12
風が吹き荒び、身を切る寒気に人々が肩をすくませる二月のある日。
ホグワーツ魔法魔術学校は、冬の空気に負けないほどの熱気に包まれている。
生徒の殆どが今か今かと待ちわびていた、クィディッチの試合当日だからだ。
グリフィンドールVSレイブンクローの試合。
以前吸魂鬼騒ぎで大敗を喫したグリフィンドールが、優勝争いをするためになんとしても大差をつけて勝利したい一試合だ。
今日ばかりは、いつも談話室に篭っているカノンも競技場へと赴いている。
試合前からハリーと「もしも吸魂鬼が出たら追い払う」と約束しているからだ。
ドラコの解説を聞き流すのが面倒だと思ったカノンは、ひっそりとグリフィンドール生の中に混じっている。
隣で応援にヒートアップしているロンを尻目に、彼女はグラウンドに視線を向けた。
試合開始してから、すぐに猛攻を仕掛けたのはもちろん赤いユニフォーム。
グリフィンドールが誇るアンジェリーナ、アリシア、ケイティの三人が、見事なチームワークでクァッフルをパスし合っている。
双子のビーターは今日も絶好調らしく、フィールド内を素早く飛び回っては、レイブンクローの選手に向かってブラッジャーを叩きつけていた。
そして、キーパーであり、チームキャプテンのオリバー・ウッド。彼もまた集中し、飛んできたクァッフルを確実に叩き落してゴールを守った。
極めつけは、新たな箒を操るハリーだ。
フィールドの中を誰よりも自由自在に駆け巡り、急旋回、急降下を繰り返してレイブンクローのシーカーを翻弄している。
そんな、手に汗握る試合に、観客席も自然と沸き立つ。
カノンは、自分を取り巻くグリフィンドール生の熱気に気圧されていた。
「すごいね、こんなに盛り上がるものなんだ」
「そりゃあね、今回は特に最高だよ! なんたってあのファイアボルトが・・・君なんでここに居るんだい」
活き活きと解説して見せたロンだったが、隣に座る彼女をチラと見て怪訝な顔をする。
グリフィンドール生の中に一人だけスリザリン生。それは二度見されても仕方がない。
「スリザリンの盛り上がり方は少し合わなくてね。それより、あの箒本当にすごいんだね、ルールが分からなくても面白いよ」
「ファイアボルトはすごいなんてもんじゃないよ、もう、芸術品だね!」
依然としてフィールドを見つめるロンが、そう熱弁する。
クィディッチにも箒にも興味の無いカノンでも、ファイアボルトの美しく整った形状は確かに美術品のようだと納得できた。
するとグリフィンドール生の一人が「あっ!」と声を上げてフィールドを指さす。
周りの生徒がなんだなんだとそちらを見ると、フィールドの真中に黒いフードを被った何者かがうごめいていた。
吸魂鬼にしてはノロノロと地を這うように動いているが、ハリーとの約束を果たす為、カノンは最前列で杖を構える。
「エクスペクト・パトローナム!」
彼女の杖先から放たれた大蛇の守護霊が、黒いフード目がけて一直線に飛んでいく。
驚くことに非有体ではあるが、ハリーも自力で守護霊の盾を発現させている。
ルーピンにでも習っているのだろうか、ハリーはそのまま旋回し、上空へと急上昇して行った。
観客はみな、吸魂鬼らしき姿など気にも留めずにハリーの姿を追う。
カノンでさえもどんどん小さくなっていくハリーの背を見続け、そして遠い空で、彼が手に金色のスニッチを掴んだのを目撃した。
その瞬間、競技場が爆発的な歓声に包まれる。
カノンがグリフィンドール生の一団のなかにいるからそう思うのだろうが、事実、体中にその振動が伝わってくるほどだ。
試合終了のホイッスルが鳴ると同時に、選手たちが地上に降りて集まる。
皆がお互いを称えあい、ハリーの背をバシバシと叩いていた。
観客席で観戦していたグリフィンドール生も下へと降りていく。
それに流されるようにして、カノンもグラウンドの方へと向かった。
先程守護霊呪文を発動させたとはいえ、この沸き立つ歓喜の中に吸魂鬼が居ては危険だと思ったからだ。
未だ楽しそうにバタバタ滑りまわる守護霊が、主の姿を見てカノンの方に戻ってくる。
彼女の足元にとぐろを巻いて付き従う姿に、数人の生徒が「ひっ」と恐怖の声を上げた。
が、それよりもカノンの視線を引いたのは、守護霊よりもむこうの光景だった。
憤怒の形相を掲げた、ミネルバ・マクゴナガル教授が仁王立ちしている。
彼女がギロリと睨む先・・・地面には、なにやら黒いローブをまとった者が転がっている。
この中で地面に伏せるなど、吸魂鬼ではありえないその姿。
カノンはそれが「人間」それも自分が知っている相手なのだと、初めて気が付いた。
もそもそと黒いローブの中から這い出してきたのは、スリザリン寮のマーカス・フリント。
そしてドラコ、クラッブ、ゴイルの四人だった。
マクゴナガルから叱咤と処罰を言い渡された彼らは、不満顔で立ち上がる。
すると今度はカノンが、その四人につかつかと近づいて行ったのだ。
背後から歩み寄り、まずはマーカス・フリントのローブを掴んでこちらに振り向かせる。
彼の顔が見えた瞬間、カノンは腕を振りかぶり、見事なフォームで平手打ちをかました。
スパァン、と響く、澄んだ打音。
その音に反応したクラッブとゴイルの横面も、同様に叩いていくカノン。
最後に、ポカンとした表情でカノンを見つめるドラコが残る。
彼は「何故彼女がここにいるのか」と不可解そうな顔をしていた。
カノンは友人だろうが容赦はなく、彼のネクタイを掴み、今日一番の音をそこに響かせた。
「この、恥知らず」
「何で・・・クィディッチの試合は見ないんじゃ・・・」
「吸魂鬼のふりをして何がしたかった? ハリーの調子でも狂わせようとした? なんて卑劣で、愚かで、浅ましい!」
頬を押さえて唖然とする四人の顔を見渡し、カノンは鋭い目を更にギラつかせて睨みあげる。
「よくもそんな事が出来るな! 何が誇り高きスリザリン生だ、その名に泥を塗るのがそんなに楽しいか!? 彼等は、正々堂々と戦った・・・跡形もない傷をひけらかして悪天候の試合から逃げるような卑怯者とは違う!」
マクゴナガル以上の激情を露わにしながら、四人にハッキリと言い放つ。
スリザリンの名を継ぐ者としても、彼らの同寮生としても、怒りが堪えられないのだろう。
「卑劣と狡猾を履き違えるような輩とは、金輪際、話もしたくない!」
それだけ言うと、カノンは守護霊と共に足取りも荒々しく立ち去って行く。
後に残されたグリフィンドール生たちは、数秒間の静寂ののち、彼女の主張を「よく言った」と褒め称えた。
こうして、今までミステリアスなイメージだった彼女の存在が、多くのグリフィンドール生のもとに広く知れ渡ったのだ。
***
全校生徒が興奮の最高潮を体感したクィディッチの試合から、ちょうど一週間が経った。
先週とはがらりと変わり、ホグワーツの中はピリピリした警戒心で満たされている。
なんでも、クィディッチ試合のあった日の夜、この城に再びシリウス・ブラックが侵入したらしい。
それからというものの、先生方は皆顔を緊張させて警備しているし、グリフィンドールの寮付近には警備トロールまで配置されている。
これでは「シリウス・ブラックは噂通りハリーを狙っています」と認めるようだと、カノンはふと思った。
そんな中、カノンは普段のようにスリザリン寮談話室のソファに座って読書をしていた。
だが、いつもと違うのは一緒にいる友人の姿。
ドラコとは未だに仲違いしたままのようで、彼女の隣にはなんとあのパンジー・パーキンソンが座っている。
クリスマス・プレゼントの一件以来、カノンへのイメージを改めたらしいパンジーは、ちょこちょこと彼女に構っているようだ。
カノンから贈られたエメラルド・グリーンのブレスレットを毎日つけ、何かと話しかけている姿が見受けられる。
もともと相手を敵対視していたのはパンジーのみであったので、彼女の態度さえ軟化すれば、仲良くなるのに時間はかからなかった。
「またシリウス・ブラックの侵入、ねぇ・・・吸魂鬼、意味あるのかな」
「あんまり無いわよね。うっとおしいだけだわ」
魔法省が用意した吸魂鬼も、生徒に危害をくわえそうになるばかりで、肝心のシリウス・ブラック確保には何の役にも立っていない。
そもそも彼は一度アズカバンの吸魂鬼から逃げ果せた人なのだ。この広い敷地内で潜むことなど造作も無いことだろう。
それに、シリウス・ブラックはグリフィンドール寮に侵入して、あろうことか何もせずに逃げたらしい。
世間を賑わせた「13人殺害の残虐な魔法使い」ならば、幼い魔法使いが騒いだところでいくらでも目的は果たせそうなのに、だ。
カノンは妙な違和感を感じながらも、ぽつりと本音を漏らした。
「・・・別に実害が無いなら、脱獄囚がどこで何をしようと構わないんだけどね」
「あんたって言いたい放題言うわよね。それ、グリフィンドールのオトモダチが聞いたらうるさいわよ」
「言う訳ないでしょ。そこまで馬鹿じゃありません」
カノンが話を切り上げて、眠たげな目を瞬かせる。
するとパンジーがなにやらモゴモゴと、言いづらそうに新たな話を切り出したのだ。
「ねぇ、あんたにこう頼むのは、正直嫌だし癪に障るんだけど」
「・・・じゃあ頼まないでよ」
「仕方ないじゃない! ドラコがしょんぼりしてるのよ!」
噛みつくような勢いのパンジーに気圧されながらも、カノンは聞き返す。
「そろそろドラコと仲直りしてあげてくれない? 彼、目に見えて落ち込んだままなのよ。なんだか可哀想になってきちゃって」
パンジーが告げたその言葉。それには、カノンも覚えがあった。
あのクィディッチの試合から、元気が無いドラコの姿が何度も見受けられたからだ。
相変わらずグリフィンドール生には悪態をついているらしいが、ちらりとカノンを伺っては、寂しそうにため息を吐いているらしい。
「パンジー、少し勘違いしているよ。私はドラコと喧嘩をしてるんじゃなくて、彼を見限ったの」
冷たい表情で言い放ったカノンに、今度こそ諦めのため息をついたパンジー。
そして、がっかりした顔でブツブツと文句を言った。
「前はあんたとドラコが一緒にいるの、すごく気に食わなかったのに・・・」
「良い事だと考えたら? スリザリン生たるもの、欲しい物を手に入れるための好機は逃すもんじゃない」
ニヤリと笑ったカノンは、悪戯っぽく笑いながらパンジーを横目で見る。
実にスリザリン生らしい言い草に、パンジーもまたニヤリと笑みを浮かべた。
「まぁ、あんたと喋るのは嫌いじゃないわよ」
「それはどうも。私は最初に会った時からパンジーの友達のつもりだったけど」
さらりとカノンが言うと、驚いた顔になるパンジー。
だがすぐに面白そうに笑い「一方的ね」とだけ言った。