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バスタブのうそ、猫の足


「どうした、ザップ。この俺が舐めさせてやると言っているんだ」

 そうやって俺より高い位置から、下着すら纏わない姿で見下すこの人に、俺は逆らえないのだ。これからも、これまでも。きっと。



「どうした、やけに反応が悪いな。はじめてでもないだろう」
「…いや、別にいいんすけど。まだここ来たばっか、」
「なんだ、キスのひとつでも欲しかったのか?」
「今からあんた食うってのに、いいんすか?」
「ほう、だんだん学はついてきたようだな。却下する」


 そう言ってにやりと笑う目の前のあんたに俺が溜め息を吐くのは、これで何度目だろうか。
 こうやって出迎えられるのは、なにもはじめてではなかった。どうせやることなんざ一緒だ。そのタイミングがいつであろうが、そんなこと俺たちには関係ない。
 脱いだ上着をその辺に放り投げて、あんたの足を取る。まずは爪先から舐めて、だんだんその範囲を広げてゆく。
 これまで色んな女とやってきたが、毎回足を舐めさせるなんてことをやらせたのはこのひとがはじめてだった。
 そもそも俺が男に手を出すなんて前の俺に言おうものなら泣くほどバカ笑いしていただろうが、真実なのだ。
 同じ男とは思えない綺麗な肌に、あいつと同じ匂いが香るたびに、俺はこの罪を刻み付ける。
 だから決まって、他のことなんてなにも考えられなくなるほど俺はこれに没頭するのだ。

「どうした、あいつのことでも思い出したか?」
「…はっ、よく言うぜ。わざとやってるくせによお」
「さて、どうだかな。血を分けた兄妹だ、同じ匂いがしても不思議ではあるまい」
「あんたはこんないい匂いしなかったね」
「そうだ、それでいい。外のお前なんて、俺は殺したいほどに嫌いなんだ」


 すっかり敬語の抜けた俺を引っ張り、そのままベッドの上へと連れ込む。押し倒されるように心地の良いベッドに沈み込んだ俺の上には、さっきと同じく全裸のあんたが乗っている。
 もう幾度となく重ねた身体はそれだけで反応し、それを目敏く見つけたあんたがその上に押し付けるようにして揺れた。服の上から。
 水っぽい音を増した俺のズボンの上であんたのそれが染みを作って、それに触れようと伸ばした俺の手をぱしんと払った。
 いつだって優位に立っていたいこのひとは、お願いなしに触らせてくれたあのひととは違うのだ。
 …まるで、あいつとこのひとは違うのだと、言い聞かせるかのように。



「今すぐあんたの中にぶち込んで、ぐっちゃぐちゃになりてえ」
「許可しよう。くれぐれも、お前の立場を忘れるなよ」
「へーへー。…言われなくても、わかってるっつーの」

 子供のように渋々返事をした俺の言葉になにも言わないのをいいことに、窮屈になったズボンのチャックを下着ごと引っ掴んで下げれば、そのまま入口にぴったりと付けて軽くその場で当てるような動きを繰り返す。
 俺がこのひととはじめてやり始めた時からそうだった。俺はこのひとを慣らしたりした記憶なんてなくて、気付いたらこのひとはできあがっている。
 きっと、俺が来るタイミングをわかったうえで見計らってやっているのだ。ひとりで。このひとは俺と違って、おそろしく頭のいいひとだから。
 はじめて会った時もそうだった。俺とあのひとが罪を犯すきっかけとなった、あの時でさえも、このひとはおそろしくおれの先を行っていた。



「…ん、リア? 上がったのか〜…?」
「おはよう、セフレくん。残念ながら俺はリアじゃない」

 第一印象は最悪だった。やるのははじめてじゃない、比較的気に入っていた女に珍しく誘われて家に上がった時のこと。
 ヤリ部屋じゃないのでクスリはなかったが、酒ならあった。ひとりぐらしでやけにいいとこ住んでんなと思ったら、兄と一緒に住んでいるのだと言った。
 リアには付き合っているひとがいた。付き合いがある、といったほうが正しいのかもしれない。俺もよく知るひとだった。
 そのひとが多忙を極め、時には他の女性と付き合いがあることもリアはわかっていた。わかったうえで、あのひとを選んだ。
 リアは単純にいい女だったので、俺はすぐにリアと関係を持ち始めた。俺はあのひとには絶対に勝てないけれど、あのひとよりもずっとリアを知っていた。
 そして、昨夜やったばかりのリアのベッド。耳元でやけにいい声が響いた時、俺は裸だった。



「おはよーザップ…って、お兄ちゃん! 帰ってたの?」
「ああ、今日に限ってなぜかトラブル続きでね。仕事ができないもんで、今日は休みになった」
「言ってくれれば用意ぐらいしたのにー! あ、ザップ。紹介するね。お兄ちゃん」
「リア、とりあえず彼に服を着せてやったらどうだ。俺の使ってないのがあっただろう」
「あっ、そっか! ちょっと見てくるね!」
「それじゃ、俺は飯を用意しとくよ。簡単なものしかできないけど」
「お兄ちゃんのごはん大好きだからいいよー」


 おおよそ、妹のベッドで全裸の男を目の前にして交わされる会話ではなかった。
 そうやってのほほんとした会話を交わしたあと、リアに渡された服を着てからようやく一息つけた俺を、リアは笑っていた。
 笑顔のお兄さんを見た時、怒ってるんじゃないかと思うほど綺麗だった。美人は怒ると綺麗だって言うし。いや、美人はなにしても綺麗なのか。
 同じ男とは思えないほど綺麗なそのひとは、簡単だと言っても作ってくれたのはエッグベネディクトとか言うシャレたやつだった。俺がいつも付き合うような女なら、まず朝からここまでのものは出してくれない。
 リアと俺が食うのを見ながら、ただひたすら笑っていた。なにが楽しかったのかはわからないが、俺はどうやら嫌われてはいないみたいだった。
 そうだとわかったのは、その後もちょくちょくここに足を運ぶようになってからだ。
 俺がリアとやることやっても怒るわけでもなく、いつも俺のぶんまで朝ごはんを用意してくれていた。さすがに家にいる時にはやらないようにしていたが、ばれていないわけがない。
 ふたりだけで会うこともあったし、その時は決まってリアの話をした。




「セフレっていうからどんなやつかと思ったけど、良さそうで安心したよ」
「どっすかねー。ひとは見かけに寄らないっすよ」
「大丈夫だよ。少なくとも、本命のあいつよりは、な」
「…知ってるんすか?」
「仕事の付き合いでちょっと、な。今思えば、その時からリアのこと狙ってたんだろう」

 迂闊に連れてった俺が悪かったんだ。そう言う静かな声とは裏腹に、持っていたグラスにぴしりとヒビが入った。それを気にせず炭酸水を飲み干して、ふうっと大きく息を吐いて。
 このひとは、リアの本命のひとのことが大嫌いだった。リアとどういう目的で付き合いを持っているかを、すべて知っているのだ。俺と同じで。
 でも、同時にリアのことが大好きだった。大好きな妹にお願いされては、別れさせることはできなかったのだろう。
 だから、俺と関係を持つことにも口出しはできなかった。それでも会うまでは安心できなかったと笑ったけど。


「リアのことをよろしく頼むよ、ザップ」
「うまい飯も出るし、断らない理由がねえっすよ」

 それがただの口約束となってしまったのは、それから数日後のことだった。
 あのひとによって与えられた仕事を、俺たちがこなす。無駄のないあのひとの采配は、最小限の被害で抑えられるはずだった。
 だけど、俺の、俺たちの知らないところで、あまりにも身近すぎるその悲劇は、起きてしまった。
 俺の攻撃によって影響を受けた建物の一部が崩壊し、瓦礫になり、それがリアの身体を潰した。
 あのひとに褒めてもらったの。よりにもよって嬉しそうに語った綺麗だというその瞳を抉るように。
 その報せを受けたのは、俺がリアへ連絡を取ろうとしたその時だった。



「…ザップ、顔を上げてくれ。お前のせいだなんて言うつもりはないよ」
「あんた、」
「いや、違うな。お前のせいだけじゃない」
「どういう、意味…」
「ザップ、俺たちは今日から、共犯者だ」


 お前だけに罪を被せるつもりはない、守ってやれなかった俺も同罪だよ。
 あまりにも優しすぎる声で説かれるその言葉に、気付いたらあのひとの唇を許してしまっていた。
 俺を呼ぶ声も、瞳も、その綺麗な顔も。褒められたと嬉しそうに語られたその顔も、すべてはこのひと譲りの理由だったのだと。
 気付いてしまった。リアが大好きでたまらないあのひとが、本当は誰を好きなのかも。
 それでも、俺にはこのひとの動きを止めることができなかった。セフレでも、俺はリアのことが好きだった。リアはちょっと笑って、あのひととお兄ちゃんの次に大好きよ、と笑ってくれた。俺はうるせえと笑いながらリアにキスをした。幸せだった、と思う。
 でも、リアはどうだったのか。今となっては、俺がリアと同じ世界に行かない限りわかる術はない。
 だからこうして、今日も罪を犯している。俺が何回も行為を重ねた、この、リアのベッドで。
 リアとよく似たあんたが、リアのベッドの上で、リアに好かれていた男に汚される。
 …それこそが、俺たちの犯す罪、なのだと。今度こそ、このバカみたいな約束を口約束で終わらせないために。



「なにを、考えて、る?」
「…はっ、あんたと、同じ、だろうよっ」
「っ…そうか。似た者同士、だな」
「つーか、最中に喋るのやめろって言ってんだろ」
「それならお前が黙らせてみたらどうだ?」
「言ってくれんじゃねーの」


 緩めだったその揺さぶりを強くして、ラストスパートをかける。さすがに少し声は洩れたが、俺の背中に爪が立てられることはない。それがこのひとのプライドだ。
 抜き差しを繰り返して、最奥でぴたっと止めてその欲を吐き出せば、ふうっと息を吐いたあんたが俺を見る。
 こんな時でも一切変えないその表情はうっすらと笑みを浮かべていて、リアとはまったく違う笑顔なのに、なぜだか懐かしい気持ちになる。
 でもな、頭のいいあんたでも知らないことが、ひとつだけあるんだよ。
 あんたをどれだけ欲しても手に入れられなかったあのひとより、身体の関係だけでも、たとえそれが共犯者であったとしても。あのひとよりあんたに近いというだけで、くだらない優越感に浸ってる俺のことなんて。


「…風呂にゆっくり浸かりたい。ザップ」
「…へーい。仰せのままに」




 決して洗い流せない罪を持って、俺たちは今日も蛮行を繰り返す。この生という地獄を終わらせる、いつか見ぬ、その日まで。
 その長い睫毛を見せ付けるように伏せて微笑んだあんたが、猫みたいだと思った。





fin.



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