言のようにそう言ったと思えば、虚ろだった目はすぅ…と閉じてしまった。

「校長。私はこの子を…」
「うむ、わしの部屋に連れて行きなさい。ハリー、君はここに居るのじゃ。動いてはならぬ」

カノンの力の抜けた体がヒョイと持ち上がる。
ぐったりとした彼女を見た生徒が何人か、ヒソヒソと囁き合ったり甲高い悲鳴を上げたりしている。

「彼女どうしたの?」
「まさか、巻き込まれたんじゃあ…」
「生きてる、よな? 死んでないよな?」


「先生! スネイプ先生!」

観客席の方から、甲高い声が響いた。真っ青な顔でカノンを見つめる、パンジーの声だった。
隣にはドラコも立っていて、彼もまた一層青白い顔をしている。

「カノンは、無事ですか? 生きてますよね!?」
「ああ、外傷は軽い。精神的ショックで気を失っただけだ」
「僕、僕も医務室について行きます」
震える声で言ったドラコに、スネイプはすぐさま言い返した。
「校長が言っていたはずだ。ここを動くな、と。例外は無い」
厳しく突き放され、俯くドラコを尻目にスネイプはさっさと歩き出した。



***



「うう…ん…」

ひと気のない部屋の中で、カノンが目を覚ました。
ふかふかのカウチソファの上に横たわっていた名前1は、身体が先程よりもずっと軽くなっているのに気が付く。彼女はゆっくりと身を起こしながら、辺りを見回した。

「ここは…」
視界に広がるのは、見た事も無いようなインテリアの数々。
きっとインテリアではなく魔法道具なのだろうが、カノンにはそう形容するしかなかった。

「ここは、ホグワーツの校長室だ」
カノンは背後から聞こえてきた声に肩を跳ねさせ、そちらを振り向いた。ぼさぼさの黒髪に、疲れたようなやつれ顔をした男性。1年ぶりに見る、シリウス・ブラックだった。

「シリウス?」
「久しぶりだな、カノン。元気だったか?」
「うーん…」

たった今ヴォルデモート卿のもとから帰ってきたカノンは、曖昧な返事を返した。
シリウスは自分の質問が軽率だったと言うように、目を逸らす。だがカノンは気にせず、彼に話しかけた。

「どうしてここに? 今、学校には、魔法省大臣も来てるんだよ」
「ああ…だが、ここへ来ずにはいられなかった。一体何があったんだ?」
「何がって…そうだ、ムーディ、アラスター・ムーディが、私をあの場所へ送った。そして、そこで…ヴォルデモートが、復活して…セドリックが…」

段々と話にまとまりが無くなっていくカノンの肩に手を乗せ、シリウスは優しく彼女を止めた。

「すまない、無理に話さなくて良い」
「私、何も出来なかった…」
「ヴォルデモートを前に、抵抗できる魔法使いは極めて少ない。命があるだけ大したものだ、気に病むな」
「でも、ハリーは立派に戦った! でも、私は」
「カノン、聞いてくれ。今このホグワーツに、君を攻め立てる人は居ない。皆君を心配している。俺だってそうだ」

シリウスは俯くカノンの頬を優しく包み、正面を向かせた。そして優しく笑い、彼女に言った。

「君が無事で良かった」

カノンはシリウスの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。彼の瞳が優しい色を宿しているのを見て、胸の底から暖かいものが溢れてくるような感覚がした。

「…うん」

震える声を絞り出したカノンは弱々しいながらも、微かな笑顔を見せた。



2人の会話が途切れたその時だった。
校長室と廊下を別つガーゴイルの像が動く音が聞こえる。続いてゴゴゴ…と螺旋階段が動く音が響き、間もなくして部屋の中にハリーとダンブルドアが現れた。

「ハリー! 大丈夫か? やはり、心配していたことが起きた…」

カノンも立ち上がり、よろよろとふらつくハリーを支えるのを手伝った。ハリーをカウチソファに座らせ、カノンは隣に腰かける。
2人の正面では、シリウスとダンブルドアが今あった出来事を話していた。

事件の黒幕が、ムーディに変身したバーテミウス・クラウチ・ジュニアの仕業であることから始まり、彼が起こした事件の一部始終、彼と父親とのトラブル、そしてクラウチ氏の殺害。
その話を聞きながら、カノンは隣に座るハリーの様子を伺った。ぼんやりと虚ろな目をしているハリーは、疲れ切っているようだった。
それもそのはずだ。過酷な課題を乗り切ったと同時に、ヴォルデモートの復活を目にしたのだから。激しい戦いの末にやっとの思いで戻ってきた彼の疲労は、計り知れないだろう。

カノンは何も言わず、ハリーの止血もされていない傷に包帯を巻いた。真っ白で清潔な包帯がシュルシュルと動く。
カノンがカウチに深く座り直すと、隣にいたハリーが少しだけ寄りかかってくる。
ハリーの体重を支えながら、カノンは彼の手を取った。冷え切った手を温めるように握ると、弱々しく握り返してくる。
そしてハリーの膝の上に、軽やかにフォークスが舞い降りた。ハリーのもう片方の手がフォークスの羽を撫でる。

そして、粗方の話が終わったダンブルドアが、ついにこちらに視線を戻した。

「ハリー…君がポートキーで飛んだ後の事を、聞かせてはくれんかのう」
「ダンブルドア、せめて少しだけでも休ませてあげられませんか? ハリーは疲れ切っている。話なら明日の朝でも」

正面にいたシリウスが、ハリーとカノンの背後に移動する。そして両の手でハリーの肩を包み込み、彼を支えた。

「シリウス。わしはのう、ハリーの傷が眠りで癒えるようなものならば、今すぐにでも休ませてやりたい。しかし、今回ばかりはそうではないのじゃ。一度辛い記憶から逃げれば、次も逃げたくなる。次第に向き合う事すら嫌になる。今夜君は、素晴らしい勇気を示して見せた。もう一度だけ、その勇気を奮ってはくれんか?」

ダンブルドアの穏やかだが有無を言わせぬような声に、ハリーは一度大きく深呼吸をした。そして、静かに語り出した。


暗い墓地の中に、セドリックと共に降り立った時のこと。あまりにも唐突な彼の死。未完全なヴォルデモートが復活へと至った経緯。

「僕の血を入れた大鍋から火花と湯気が噴き出して、そして…復活した。あの人は僕の血を使った…僕の血に、母が宿してくれたものがあの人の中にも入ると言ってた。復活したあの人は、僕に触れることが出来るようになっていた」
「ふむ、ヴォルデモートは遂に、きみの母君の守りを克服したのじゃな」

復活してしまったヴォルデモートの異様な見た目。彼の呼びかけに、何人もの死喰い人が姿現しで現れた時の事。
この辺りからカノンにも共通の記憶があったが、ハリーの話には口を挟まなかった。
先程ダンブルドアが言った通り、こうして出来事を語ることでハリーの心が軽くなるからだ。カノンは静かに黙ったまま、ハリーの手を握って話を聞いた。

「あの人は僕と決闘したがっていました。カノンの言った通りだった…僕を狙うなら、部下に殺させるわけがないって、その通りだったんだ」

ハリーはいつの間にか、カノンの白い手を力いっぱいに握りしめていた。カノンは何も言わずにそれを受けとめている。

「僕とあの人の杖がつながったんです。金色の糸が何本も、それから」

そこまで言ったハリーは、ついに声を詰まらせた。震える息を無理やりに押さえつけているようだった。

「杖がつながった?」
「うむ…原因はおそらく、2人の杖の共通点じゃろう。ハリーとヴォルデモートの杖には、同じ杖芯が使われておる。どちらも同じ不死鳥の尾羽…この、フォークスの尾羽じゃ」
「フォークスの?」
「おお、そうじゃよ。2本の杖は兄弟杖じゃった」
「兄弟杖…その2本が出会うと、どうなるのです?」
「兄弟杖は戦う事を嫌がる。無理に戦わせようとすれば、杖は非常に珍しい現象を起こす。片方の杖が、もう片方の杖に今まで使った呪文を吐き出させる…使ったのとは、逆の順番でのう」
「逆の順番?」
「それで、セドリックが」

ハリーが話し始めてから初めて、カノンが声を上げた。
ゴーストと言うには酷くハッキリと、でも自分たちとは明らかに違う形で現れたセドリック。彼だけじゃない。見知らぬ老人や中年女性、そして若い男女カノンおそらくあれは、ハリーの両親なのだろう。

「セドリックだけでは無かったじゃろう」
「はい、老人が、バーサ・ジョーキンズが…それから…」
「ご両親じゃな」

ダンブルドアの静かで的確な一言に、ハリーはこくりと頷いた。

「杖から現れた人たちが、金色のドームの中をぐるぐると回っていました。僕に声を掛けてくれて、父と母はどうすれば良いのかを教えてくれて…セドリックが…僕に、自分の、体を…持ち帰って欲しいと…」

途切れ途切れになった声は、すでに涙声になっていた。
そんなハリーを見て居た堪れないのか、シリウスは両手に顔を埋めている。


「あの、それから、私達、逃げたんです」

黙ってしまったハリーの後を、カノンが引き継いだ。カノンは縋りつくように握りしめられている手をそのままに、ダンブルドアの目を真っ直ぐに見つめた。

「ハリーがつながりを切って、金色のドームは消えました。でも少しの間だけ、杖から出た人たちが残ってくれて…足止めをしてくれたんです。私とハリーはセドリックが倒れている所まで走って、ポートキーである優勝杯を呼び寄せました」

カノンが最後の最後まで伝えて、ようやく今日起こった事を全てダンブルドアに伝えることが出来た。
シンと静まり返る室内で、不思議なインテリアが動く音と、シリウスとハリーの悲しげな息だけが響く。
ハリーの膝の上に居たフォークスが、柔らかな羽音と共に床へと降り立つ。そして包帯に巻かれた傷をじっと見つめる。
カノンは不死鳥の涙がもたらす効果を知っていたので、無言でその包帯を外した。

半透明の美しい涙が、ぽろりぽろりと何粒か落ちる。
すると痛々しい傷跡が、何事も無かったかのように消え去った。

「ハリー、君は今日一日で信じられぬ程の勇気を示してくれた。優秀な大人の魔法使いでも抱えきれぬほどの課題をこなし、戻ってきた。それだけではなく、辛い記憶をこと細かにわしに聞かせてくれた…さぁ、今度こそ医務室へ行こう。今のきみに必要なものは、睡眠と休息じゃよ」

ダンブルドアがそう言うと、ようやくハリーの体から完全に緊張が抜けきった。カノンに深く寄りかかり、深く長く息を吐いた。

「カノン」
「はい」
「君の身に起きた事は、ムーディ先生に扮しておったバーティ・クラウチ・ジュニアから聞いた。よく、無事に帰ってきた」
「…ハリーが居てくれたから、戻ってこれたんです。私は、何もしてません」
「そうかもしれん。じゃが、わしからすればハリー同様に、君も勇敢じゃった。さぁ、共に医務室へ行こうかのう」

ダンブルドアがハリーの背に手をそえると、ハリーはゆっくりとその場に立ち上がった。
カノンも同じように立ち上がり、同じスピードで歩く。

2人の後ろではシリウスが、黒い犬の姿になって付き添った。



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