Cafe & Bar 〜Sky Rosa〜 【3】
キバナside


先日ナックルスタジアムで行われたエキシビション・マッチから一ヶ月が経った。

あれから、オレさまは一週間に一度のペースでスカイローザを訪れていた。シエラさんの仕事が終わる1時間ほど前に店に行き、横長のソファとローテーブルのある個室でのんびりと食事をしながら彼女を待つ。
そして仕事を終えた彼女がオレさまの待つ個室に現れると、ようやくお楽しみの時間になるのだ。

彼女が微笑みながら、オレさまの愚痴をひたすら聞いてくれる。オレさまはそんな彼女にベタベタに甘え、日々溜まったストレスを発散する。その時の体勢は日によってまちまちだ。
ソファに座ったシエラさんに膝枕をしてもらったり、ぎゅうぎゅう抱き締めてもらったり。最近は彼女をソファに座らせ、オレさまは床に直座り。そして彼女の膝に頭を乗せて、両手で撫でてもらうのがブームだ。
まるで飼い主に甘えるパルスワンのようだと自分でも思うが、これが中々に良い。
本当にしんどい時なんかはシエラさんに思い切りもたれかかって、柔らかくて温かい胸に受け止めてもらうのが最高に癒される。だが少しでも気力が残っている時だと、どうしても性的欲求が刺激されてしまうのだ。
親身になってオレさまを慰めてくれる彼女にそんな欲望を抱くのは、自分の中ではちょっとしたタブーであるように思っている。そりゃあ彼女の体の感触を思い出して、彼女を抱く想像をしながら自慰をすることはあるが…あくまでオレさまは癒されに来ているのであって、下心ありきでは彼女に対して失礼だ。


今日もシエラさんは、オレさまがぶちぶちと呟く愚痴のひとつひとつに「うん、うん、大変だったね、我慢できてえらかったね」と耳がとろけるような甘い声で相槌を打ってくれている。
オレさまが頑張ったことを彼女は理解してくれ、そのたびに「いいこいいこ」と頭を撫でてもらえるのだ。
褒められたい一心で手伝いをして、母親に報告しに行く子供のようだと思う。

「最近、すっかり我慢強くなったね、キバナくん」
「だろ〜? オレさま、失礼な記者にだってちゃんと笑顔で対応してるんだぜ。あいつら、手のひら返して『トップジムリーダーにふさわしい風格』とか書いててさ、笑っちまったよ」
「キバナくんが頑張ってる証拠だよ」
「こうしてシエラさんがオレさまのこと褒めてくれるから、頑張れるんだぜ」

そう言いながら彼女の太ももに頬ずりすると、シエラさんはくすぐったそうに「ひゃふふ」と変な声で笑った。
そしてすぐに、オレさまの頭とほっぺたを優しい手で撫でてくれた。撫でられたところからじんわりとした温かさが伝わってきて、死んでいた細胞が復活したかのような錯覚さえ感じた。ああー、オレさま、生きてる。

この一ヶ月ですっかり彼女に依存しきったオレさまは、もう彼女なしでは生きる気力が保てないだろう。
もっと深い仲になりたい、彼女を堂々と独占できる立場になりたい。そうは思っても、拒絶されるのが恐ろしくて「好き」という気持ちを口に出せなくなってしまっていた。
もしも彼女に拒絶されてしまったらどうしよう。この、ぬるま湯に浸かってうたた寝するみたいな心地良さを手放さなければならない日が来たらどうしよう。そんな不安を紛らわすように、オレさまは彼女の足にしがみついた。

「オレさまがこうやって弱音吐けるの、シエラさんの前だけだ…」

だから、どうかこの居場所をオレさまから取り上げないで。
そんな願いをこめた一言に、シエラさんは「わたしも、こんなに甘やかしちゃうのはキバナくんだけだよ」と返してくれた。そっか、オレさまだけか。
嬉しくなったオレさまがちらりと彼女の顔を見上げると、シエラさんは今日も女神さまみたいなキラキラの微笑みを浮かべていた。



***

シエラ side


ここのところ、キバナくんが飼い主によく懐いたウィンディのように見えてしまう。
相手に怪我を負わせないようにと巨大な身体をゆっくり動かして、慎重に擦り寄ってくるところなんかそっくりだ。そこまで考えて、私は「トップジムリーダーに向かってなんてことを」と首を振った。

先日、ナックルスタジアムでキバナくんを全力で慰めてから、キバナくんは週に一度は私に会いに来るようになった。ストレスの溜まり具合は日によって違うが、本当にしんどい時は私に抱きついたまま何も喋らないで1時間呼吸するだけ、とかもある。
今日はそこまでストレスを溜め込んでいるわけでは無いようだ。床にペッタリと座ったキバナくんが、ソファの上に座っている私の太ももに顔を乗せて色々と近況を話してくれている。
最初こそ「キバナくんを床に座らせるなんて!」と思ったが、確かにこの体勢はお互いに楽なのだと最近分かった。キバナくんは無理に身体を縮こまらせなくてもいいし、私にも彼の重さがかからないから疲れない。

成り行きでこういう謎めいた関係性になった私とキバナくんだが、私はもはや「こうなったら最後まで責任もって、彼のストレス解消人形になるしかない」とすっかり腹をくくっていた。
元はと言えば私が中途半端に彼を甘やかしたせいで、精神的に不安定だった彼は私に依存することとなった。誰が悪いかと問えば、間違いなく私だ。
相手のためを思ってキッパリと振り切ることができないならば、せめて彼の精神が安定するまで見守るのが私に出来る唯一のことだろう。そんな日が来たらと思うと、本音は、ほんの少し寂しく感じる。だがしかし彼は私ごときが独占していいような存在ではないのだ。

しかしここ最近、こうしてキバナくんに甘えてもらえるのが嬉しいと感じる瞬間が、着実に増えていた。


「オレさまがこうやって弱音吐けるの、シエラさんの前だけだ…」

私の足に縋りつきながらとろけた顔でキバナくんが言うものだから、私の心臓はドキリと面白いくらいに跳ね上がる。彼の瞳はうっすらと潤んでいて、まるで「捨てないで」と訴える仔犬のようだと感じた。
私の前でだけ。そんな一言に、自分の中に欠如している自己肯定感がみるみるうちに満たされていくように思えた。これはいけない、私がキバナくんに依存しそうだ。

私は胸の奥で燻り始めた感情に急いで蓋をした。
きっと、この気持ちは放っておいたらあっという間に大きな炎になって、私の身を内側から焼き焦がすだろう。その頃には、もしかしたらキバナくんは私のことなどすっかりどうでも良くなっているかもしれない。

でも、もしも彼が、この先ずっと私に縋り付いてくれるなら。そんな悪いことを考えた私は、一抹の望みを託して「わたしも、こんなに甘やかしちゃうのはキバナくんだけだよ」と本当の事を言った。



***



さて、あんなやり取りをしてから半月ほどが経過した。
私はというと、今年のジムチャレンジが二ヵ月後に差し迫っていることで多忙な毎日を送っている。まだ二ヶ月ある。しかし、あと二ヶ月しかない。
私がこのスカイローザをオープンさせてから、一年に一度のジムチャレンジという祭典でも重要な役割を貰えているのだ。

ジムチャレンジ中は数多くの運営スタッフや関係者、そして各ジムリーダーとジムトレーナー、そしてチャレンジャーが活動する。
その中で、彼らがバトルの合間に口にするケータリングの一部を私が手配するのだ。
もちろん、夥しい量が必要なのでうちの店だけでなくマクロコスモス・フーズを始め数々の協賛企業が手配をしてくれる。担当が分かりやすいように、去年から各ジムに担当者が数名配属されることになっている。
そのなかで、私は奇しくもナックルスタジアムでの勤務を言い渡された。これは何かの策略だろうか。

だがしかし実際にナックルスタジアムに行くのは、ジムチャレンジが始まる三日前からだ。
それまでは、どんなメニューをどれだけ作るのか。今年のジムチャレンジャーはだいたいどれくらい居るのか。そういった大きな計画から、アレルギー対応食はどうするか、ポケモンフーズはどこの会社のものを購入するか。と、数え切れないほどの打ち合わせをしなくてはならないのだ。

そんな私はここ2週間、ずっと自分の店に顔を出せていない。
もちろん業務日報には目を通しているし、閉店時間の店に駆け込んでその日あったことを引き継いでもらったりという時間は設けている。それに、スカイローザで働くスタッフたちは皆優秀なので、私が長期間にわたって留守にしてもしっかりと店を切り盛りしてくれる。なんて素晴らしい従業員たちなのだろう。


私が心配しているのは、キバナくんだ。
あれだけ頻繁に会っていた彼と、もう2週間会っていない。ストレスを溜めこんでいなければいいのだが。
週に1度会っていた時は、時折彼から電話がかかってきて「明日いるか? 何時に仕事終わるんだ?」と聞かれることが多かったが、最近は「今週は出勤予定が無い」と私が答え、キバナくんに「そっか」と返されて通話が終わっている。
キバナくんは私に気をつかってくれているようで、休日の私を呼びつけることは決してしない。
ならば、どうにか時間を捻出できないものかと寝る間も惜しんで仕事を片付けてみても、次から次へと新しい課題が舞い込んでくるのだ。過密スケジュールを把握するだけでも一苦労で、私もオリーヴさんのような秘書が欲しいと何十回願ったかわからない。今日は何時間眠れるかな。お風呂に浸かる猶予はあるかな。

ぼうっとした頭で、私はローズタワーのエントランスに居るコンシェルジュに分厚い茶封筒を手渡した。
ローズさん宛てです。と伝えれば、私の顔を覚えてくれているスタッフが「お疲れ様です、シエラさん。確かに承りました」とスムーズに受け取ってくれる。
とりあえずこれで、急ぎの締め切りのものは全て片が付いた。
私は自身が愛用している厚めの手帳と腕時計を確認し、数時間は休憩が取れそうだと確認する。

ふらりと覚束ない足取りで、スカイローゼの店舗に隣接した扉に手をかけた。
『STAFF ONLY』と書かれたその向こうは、スカイローゼのバックヤードに繋がっている。自宅に帰る気力もないし、オーナールームで仮眠を取ることにしたのだ。
少し重めのドアを開けようと力を込めた瞬間、私の顔の真横に太い腕が伸びてきた。ドン、と鈍い音を立ててドアに突き立てられたその腕は、見覚えがある。キバナくんのものだ。

そろりと背後を振り返ってみれば、真顔で私を見下ろすキバナくんが立っていた。
これ、いわゆる壁ドンってやつかぁ。体格差がありすぎて、ときめきより先に恐怖が来る…と、疲れた頭で考えながら「こんにちは、キバナくん」と気の抜けた挨拶をした。
彼は無言のまま私をじっと見つめ、そしてバックヤードへの扉をガッと開いて私をその向こうに押し込んだ。
ああ、エントランスからざわめきが聞こえる。ふええ、私なにも悪いことしてないよ…


キバナくんによってオーナールームに連れて来られた私は、部屋の中のソファでキバナくんに抱き潰されていた。いや、いかがわしい意味ではなく。むぎゅう、と抱き締められたままソファに倒れこんでいるのだ。
彼の体重が容赦なく圧し掛かってくるが、意外と平気なものだ。もしかしたら、キバナくんが他に体重を逃してくれているのかもしれない。
私に抱きついたまま、黙り込んで首元に顔を埋めるキバナくん。これはかなりストレスが溜まっている時のキバナくんだ。やっぱり申し訳ないことをしたなぁ。

体温の高いキバナくんに抱き締められ、何を話すわけでもなく黙ったまま呼吸を整える。そのうちに、体力の限界を迎えつつあった私は瞼が重くなってくるのを感じた。
でも、キバナくんに一言でもいいから何か言ってあげなければ。ほったらかしにしてゴメンね、とか。
そう思った瞬間、キバナくんがへろへろに震えた声で「嫌われたかと思った…」と小さく呟いた。

「え?」
「全然会ってもらえねえし、店にもいねえし、オレさま、嫌われたかと思ったんだぞ」
「ご、ごめんね」

忙しすぎて彼に対するフォローをすっかり失念していた。こういう訳で忙しくなるから会えないよ、と理由を話しておけばよかったなぁ。
キバナくんはゆっくりと顔を上げ、私の方を見る。超至近距離で見る彼の瞳は、今にも決壊しそうなほどに涙で潤んでいた。

「最初に言っておけばよかったね…実は、再来月のジムチャレンジシーズンの準備で大忙しで」

まるで言い訳をしているみたいだ。と思いながら、決して私の意志でキバナくんを避けていたわけではないのだと訴える。するとキバナくんはズッ…と鼻を啜ってから「嫌いに、なってねえ?」と私に聞いてきた。

「嫌いになんかならないよ」
「ほんとに?」
「うん、嘘じゃないよ。会えて嬉しい」

そう伝えてキバナくんの頬を撫でれば、彼はようやく安心したようにへにゃりと笑う。
目が細まったことで、彼の目に溜まっていた涙が雫になってぽたりと落ちる。その雫が、涙を浮かべるキバナくんがあまりにも綺麗で、私は全身の肌がゾクゾクと粟立つのを感じた。

「指、ひんやりしてるな」
「そう? ごめんね」
「んー、今日はオレさまが温めてやるよ」

疲れが身体に表れているのだろう。血の巡りが悪くなって冷える指先を、キバナくんの大きくて温かい手が包み込む。すごい、ガーディのお腹まわりくらい温かい。


しばらくそのままの体勢で近況報告をしていると、キバナくんの機嫌もすっかり落ち着いたようだった。
彼は私を見つめながら申し訳なさそうな顔で「こんなに隈ができるくらい忙しいのに、我が侭ばっかり言ってごめんな…」と言ってくれた。
正直、今の私を彼に見られるのはあまり嬉しくない。睡眠不足だし、肌は荒れているし、隈だってすごいし、挙句の果てに昨日はお風呂に入れていない。
私は自分がシャワーすら浴びていないことを思い出して、じたじたとキバナくんの腕の中から逃げ出そうとする。しかしキバナくんはそれを許してくれなかった。ムッと眉を寄せて「何で逃げるんだよ」と文句を言う。

「や、その、昨日シャワー浴びてなくて…気になるから、離れてほしいなって」
「んん、やぁだ」

甘えて駄々を捏ねるような声色で、キバナくんは再び私の首筋に顔を埋めた。しかも、彼はわざとその場所で深呼吸をしているように感じる。やめてください死んでしまいます。

「フフッ、いい匂いだから大丈夫だぜ」
「うう…」

もう、今の私にはこのじゃれついてくるウィンディ…違った、甘えんぼモードのキバナくんと攻防を繰り広げる体力など残っていなかった。もういい、キバナくんがしたいようにすればいい…
会話がひと段落したことで、一瞬おさまっていた眠気が大波のように押し寄せてくる。
しぱしぱと乾く目を擦ると、キバナくんがとろとろにとけた声で「擦ったら、目ぇ悪くなるぜ?」と私の手をやんわり掴んだ。

「んん、ねむい…」
「寝るか?」
「ねる…」
「じゃあ、オレさまも帰るな。寂しいけどよ」

キバナくんが遠くで何か言っているが、なんだか水の中でそれを聞いているような音にしか聞こえない。
急速に落ちて行く意識のなかで、私はこの温かさを手放したくなくて「やだ…キバナくん、お布団になって…」と言い残して意識を手放した。




数時間後に目覚めた私は、顔を真っ赤にして「アノ、オハヨウ!」とペラップみたいに喋るキバナくんを見て「また余計なことをしてしまった気がする」と悟った。

ドラゴンストームを掛け布団にするなんて、とっても罪深いことをしてしまったなぁ…


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