小説 | ナノ

摘むための花


フラッシュバック。
何かのきっかけで、過去の出来事が、映像として脳裏をかすめる。
伸ばされた手はまるで恐怖そのもの。

「スティーブン」

頭に響く幻聴が、スティーブンの体を縫いとめる。
絡め取るように、過去へと誘う。

「スティーブン」

いやだ、やめてくれ。どれだけ願っても、叶えられはしなかった。大丈夫。怖くない。大丈夫だよ。宥めるような声。肌に触れる、湿った手のひら。ぶらりと肌が粟立つ。快感などでは決してない。それは、嫌悪からだ。

「スティーブン」

呼ぶな。呼ばないでくれ。俺を、もう解放してくれ。絶叫。叫んだつもりでも、それは音に鳴らず、喉の奥に消えていった。

「スティーブン」

やめて、やめて、やめて。
お願いだから、どうか。頼むから、後生だから。もうわがままも言わないし、逆らったりしないから。だから――だから。
俺に触らないでくれ、養父さん。





スティーブン・A・スターフェイズは、孤児であった。
一番古い記憶は、薄汚いスラムだ。汚い毛布に包まれて、誰かの胸で泣いていた、そんな記憶。
スラムでは子供たちが徒党を組み、協力しあってなんとか生活できていた。気まぐれな慈悲や、ごみ漁り。落ちている小銭拾いや、窃盗は、リスクが高すぎるのでスティーブンが所属するグループでは忌避されていた。スティーブンという名前は、グループのリーダーにつけてもらったと聞いたことがある。スティーブンが拾われる前に死んだ、親切な浮浪者の名前だったのだという。
生きるのに必死だった。食べることに困れば、盗みを働くこともあった。他のグループでは窃盗は当たり前のことだった。スティーブンの所属するグループが、珍しかったのだ。少人数のグループでもあったので、顔を覚えて貰えて、簡単な仕事を任せてもらえることもあった。

窃盗も続けると、暗いくらい深部へとたどり着いてしまう。犯罪組織に目をつけられやすくなるのだ。街の嫌われ者がいなくなっても誰も気に留めない。つまりは、そういうことだった。
一人、また一人と、孤児たちが消えていく。大人たちは気にしない。それでもグループの垣根を越えて、その噂は孤児たちに広まった。いつしかその街から浮浪児の数が激減し――スティーブンの所属していたグループからもひとり、消えた。ひたひたと迫りくる恐怖が、ついに現実のものになってしまった。子供たちの混乱は伝染し、集団ヒステリーを起こした。どうせ死ぬなら、みんなで死のうという結論に行きついてしまったのだ。

ねぐらとしていた下水道の入り口で、子供たちは互いを殺しあった。まず小さい子から。そう言って、幼い者から死んでいった。その頃には中ほどの年齢になっていたスティーブンは、息をひそめていた。死にたくなんてなかった。グループの決断を受け入れたくなかった。確かに孤児であることは楽しいことなんてない。つらいことばかりだ。それでも、生きる希望を捨てられなかった。心の底から笑うこともなく死にたくなんかなかった。
幼い子供が、幼児の首を絞めて殺すその様子は、地獄絵図のように思えた。暴れる子供を複数で押さえつけ、その命が消えゆくのを、眺めているしかできない。手伝えと言われたが、そんなことができるはずもなかった。

スティーブンは息をひそめたまま、狂気に満ちたその場所から逃げたくて仕方なかった。恐怖にガチガチに固まった体を叱咤し、震えを押さえつけながら、少しずつその場から離れていく。ある程度まで離れると、振り返ることもなく走り出した。

「スティーブン!」

仲間の声が恐ろしい。走っても走っても、その声が追いかけてくる気がして、スティーブンは足を止めることなく、ひたすら逃げ続けた。街を出なければ。この街にはもういられないと思った。街を出て、どうやって生きていくのかなんて、考える余裕なんてなかった。ただただ、生きたかった。死にたくなかった。スティーブンの中にあるのは、それだけだった。
スティーブンが生きてきたその街は、小さな街だった。あともう少し。息も荒く、水分不足にか、喉の奥から血のような味を感じながら走り続けていた。それも報われる、と思った矢先、ひとりに紳士にぶつかった。

「おや、まあ。大丈夫かい」

平凡な紳士だった。年の頃は30かそこら。綺麗な身なりをした、清潔で優しそうな男。スティーブンの住む街にはいないタイプの人間だ。スティーブンはといえば風呂にも満足に入れない浮浪児であったので、服を汚してしまったかもしれない。ごめんなさい、そう謝ってその場から、この街から出ようとすれば、紳士がスティーブンの腕を掴んで離さなかった。

「まあ、待ちなさい。そう焦ってどうしたんだい」

「は、離してください」

「申し訳ないが、少し話を聞かせて欲しいんだ。例えば――消える子供について」

「!」

「私に少し、付き合ってもらえるかい?」

そうは言っても、話せるほどの情報はない。ただ、街の子供が消えていく。それぐらいだ。けれど、もしかしたら、スティーブン以外なら、グループのリーダーなら。判るかもしれない。そう提案すれば、リーダーのいる場所に案内して欲しいと紳士は告げる。その時スティーブンの頭をよぎったのは、あの凄惨な場所に戻るのか、ということだ。逃げたスティーブンを、彼らはどう思うのだろう。いや、そもそも。彼らはまだ生きているのだろうか?

「悪いようにはしないよ。私は、恐らく君の悩みや恐れを解決できると思う」

そう告げる紳士は、真剣そのものだった。浮浪児相手に真面目に話をしてくれる人間など少ない。スティーブンはその真剣な瞳に心動かされるように、気付けば頷いていた。そして、躊躇いがちにではあったが、ねぐらへと足を向けた。
走ってきた道のりを逆流する。歩きながら、紳士は街の状況をスティーブンに訊ねた。スティーブンは、よく知らないこと、気付けば子供が減っていたこと、犯罪に手を染めているグループから消えていったことを伝えた。拙い説明だったろうに、紳士は嫌がらず、丁寧にスティーブンの話を掘り下げていく。そうしている間に、いつしかねぐらに行きついていた。

饐えたにおいと、下水の臭いが辺りに充満していた。眉をしかめ、取り出したハンカチで鼻を押さえた紳士に申し訳なくなりながらスティーブンが足を進めれば、そこはまさに地獄絵図だった。

「ひっ……」

生きている者は、誰ひとりいなかった。殺し合いはスティーブンが立ち去ってからも継続したらしく、地面に力なく伏す子供が重なっていた。ひどいのは、その奥だった。下水の臭いにまぎれてすぐには気付かなかったが、血の臭いが鼻をつく。
何か異形のものが、子供を喰っていた。にちゃにちゃ、ばりばりと音がする。人間の形をしているらしいそれは、大きな口から伸びた長い舌をべろりと出し、白く細いちぎられた腕をぱくりとくちにした。ごきん、ばきばき。骨を砕く音がする。あたりは血まみれで、十数人いたはずの子供たちは、積まれた数人以外はひとりもいなかった。

「いきなり当たりを引くとは、私も運がいい」

立ちすくむスティーブンの肩を掴み、紳士はスティーブンの前に出た。庇うようなそれに、スティーブンはいつの間にか止めていた息を吐いていた。がちがちと歯が鳴る。震える体を自分で抱きしめながら、スティーブンは紳士と化け物の相剋にくぎ付けになっていた。

「牙狩りカァ?」

ぼこぼこと化け物の皮膚の下で何かが蠢いている。最早人間とは言えないものに変化しているそれのおぞましい様子に怯むことなく、紳士は冷静なままで微笑んでいた。己の優位を疑いもしない。そんな笑みだった。

「どうやって『こちら』に来たのか、訊ねたいところではあるが……君の知性は乏しそうで、答えを求めるのが難しそうだ」

「抜かセぇ!」

化け物が紳士に襲いかかる――思わず目を閉じ、惨劇から目を逸らしたスティーブンの耳に、穏やかな声が届く。

「エスメラルダ式血凍道――【絶対零度の槍】」

何かが砕ける音がして、誰かの鈍い声がして、辺りは静かになった。恐る恐る目を開くと、そこには粉々に砕かれた『何か』があった。

「もう大丈夫だよ、少年」

穏やかな微笑みと共に告げられた言葉を理解できなかった。ぼんやりとした頭で、紳士の向こう、血まみれのねぐらを見つめる。
理解できたのは、何もかもが遅かったと、それだけだった。

逃げてきたスティーブンだったが、捨てたはずの仲間のことは勿論大切にしていた。放心してその場に座り込んでしまったスティーブンを抱き上げ、ホテルまで連れ帰った紳士は、スティーブンにこう提案した。

「強くなりたいなら、その方法を教えよう。生きる術も何もかも教えてあげよう。丁度私も、家族も弟子も欲しかったんだ。だからスティーブン。私と家族になろう」

息子にならないか、と紳士は言った。
そうしてその日、スティーブンは、スティーブン・スターフェイズとなった。



養父との日々は穏やかなものではなかった。牙狩り、というのは、吸血鬼を狩る人間のことらしい。吸血鬼なんて夢物語か何かだと思っていたが、目の前で現物を見せられては受け入れざるを得ない。あの怪物は、確かに人間ではない何かだったのだから。
養父は父として、師匠として、厳しくあった。吸血鬼と遭遇することは滅多になかったが、それ以外の人外も討伐対象である。牙狩り見習いのスティーブンは、養父や他の牙狩りの協力を得ながら、力を蓄えていった。血を媒介に術を行使する血凍道を究める道は困難の一言に尽きたが、それでもスティーブンにはもうそれしかなかった。牙狩りになるしか、道はなかったのだ。養父と縁を結んだからでもあったし、死んだ仲間たちに報いるためでもあった。
あの日、スティーブンは一緒に死んでやれなかった。逃げ出した。立ち向かうこともなかった。助けを呼べば、何かが違ったのかもしれなかったのに。だから、追悼のためにも、仲間たちのような人間を減らすためにも、牙狩りになるしかなかったし、なりたかった。

その必死さは牙狩りたちの間にも伝わり、スティーブンは闘うための様々な手段を学ぶこともできた。お前には才能があるな。そう、牙狩りの誰かに褒められたことで、一人前になれた気がしていた。

二度目の悲劇は、そうした日々の中にあった。

「スティーブン」

その日、養父の様子がおかしかった。その日、一匹の怪物を倒した。強い化け物だった。限界まで能力を発揮し、あやうく死にかけた場面もあった。怪我がなかったのは幸いで、数ミリ違えば死んでいた。そんな危ういものだった。
死に近い戦いは生存本能を高め、性的興奮を高めることがあると聞いた。牙狩り内でそれは常識のようなもので、女を買いに行く後ろ姿を見送ったことがある。スティーブンが幼い頃から、養父が夜宿を抜け出すことがあるのも知っていた。実戦に出るようになって、スティーブンもそう感じることがあったし、誘われるままに女を買わされたこともあった。
ただ、スティーブンたちが滞在する村は小さなもので、売春宿のようなものは存在しない。危うかったとはいえ、村の人間に強要する訳にもいかず、スティーブンは興奮を収めるために水風呂に浴びてきていた。養父もまたそうした興奮をどうにか収めたのだろうと、思っていた矢先の出来事だった。

養父はどこか酩酊しているようだった。頬は赤く色づき、吐き出す息は熱い。瞳は浮ついたような、焦点の合わない状態だった。

「父さん?」

「スティーブン」

気が付けば、金縛り状態にあった。手足が冷たい。それが血凍道の応用であると理解したのは、ベッドの上に投げ出されてからだった。

「父さん、何を――」

「スティーブン……ふふ、いいからじっとしていなさい」

熱い手のひらが冷えた首筋に触れる。伝わる熱が、気持ち悪くて仕方がない。シャツを脱がされ、肌蹴られ、唇が、舌が、スティーブンの肌を這う。首から下が全く動かないために、されるがままになるしかなかった。養父は熱のこもった瞳でスティーブンを見つめ、スティーブンの腹に馬乗りになった。湿った手のひらが、スティーブンの胸に重ねられる。

「よぉく見ておきなさい、スティーブン。大丈夫、何も怖いことなどないよ」

幼い頃、悪夢に震えるスティーブンを抱きしめて告げた同じ言葉、同じ声色で養父は言った。見せつけるようにシャツを脱ぎ、ズボンを、下着を脱ぎ捨てる。嫌らしく己の指を舐め上げ、十分に濡らすと、赤く熟れた尻穴に一本、また一本と指を差し込んでいく。

「何やってるんだ、止めてくれ、父さん、頼むから」

そんなスティーブンの懇願を、養父は聞き流した。

「風呂で充分に馴らしたから、ほら、大丈夫」

ここに、お前が入るんだよ。
養父の痴態を見せつけられた混乱と、これから起こることへの恐怖で萎えたそれに、指先が触れる。ぐりぐりと詰るように、布越しに指先で弄られても反応するはずがない。

「まったく、困った子だ」

止めてくれ、と思った。
救われた日々が、幼い頃の絶望を癒した記憶が穢されていくと、思った。

養父が抱かれる人間であることをスティーブンは悟っていた。
牙狩りとして生きるのであれば、ひとところに留まることなどできない。辺境に行くことも稀ではなく。この村のように売春宿や売春婦がいない村や街もあっただろう。牙狩り同士、成行きでそういう関係になったとしても不思議ではない。

けれど。
これはあまりにもひどすぎる。

「スティーブン」

熱い指先が、焦らすようにスティーブンのズボンと下着を脱がす。萎えきったそれを、躊躇いもなく養父は口に含んだ。こんな状態でも反応する自分に吐き気がする。生存本能のせいか、沈めたはずの燻った熱は容易く熱を取り戻した。

「止めてくれ、父さん。頼むから、お願いだから、父さん、父さん――」

「ああ、スティーブン――」

ずっと、こうしたかった。
吐き出された言葉、そうして、スティーブンのそこは熱に包まれた。己の上で必死に喘ぎ、腰を上下に揺らす養父を強制的に見せつけられ、スティーブンの優しかった世界は壊れた。

壊れて、しまったのだ。

翌朝、目を覚ませば、かつて養父だったものが、部屋中に四散していた。術を解かれてすぐに、血凍道を行使したのだろうと、血腥い部屋で思い至った。
涙なんか、出るはずもなかった。

いつから養父が、スティーブンをそういう対象として見ていたのかは分からない。
初めからだったとしたら、これ以上の悲劇はなかった。摘まれるために育てた花のようなものだとしたら、それは、このうえもない地獄だと、スティーブンは思うのだった。

しかし、結果がどうであれ、スティーブンが養父に救われたことだけは確かだ。それだけは忘れまいと、スティーブンは養父の名前をAとして残した。

その日から、スティーブン・スターフェイズはスティーブン・A・スターフェイズとなったのだった。



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