15





暴れ柳の根元から延々と続く、狭いほら穴。
ハリーたちが直立することもできないような狭い通路を、中腰のまま進むのは中々に大変だ。

中でも、カノンは体力の消耗が激しかった。
普段は意識させないが、一年前まで聖マンゴに入院していたのだ。
しかも今は、クロが牙を突き立てた肩から、少ないとは言えない量の血が流れている。止血しているとは言え、応急処置に過ぎないそれでは彼女の顔色は悪くなる一方だった。


「見て、あれ・・・出口じゃない?」

前方に見える、ぼんやりとした光源。杖先に灯した明かりを地面に向け、慎重に歩いていく。

ハリー、ハーマイオニー、カノンがようやく穴の出口にたどり着き、その穴から這い出す。
すると、出た先は見覚えのない古い部屋の中につながっていた。
木製の家だが、そこらじゅう劣化が激しく、とうてい人間が住んでいるとは思えない場所だった。

木は腐り、ところどころ落ちている。壁には謎の傷や獣の爪痕のようなものがおびただしく残されており、かつてはこの屋敷を飾っていたであろうテーブルやチェアも、無残にもバラバラに折られていた。


玄関ホールのような場所を抜けると、床板に分厚い土やほこりの層ができていることがわかった。
その埃に、何かを引きずった跡が残っている。これは先ほどクロに引きずって連れていかれたロンのものだろう。

その跡を追いかけながら、3人は杖先に灯していた明かりを消した。

「見て、きっとあそこだ・・・杖を構えて・・・」

静かに囁くハリーが指さす方、とある一室から弱い光が漏れている。
カノンとハーマイオニーがハリーの言葉に頷き、杖を構えて警戒態勢を取った。

「いち、にの、さん!」という掛け声で部屋の中に飛び込むと、部屋の隅に座り込んでいるロンを発見した。


「ロン!」
「ロン・・・あなた、大丈夫なの!?」
「傷がひどい、私よりもロンを医務室に連れていかなくちゃ」

彼を見つけるや否や、駆けよって安否を確かめるハーマイオニー。
だがロンはそれに応えることなく、ハリーやカノンが立っている方を指差し、震える声を出した。


「あ、あいつだ・・・犬じゃなくて、アニメーガスだったんだ!」
「アニメーガス?」

ロンの言葉を復唱して振りかえるカノンとハリー。
すると、どうだろう。3人の背後には、扉の影に隠れていたであろう男が立っていた。

今年に入り、新聞や手配書で何十回・何百回と見てきた顔。
そう、シリウス・ブラック本人がそこに居たのだ。


ブラックは、3人が入ってきた扉を乱雑に閉めると、ニヤリと歯をむき出して笑った。
狂気じみたその表情に、カノンたちは身を震わせる。
一瞬にして大人の魔法使い13人を木っ端微塵にした罪で投獄されていた男に、未成年の魔法使いが4人でどう太刀打ちすればよいのか。
ピタリと動きを止めてしまったが最後、カノンとロンを庇ってブラックと対峙していたハリーとハーマイオニーの杖が、ブラックの放った武装解除呪文によって手元を離れてしまった。

「ハリー・・・なるほど、聞いた通りお父さんにそっくりだな」

まるで数年来の友人に語り掛けるような口調のブラック。
ハリーはその一言を聞いた瞬間、はじけ飛ぶようにブラックへと突進した。

「こいつが、父さんと母さんを殺したんだ!!」

無謀にも恐ろしい大量殺人犯に対して素手で立ち向かおうとするハリーを、なんとかこちらへと引き戻す。
だが、今ここでまともに動けるのはハリーとハーマイオニーくらい。そんな中でハリーをハーマイオニー一人で抑え切れるはずもなく、彼はハーマイオニーの手を振り払ってブラックへと掴みかかった。


だが、ブラックは痩せているとはいえ成人している男性。
魔法を使わずとも、ハリーよりも力が強いし、手足も長いのだ。
彼はあっという間にハリーを捕らえると、ハリーの首元を掴んで距離を取った。

その瞬間、カノンは服の下に忍ばせてあった杖を素早く突きだした。

「レラシオ!」

呪文と同時にブラックの腕に火花が走り、ハリーが自由になる。
カノンはその隙にハリーを力いっぱい後へ追いやると、再びブラックに杖を向けた。


「やあ、カノン。君は今学期じゅう、この哀れでみすぼらしい犬をずっと世話してくれたな」
「私、人生最大の過ちを犯してしまったみたいだね」



毅然とした態度でブラックに杖を向け続けるカノン。
彼女が杖をヒョイと動かすと一瞬、ブラックの顔が強張ったが彼女の放った呪文は、ブラックが予想していたものとは違っていた。

ブラックの手にあった杖、ハリーの杖が元の持ち主のもとへ帰ったのだ。
ハリーはその杖を握りしめ、先程よりも強い憎悪を浮かべてブラックの喉元に杖先を突き付けた。


「俺を殺すのか、ハリー」
「お前は、父さんと母さんを殺した」
「ああ、俺のせいだ。だが、君は誤解をしている、俺の話を聞くべきだ」
「黙れ!!」

そう叫んだハリーの声は震えていた。
カノンはというと、ブラックの言葉選びに妙な引っかかりを感じ、つい反射的にハリーを抑えた。


「カノン?」
「ごめん、ちょっと待って」

ハリーは、カノンを凝視していた。
せっかく両親の仇を討つチャンスなのに、と彼の目が物語っている。

「お優しいお嬢様は、可愛いペットが殺されるのを黙って見ていられないようだな」

彼のその言葉に、黙っていたカノンも厳しい表情を取り戻し、ブラックをキッときつく睨んだ。

「勘違いしないでね、私は貴方に情けをかけるつもりは無い。けど、友人の手を罪人の血で汚したくないの」
「カノン・・・でも、そんな事言ってたら」
「ダラダラとブラックを生かしていた魔法省が悪い。丁度、ホグワーツには吸魂鬼も魔法省の役人もいるんだから。脱獄囚にふさわしいのは名誉の死じゃなく、吸魂鬼に魂を吸われて廃人になることだよ」


冷たく言い放つカノン。
吸魂鬼、という言葉を聞いて明らかに怯えたブラックを見て、ハリーも納得がいったらしい。

だがカノンは、またしてもブラックに対して違和感を感じていた。
この脱獄囚は、何が目的でこのホグワーツに長いこと潜入していたのだろうか。
関係者たちが囁いているようにハリーを殺しに来たのであれば、もう既に何度もチャンスは巡ってきていた。
それでも彼はハリーに進んで危害を加えようとしない。

それどころは、吸魂鬼と聞いて怯えているにも関わらず、抵抗する様子がまったく見えない。

互いに探りを入れているかのような、妙に静まり返った空気、その静けさだから聞こえたのだろう。
階下から何者かの気配と音がした。
ホグワーツの教員か、または魔法省の人間か。どちらにせよ誰かがこの状況に感づいて、駆けつけてくれたのだろう。

カノン同様に物音に気付いたハーマイオニーは、大きな声を上げた。

「私達はここよ!お願い、助けて!シリウス・ブラックがここにいるわ!!」


よく通るその声が届いたのか、階下から足音が近づいて来る。
身を固めたままのブラック、そのブラックから決して視線と杖先を外さないカノンとハリー。

そして、ついに部屋の扉が勢いよく開け放たれた。



ぜえぜえと息を切らして現れたのは、ルーピンだった。
ハーマイオニーとロンが「ルーピン先生!」と声を上げると、ハリーとブラックもそちらを向いて驚きを露わにする。

ルーピンは部屋中に視線を駆け廻らせると、即座に武装解除呪文を唱えた。


「エクスペリアームス!」

だが、その呪文はあろうことかハリーとカノンの杖を弾き飛ばした。
この状況で、カノンとハリーから武器を取り上げる意味。それが理解できぬほど、カノンは愚鈍ではなかった。

咄嗟にハリーの腕を引き、ブラックとルーピンから距離を取る。
魔法使いが相手では、少し距離が開いたところで大した問題ではないかもしれないが。

ルーピンは、あの凶悪犯を目の前にして生徒の杖を奪っただけでなく、あのブラックと何かを含ませたような会話をしている。
かろうじてカノンの頭に情報として入ってきたのは、ルーピンが「シリウス」と凶悪犯を親しげに呼んだことだった。


「ど、どういう事なんですか!?」

ハリーが大声で大人2人の会話を掻き消す。
そしてカノンも同様に、ルーピンに対して訝しげな視線を送った。
だが、ルーピンはそれらに応えることなくブラックの手を取り、そのまま助け起こしたのだ。

その行動に絶句していたカノン、ハリー、ロンだったが、ハーマイオニーは突然「なんて事なの!?」と叫びを上げた。

そしてハーマイオニーは、ガタガタ震えながらルーピンを指差し「先生はその人とグルなんだわ・・・」と語り始める。
彼女が口を開くと、ルーピンは明らかに動揺してハーマイオニーの言葉を遮ろうとする。
だがハーマイオニーは、その言葉を止めなかった。

「わ、私、先生のために黙っていたのに・・・」
「ハーマイオニー、頼むから落ち着いて、説明する!」

何かを弁解しようとしているが、この状況でいったい誰を信じろと言うのか。

「先生はブラックと仲間だったんだ! 僕、信じてたのに!」
「それで、ブラックが城に入る手引きをしていたのね! 先生は、狼人間なのよ! 私達を騙していたんだわ!」

狼人間、その言葉が響き渡り、今はブラック以外の視線がルーピンを見ていた。
ルーピンは青白い顔だったが、パニックには陥っていなかったようで、ハーマイオニーの言葉を静かに否定した。

「私は確かに、シリウス・ブラックを知っている。だが、彼を手引きした事は一度も無い。彼と一緒に、ハリーを狙った事も。・・・狼人間であることは、否定しないよ」

静かな声だったが、静まりかえったこの部屋では、痛いほど耳に響いた。


「そうか・・・それで、ルーピン先生から時々獣の匂いがしたんだ・・・」

俯き、静かに呟くカノン。それは以前、彼女がルーピンに問いかけた不可解な疑問の答えだった。
その言葉に頷いたルーピンはカノンに一歩近づく。だが、その歩みはロンの言葉によって掻き消された。

「カノンに近づくな!狼人間!!」

ロンの言葉に足を止めたルーピン。
そして同時にカノンも、一歩後ずさりした。

ルーピンはほんの少し、切ないような顔をしたが、誰も気づかないうちにその表情を押し込めた。
そして落ち着き払った声でハーマイオニーに問いかけた。

「いつから、気づいていたんだい?」
「ず、ずっと前から・・・スネイプ先生が、人狼のレポートを出した時から・・・」

カノンは以前、闇の魔術に対する防衛術の授業でスネイプが教鞭をとっていた事を思い出した。

確かに、あの時課題になったのは人狼について。
そしてスネイプは人狼の"見つけ方"と"殺し方"をレポートのテーマとしていた。

ハーマイオニーは更に、彼の"病気"が月の満ち欠けに関係している事や、ボガートがルーピンの前で満月に変化したことからルーピン=狼人間というものが可能性から確信へ変わったのだと、言った。


「警戒していたよ。ハーマイオニーはそれでも私の事を黙っていてくれると思った。だがカノン、君はスリザリン生だ。きっと、怪しく感じたら抜け目なく私を監視するだろうと思ってね、特に注意を払っていて正解だった」

ルーピンは皮肉っぽく言う。

確かに、カノンにはハーマイオニーのような"お人よし"な部分が無い。
自らや親しい人間に害が及ぶ前に、どうにかして彼を遠ざけるだろう。


「図らずしもブラックを匿っていたことと同じくらい、貴方に疑問を持たなかったことを悔やんでます」
「君は気づかなかった。しかし正直焦ったよ、君があの質問をして来た時は」
「もっと問い詰めておけば良かったですね」

カノンは片眉を上げて笑みを形作るが、その瞳は鋭い眼光を携えたままだった。

「ダンブルドアは、私をホグワーツに招き入れるのにかなり苦労をして下さったらしい」
「そして、ダンブルドアは間違っていたんだ! お前は、ブラックがホグワーツに入る手引きをしたんだ!!」

声を荒げるハリー。だが相変わらずルーピンは落ち着いており「仕方が無い」というように首を横に振った。


「私は、ブラックに手を貸したことは無い。訳を話すから、聞いてくれないか?」
「僕らを散々騙していたくせに、良く言うぜ! ハリー、こいつの話を聞いちゃ駄目だ!」

怒りに満ちたハリーとロン。
だがカノンはルーピンの顔を見て、またもや先程の感覚に陥った。

隠し事をしていた、だがこの人はあのダンブルドアを完全に欺けるような人なのだろうか。
人狼と言うのは事実らしいが、確かにそれを全校生徒に発表する必要はない。
そんなことをすればパニックに陥るし、保護者からの抗議も凄まじいものになるだろう。



カノンは頭の中でいくつか思案すると、スッと顔を上げる。
そしてハリーに向かって「ハリー、話を聞くべきだと思う」と告げた。



「カノン!?」

静かに、だがハッキリ言いきったカノンにロンとハーマイオニーは驚きの声を上げる。
2人だけではない。この場にいる全員が彼女の発言に驚愕していた。ハリーやルーピンまでもがカノンの顔をじっと見つめている。

「私は、先生を疑いきれない」
「何言ってるんだよカノン!!」

思わず声を荒げて反論するロン。
だがカノンはルーピン以上に落ち着いた様子で話し続けた。


「この1年、先生は常に教師として私達を見守っていた。少なくとも私は、見守られていたように感じた」
「ああ、君達の命を狙うなんて、考えた事もない」

真っ直ぐ瞳を見つめてルーピンに問いかけるカノンに、ルーピンもまた真剣に答えた。

「でも、こいつはブラックの味方だ!」

今度はハリーが、カノンに噛みつくように言った。
だがカノンは変わらぬ態度でハリーの叫びに答えた。

「さっき、そのブラックだって私達に話をしようとしてた。"話しを聞くべきだ"って、君にそう言った。ブラックがその気になれば、いつだって一瞬で殺せたはずだよ。相手は僅か13歳の魔法使い4人なんだから」

冷静でいて、強い光を持ったカノンの瞳に3人は言い返せなかった。
彼女の言う通り、悪名高い大量殺人犯と防衛術の教諭が揃っていて、若干13歳の魔法使い・・・それも、半数は深手を負っているのだ。そんな4人組を始末できないわけがない。

ルーピンはカノンに微笑み、そして彼女に「ありがとう」と言った。

「よし、こうしよう。君達に杖を返す。そして私の杖は彼女に渡す。これで、私は丸腰だ」

ルーピンは自分の言葉の通り全員の杖を返し、カノンには自分の杖も共に手渡した。


「さて、やっと話ができるな」

4人は、固唾を呑んでルーピンの言葉を待った。





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