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柳の下から抜け出したカノンは、数時間前に通った筈のこの道が何だか懐かしく思えた。
そして、遠くに光るホグワーツ城を見てほっとしたのか、その場にがくりと崩れ落ちてしまった。


「大丈夫!? カノン!」

心配したハーマイオニーがすぐに駆けよって来る。

カノンは大丈夫、と言うように笑いを返すが、どう見ても大丈夫じゃない。
だがこれ以上迷惑はかけられない、と思ったカノンは気力を振り絞ってその場に立ちあがった。


「ホグワーツを見て気が抜けちゃっただけだよ。大丈夫」
「カノン、私が肩を貸すから、寄り掛かって歩いて!」

ハーマイオニーはきっと、叫びの館で負傷したカノンに何かと魔法を使わせてしまったことを悔いているのだろう。
カノンは彼女の言葉に甘えることにしたようで、ハーマイオニーに支えられて立っていた。



だが突然、ルーピンの方を見たハーマイオニーが悲鳴を上げた。

「ああ・・・だめよ、先生は今日薬を飲んでいないわ! 危険よ!!」

その言葉の通り、ルーピンの身体は知らぬ間に変化をし始めていた。
身長が伸び、顔は狼のように、手足には鋭く獰猛な爪が。
彼は瞬く間に、血に飢えた完全なる人狼に変貌してしまった。


「逃げろ! 私に任せて、逃げるんだ!!」

シリウスが大声を上げるのと、ルーピンがうなり声を上げるのと、ほぼ同時だった。
そしてルーピンは、目の前に浮かんでいたスネイプに目を向けた。

あのまま放っておいては危険だ、とカノンは瞬間的に思った。
ハーマイオニーの手を振りほどき、スネイプの元へ行って引き寄せる。
浮かんでいたスネイプの身体は抵抗なくカノンの向こう側に移動したが、獲物を狙うルーピンはそれを許さなかった。

カノンはすんでの所でルーピンの爪から逃れるが、次の瞬間にルーピンが腕を大きく振りかぶってカノンの体を打つ。
次いで、彼女の細い肢体が勢い付いて大きな岩にぶつかってしまう。

同時に頭も打ったのだろう、ぐらぐらと覚束ない足取りで、浮遊呪文が解けて地面に伏せているスネイプのもとへと向かうカノン。
だが、彼の安否を確認する前に、カノンはスネイプに覆いかぶさるようにして倒れ込んでしまう。
嗅ぎなれた薬品のにおいのするローブの上で、彼女はゆっくりと目を閉じた。


騒動の中でペティグリューが逃げ、単身で禁じられた森に走っていったルーピンを追いかけるシリウス。
襲い掛かる吸魂鬼と、それに必死に抗うハリーとハーマイオニー。
ペティグリューによって気を失ったロン、同じくして意識を失っているカノン。




スネイプが目を覚ましたのは、一連の流れが終わってからだった。

全員が意識を失い、ルーピンだけが禁じられた森の中にいた。
そして、自分に覆いかぶさり意識を失っている教え子。


「カノン・・・何故逃げていない」

そう言いながら、すぐに彼女の応急手当を始めるスネイプ。
粗方の傷を塞いだ後、事態の収束と、カノンの確実な治療をするべく、彼女らの身体を担架で持ち上げ、医務室へと急いだ。





***





「う・・・・・・んん、いっ、イタタタ、体中が痛い・・・・・・」

カノンが目を覚ますと、最初に彼女を襲ったのは体中を覆うビシビシとした痛み。

それと、ロンと思わしき「カノン? 起きたの?」という声だった。

医務室と思わしき天井が見えたが、身体の痛みがひどく起き上がれなかったため、どのベッドにロンがいるのかはわからなかった。



「うん・・・起きた。スネイプ教授は? ハリーとハーマイオニーは? それから、シリウスとルーピン先生と、あいつ・・・」
「ハリーとハーマイオニーは無事だけど・・・今、何でか消えちゃったんだ。シリウスは捕まってるらしい。それを聞いて2人が何かやってたけど・・・」
「で、スネイプ教授は?」
「僕は見てないけど、残念ながら無事らしいよ」

ロンの言葉を聞きながら、カノンが考え込む。

「シリウスが捕まった・・・って、ペティグリューは」
「逃げた。ルーピンが人狼になっちゃった時にさ。だからシリウスはアズカバンに逆戻り・・・うわっ!」

事態を説明していたロンがいきなり声を上げた。

「君たち、今消えて、今入ってきた・・・」というロンの声と
「いいから静かにして、何も言わないで。」とハーマイオニー。


カノンも何事かと首を持ち上げるが、首から背中にかけて激痛が走り、おとなしく枕に顔をうずめた。
するとばさばさと隣のベッドが動く気配がして、カノンはなんとかそちら側に首を向ける。
カーテンで遮られていなかったそこには、随分と疲れた様子のハリーが横たわっている。

「ハリー?」
「あ、カノン、気がついたんだね。後で全部話すから、今は僕とハーマイオニーがずっとここにいたって事にしておいて」
「う、うん」

カノンは、2人ともマダム・ポンフリーに怒られるのがそんなに嫌なのか、と思った。
あんな大騒ぎがあったのに医務室を黙って抜け出すなんて、大した勇者だ。とも。

だが、彼らの言う真の恐怖はポンフリーではなかったのだ。



カノンがポンフリーの手を借りながら、やっとの事で上体を起こす。
そして彼女の手からホットチョコレートを手渡されると、それにふうふう、息を吹きかけながら飲む。
大人しいカノンに満足したのか、ポンフリーは次に巨大なチョコレートの塊を持って、ハリーとハーマイオニーのもとへ歩いて行った。

ポンフリーお手製のホットチョコレートはとろけるように美味しかった。
甘くて香りの良いチョコレートにミルクが入っているだけだが、カノンは直ぐにその味が好きになり、自分からおかわりをしていた。

ポンフリーはようやく、素直にチョコレートを飲むカノンに向かって笑みを見せたが、外が騒々しい事に気づきまたもや眉間に皺を寄せた。


外から聞こえる怒声はずんずんと近くなり、医務室の扉がバーン!!とけたたましい音を上げて開かれた。

カノンは入ってきた人物の表情を見て顔を真っ青にした。

そう、先ほど話題に上がったセブルス・スネイプその人だったのだ。
彼はすっかり怒りに感情を支配されているようで、目をギラつかせてベッドに座っている顔ぶれを確認した後、ハリーに向かって一直線に進んだ。


「白状しろ、ポッター!!! 貴様何をした!!」

すさまじい怒声が響きわたる。
カノンは自分が言われているわけでもないのに「ひぃ」と声を上げ、怯えてシーツを頭からかぶってしまった。
日頃彼に甘やかされて育ったスリザリン生は、実は一番スネイプの怒りに弱いのかもしれない。

カノンは、シーツの中から彼の怒声に身を竦ませている。
だがスネイプはそんな彼女の様子に気づく事なくハリーを責め立てる。

彼はハリーがブラックを逃がした張本人だ、と主張していた。
薄々だが、カノンはその予想は間違ってはいないだろうと思ったが、とてもではないが口を挟めるような空気ではなかった。

果敢にも怒り狂ったスネイプに言い返したのは、マダム・ポンフリーだった。

校長先生が直々に鍵をかけた医務室から、誰にも気づかれずに抜けだし、ブラックを逃がす手段を用意し、実行した後医務室の中に戻って外側にある鍵をかける。

・・・なんて芸当は出来るわけがない。


スネイプの横に立っていたコーネリウス・ファッジ魔法省大臣も、その意見に同意らしく、素っ頓狂なことを言い出すスネイプを驚いた目で見ている。
だが、ダンブルドアだけは愉快そうなキラキラした目で事態のゆくえを見ていた。

しばらく喚き倒し、自分の言っている事がまるで聞き入れられていないということを感じ取ったスネイプは、鼻息荒く医務室を出て行った。

マダム・ポンフリーは更に果敢に校長と魔法省大臣を医務室から追い出し、今度は内側からガッチリ鍵を閉めた。
彼女の雄姿を見るに、きっとポンフリーは在校中はグリフィンドール生だったのではないかとまで考えさせられた。


そして彼女が医務室の明かりを弱くして事務室に戻ると、カノンが涙声で3人に訴えた。


「やだぁ、スリザリン寮に戻りたくない・・・」



またもや泣きだしそうなカノンを見て、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人はクスクス笑いが止まらなくなった。

・・・と、同時に、彼女を心から可哀想だとも思った。






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