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ハッピーエンド・オン・ザ・ミー


「じゃあ、俺は先に出るから。愛してるよ」

 ぼくの好きな人は、嘘を吐くのが上手だ。


「おはようございまーす…」
「ああ、おはよう。今日も早いな」
「いえ、クラウスさんに比べたら全然そんな」
「私は世話があるのでね」
「…ああ、これ。大きくなりましたね」



 あの人に続いて出社すると、そこのボスでもあるクラウスさんが迎えてくれるのはいつものことだ。その頃にはもうすっかり太陽が出ているので、陽射しがまるで後光みたいに見えて、神のような人だなあ、なんて思ってしまう。
 人類最強とも呼ばれるその人が、外見の取っ付き難さとは違いとても優しい男性であることは限られた人しか知らないのだけれど。
 もちろん、ぼくが言うあの人とは彼のことではない。それでも一番彼に近く、そしてぼくから遠い人。
 ザップのように遅刻をすることは滅多にない、それどころかぼくよりも先に来ているのが殆ど当たり前のような人だ。殆ど、と言ったのは例外もあるから。そして今日は、その例外の日だ。行き先を知っているのは他の誰でもないぼくなのだけれど。

「その、今日はスティーブンは」
「ああ、遅れると思いますよ。今日もお得意様のところです」
「…すまない」
「謝らなくていいですって。もう慣れてますし」


 笑い飛ばすように言っても、クラウスさんの表情は優れない。優しい人だからこそ、ぼくを気遣って心配してくれているのだろう。
 お得意様というのは、女性に限られている。あれだけ魅力的な人だ、男性からのアプローチもないことはないらしいが、男性とそういうことをするつもりはないのだろう。
 じゃあなんでぼくなんかと関わりを持っているのか、と問われればそれは退屈凌ぎのようなものだろうと思っている。
 はっきり聞いたことはないので真偽の程はわからないが、そもそもそんなことを聞くほどの関係ではないのだ。
 好きな人とは言ったが、ぼくたちは付き合っているわけではない。まったく関わりを持たないわけではないし、お招きがあればスティーブンさんの立派な家で食事を共にすることもある。でも、それだけだ。たとえ一緒に寝ることがあったとしても、そこの男女間のような寝るは適用されず、文字通り寝るだけなのだ。
 ぼくのもとから離れる時に軽くキスはされるけど、それ以上のことはない。家族というか、親愛のキスのようなものだろう。もちろんぼくはそれで満足しているし、今の関係に不満はない。が、目の前のクラウスさんはそうでもないらしい。



「坊ちゃま、眉間に皺が」
「むっ、す、すまない」
「大丈夫ですって。心配してくれたんですよね」
「…その、君はそれでいいのだろうか?」
「大丈夫ですよ、仕事だってわかってるんで」
「…そうか」

 納得がいったわけではないのだろうが、さっきよりも表情が和らいだクラウスさんに隠れて笑う。今日もギルベルトさんの紅茶は格別だ。
 クラウスさんは、ぼくとスティーブンさんの関係を気に掛けてくれている。そうやって気にしては、度々ぼくのことを心配して。
 きっと、クラウスさんのような人を好きになっていたら。たとえ結ばれなかったとしても、好きになるだけで幸せだったのだろうなと思う。
  まあ、片想いが一番楽しいというしぼくは本当に強がりでも意地を張っているわけでもなく、今の現状に満足しているのだ。




「君がいいと言うのなら。…しかし、もしなにかあれば」
「はい。真っ先にクラウスさんを頼ります」
「私でなくとも、他の誰かでも構わない」
「そうですねー、でも今のところ一番頼りになるのはクラウスさんなので」
「! そ、そうか」

 嬉しそうに微笑んだクラウスさんにぼくも思わず笑顔になってしまう。出会ったばかりのぼくなら、クラウスさんが微笑んでいる表情にも気付けなかっただろう。ここまで染まってしまったものだ。
 お世辞でもなんでもなくて、本当に頼りになるのがクラウスさんだということに間違いはない。他の人も気付いてはいるだろうが、ぼくとスティーブンさんの関係を知る人はクラウスさん、そしてギルベルトさんぐらいなのだ。
 スティーブンさんとの時間を一番長く共にすることはできないけれど、こうしてクラウスさんと共にギルベルトさんの紅茶を飲みながら他愛ない話をするこの時間も、ぼくにとっては幸せのひとつなのだから。




「や、やあ」
「ああ、スティーブンさん。お疲れ様です」
「うん。…君は、もう帰るのかい?」
「そうですね、もうやることは終わりましたけど。なんか手伝います?」
「いや、いいんだ。君の手を煩わすほどの仕事じゃない」

 スティーブンさんがぼくに声を掛けてきたのは、殆どの人が仕事を終えて帰った後だった。もちろん軽い挨拶などは交わしていたが、わざわざスティーブンさんのほうから話し掛けてきた、という前提で、だ。
 仕事を手伝うまでもないと言うわりには、ぼくを送り出そうともしないし、なにか言いたそうにこちらを見ている。
 はじめて見ない表情というわけでもないが、いつも自信たっぷりにてきぱきと指示を出すいつものスティーブンさんからは程遠い。
 ここで気の効く人間なら、ご用件は、と一言だけでも聞くのだろうが、さっきも言った通りぼくにできるような仕事はないみたいだし、なにかあればぼくの携帯のほうに連絡があるだろう。
 そんな薄情なことを思いながら挨拶をして立ち去ろうとしたぼくに、やっと開かれたスティーブンさんの口から出た言葉は意外なものだった。



「この後、用事はあるかい?」
「…はあ。まあ、帰ってごはん食べるぐらいですかね」
「よかったら一緒に食べないか」
「いいですけど。スティーブンさんの家で待ってればいいですか?」
「ああ。買い物は俺がして帰るから、君はいてくれるだけでいい」
「わかりました。じゃ、お先に失礼しますね」


 こうしてお誘いがあることは、なにも珍しいことじゃない。珍しいことではないが、こんな風に改まって誘ってくるスティーブンさんは、はじめてだった。
 記憶を辿っても特別な記念日ではなかったはずだし、珍しく予定がなかったのかもしれない。スティーブンさんは、ぼくと違って忙しい人だから。
 これで今日の寂しいひとりごはんからは免れたわけだし、これ以上詮索する必要もないかと思いぼくはスティーブンさんへの家へと向かった。




「…ただいま、いるのかい?」
「おかえりなさい。いますよー」

 そしてスティーブンさんが帰ってきたのは、ぼくがスティーブンさんへの家へと着いてから数十分後のことだった。
 買い物を済ませると言った通り、袋の音を立てながら帰ってきたスティーブンさんは、いつも通りスーツで決めているのに、買い物袋を持っているそのギャップに思わず笑いそうになってしまって口元をおさえた。
 そんなぼくを不思議に思ったスティーブンさんにこれ以上悟られないように、スティーブンさんからその買い物袋を引ったくる。
 こうしていると、まるで一緒に暮らしているみたいだなあ、とも思う。そんなことはきっとこれから先もないと思うのだけれど。
 買い物袋からごはんの材料であろうものたちを取り出して、あることに気が付いた。



「あれ、スティーブンさん。これって」
「君、日本食が好きだって言っただろ? ちょっと勉強したんだ。試してみたくてね」
「…はあ、どうも」
「でも、俺だけじゃわからないところもあるだろうからよろしく頼むよ。先生」
「…好きなだけで、そこまで精通してるわけじゃないんですけどね、ぼくも」


 まあまあ、と上着を脱いだスティーブンさんがエプロンを手渡す。それもいつから用意していたのか、スティーブンさんが身に着けるものと色違いだ。
 まったく料理をしないわけではないしどちらかといえば得意なほうではあるが、ぼくは料理をする時にエプロンはしない。変なこだわりがあるわけではなく、ただ単純に面倒なだけだ。
 その旨を伝えても、いいからいいから、とスティーブンさんに着けさせられてしまった。まるで親子のようだな、とも思ってしまう。
 まあ、特製のローストビーフはないけれどたまにはこういうのもいいのかもしれない。そう思いスティーブンさんの隣に並んだ。



「ごちそうさまでした。おいしかったですよ」
「君も作っただろう? でも、おいしかったよ」
「そうですね、久し振りに食べました。今度レオナルドにも作ってあげようかな」

 妹さんへの仕送りのために、バイトの掛け持ちまでするほどだ。給料日前なんかは切羽詰まっているはずだし、あの様子だと嫌いなものはなさそうだけれど一応聞いておこう。
 そう思っていると、向かいに座るスティーブンさんがいきなり立ち上がった。そしてそのまま、ぼくの腕を掴む。ぐいっと引っ張られてしまっては、ぼくも立つしかないわけで。そしてぼくの腕を引いて、スティーブンさんは歩き出した。


「スティーブンさん?」
「話がある。向こうで」
「あの、皿洗いがまだ」
「そんなものは後でいい。俺がやるさ」

 向こう、とはベッドルームのことだろう。何度も訪れたこの家がたとえ広くても覚えた。
 でもぼくの手を引くスティーブンさんの力はこれから寝ると思えないほど力強いし、食べてすぐ寝たら太りますよ、なんて言い出せそうな雰囲気でもない。
 ぼくがなにも言わなくなったことによって、無言で降ろされたふかふかのベッドは気持ちいいはずなのに、なぜか居心地は悪かった。


「今更確認するまでもないと思うが…念のためだ。俺たち、付き合っているんだよな?」
「…はっ?」
「ん?」
「えっ、付き合ってるんですか」
「…付き合ってないのか!?」



 がたん、という物音はスティーブンさんが勢いよく立ち上がったためだろう。珍しく声を荒げるスティーブンさんは貴重だが、それより驚くべきことが今は他にあった。
 いや、いきなり話があるって言われて付き合ってるだの付き合ってないだのって。そんな恋人みたいなやり取りさせられても。あ、でもスティーブンさんは付き合ってるつもりだったからそのつもりなのか。
 いつものスティーブンさんからは想像も付かないほど、口を開けて驚くスティーブンさんはそれこそK・Kさんが見れば指差して大笑いでもしそうなほど間抜けには見えるけれど。


「君は俺のことが嫌いなのか…?」
「好きですけど。でも付き合ってない認識です」
「なぜだ?」
「別に付き合ってくれって言われたわけでもないですし」
「えっ」
「えっ、言いました? 記憶にないんですけど…」


 ぼくの記憶障害でなければ、告白すらもされてなかった気がする。いや、もし付き合ってくれと言われたならばそれは告白として取れるだろうが、それも言われた記憶がないのだから結局ノーカンだ。
 じゃあなんでこんな関係になってるのかと言うと、それは付き合わなくても成立するからだ。…と、少なくともぼくは思っていたのだけれど、表情を見る限りスティーブンさんの見解は違うらしい。

「愛してるって言っただろう!?」
「挨拶みたいなものだと思ってました」
「じゃあ君は挨拶であんなことを言うのか…?」
「ぼくは言わないですけど。スティーブンさんなら言いそうだなって」
「そんなこと、」
「それに、付き合ってるって言うなら、なんで手出してこなかったんですか?」



 それまで威勢のよかったスティーブンさんが、ぴたりと喋るのを止めた。どうやら図星というやつらしい。
 スティーブンさんは立ったままだし、ぼくはベッドに脚を組んで座っているので、スティーブンさんを問い詰めているようでちょっと気まずい。
 せめて姿勢でも崩そうかと思ったその瞬間、スティーブンさんがゆっくりと口を開いた。


「君に手を出す自信がなかったんだよ」
「…はい?」
「嫌われたら、と思うとね。情けない話だが」
「そんな、処女じゃあるまいし」
「ははっ。そうそう、そういう君を好きになったんだよ。俺は」

 少し困ったように笑うスティーブンさんは、もういつも通りに戻ったように見えた。というか、面と向かって好きと言われたのもはじめてかもしれない。
 仕事で女性とそういうことをしていても、ぼくの顔が過って最初の頃は大変だったとも教えてくれた。ちゃんと仕事してくださいよ、と言えなかったのはスティーブンさんの顔がほんのり赤く、本当に恥ずかしがっているのだとわかってしまったからだろうか。


「…じゃあ、スティーブンさんはぼくとそういうことをしたいって、思ってくれてるんですか?」
「君が嫌なら、」
「今はスティーブンさんに聞いてるんです」
「…したくないわけ、ないだろう」
「それを聞いて安心しました」
「? どういう、」

 ぼくはベッドから立ち上がって、スティーブンさんの腕を思いっきり引っ張った。スティーブンさんがぼくをここまで連れてきた時のように。
 普段ならぼくのような軟弱者がスティーブンさんに敵うはずもないが、ふにゃふにゃに気の抜けたスティーブンさんを崩すことなど簡単だった。
 そのまま自分を下敷きにするようにスティーブンさんを受け止めて、大きなベッドに深く沈む。
 驚いたように瞳を見開くスティーブンさんを見て、ぼくは賭けに出た。


「今、ドキドキしてます?」
「…ああ、してるよ」
「さわりたい、ですか?」
「正直言うと、早く君に思う存分触って、暴れてやりたいね」

 ぼくを押し倒すような状況になってスイッチが入ったのか、スティーブンさんの瞳に炎のようなものが灯ったように見えた。まあ、そうさせたのは紛れもないぼくなのだけれど。
 これ以上挑発する必要もないと思うが、自分でもスティーブンさんが本音を晒け出してくれたことが嬉しかったのかもしれない。スティーブンさんの脚を服の上からそっと撫でれば、スティーブンさんの身体がもっと密着する。
 これ以上ないほど存在を主張するそこを押し付けられるように緩く動かされ、ふっと息が漏れた。
 手を伸ばし、スティーブンさんの首元に腕を絡ませる。まるで抱き着くように。そんなぼくの突然の行動に止まったスティーブンさんに、あとは起爆剤をしかけるだけだ。



「…したい」

 ぐっと顔を近付けて、耳元で囁く。くっとスティーブンさんが笑ったのがわかって、思わずぼくも笑った。
 熱い手で抱き着いたぼくの腕をほどかれて、優しい眼差しに見つめられた次の瞬間、荒々しいキスをお見舞いされる。
 ああ、きっと食べられてしまうんだろう。骨も残らないぐらいに。そう思える余裕があるうちに、ローテーブルに置かれた電気のリモコンに手を伸ばす。
 でも、それごとクラウスさんの脚に弾き飛ばされて行き場をなくしたぼくの手はスティーブンさんによってベッドの上に引き戻された。
 少しの隙間から舌を差し入れられ、口の中をぐちゃぐちゃに掻き回される。息をうまく整えられないぼくにその動きを緩めた隙に、シャツを軽く捲られるような感覚に身体がびくりと跳ねた。
 どうせ寝るだけだろうと思っていた楽なスウェットは、この状況になって果たしてよかったと言えるのか、それとも悪いのか。
 下着ごと掴まれるように中途半端に脱がされ、ぼくのそれが晒け出されてしまう。


「今、君の大事な、ここ。出てるけど?」
「そうですね。遅すぎるぐらいだと思いますけど」
「…言ってくれるね」




 煽るように言ったぼくへの仕返しなのか、中途半端に脱がされたそこを決して動かされることはなく。
 期待はしているもののなんの反応も示さないそこにそっと触れられる。緩くなったキスに再び力が入り、それに比例するようにぼくの大事なところを包み込むように触れているスティーブンさんのそれが、ゆっくりと動かされた。
 もどかしい動きに揺れるぼくの腰に気付いて、スティーブンさんが自らを楽にしようとベルトに手を掛ける音がした。きっとその下はぼく以上に、窮屈を訴えているのだろう。
 ちゅっと唇を吸うようにキスが終わって、唾で光る唇をいやらしく舐めてスティーブンさんが笑った。



「覚悟してくれよ。今夜は寝かさないからな」

 上等です。言葉はいらないかわりに目を閉じて、そっとスティーブンさんに身を委ねた。





fin.



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