大好きな兄さん。 僕だけの兄さん。
世界に僕たち二人きり。 なんて幸せな世界。
いったいいつからなのかはもう忘れちゃった。 だけど確実に回数は増えていて間隔も短くなってきている気がする。
傍に兄さんがいてくれるから、こんなの全然へっちゃらなんだ。 だけど僕が苦しんでるのを見るたびに兄さんがとても辛そうに悲しそうに僕を見るものだから このままじゃいけないなと思う。何があっても兄さんを悲しませることだけはしたくないんだ。
もういくら突き放しても放っておいてくれないから一度キッパリと言った方がいいのかもしれない。
そんなことを考えていたら今日も早速始まった。痛い。 頭が割れそうに痛い。右耳の奥で声がしたかと思うと左耳の先からこだまのように音が鳴る。気が変になってしまいそう。両の手で頭を抑えて鳴り響くシンバルを無理やり止めるように少しでも楽になりたくて身をよじる。 痛い。いたいいたい!やめてよ!兄さんが見ているんだ。これ以上心配かけたくないんだよ!
「だったら尚更、目を逸らしちゃいけないよ」
きこえた。聴こえたぞ。こいつだ!ずっとずっと僕たちの邪魔をしていたのはこの声だ。どうしてやろう。跳ね除けるだけじゃ意味がないのはもうわかった。 二度とここに入って来れないようにしてやらないと。精神をバラバラにして二度と再構築できないようにしてやろうか。 兄さんは優しいからそんなことしちゃ駄目だよって止めるだろうな。 でもこれは正当防衛だよ。僕たちの幸せを壊しに勝手に入ってきたのは向こうの方なんだから。
「律、君は兄さんが好きだろう。こんなことを続けてちゃいけない。兄さんが悲しむよ」
言ってる意味が解らない。兄さんは僕が大事。僕は兄さんが大事。だからお互いを守っている。お互い守られてる。何がいけないの?何が間違ってると言うの?
「律、聞いて。僕は君を否定しない。怖がらなくていいんだ。自分を好きになって。自分を認めてあげて。そしてそこから出よう。そこに居ちゃいけない。」
五月蝿い!!何が言いたいのか全然わかんない。なんで出なくちゃいけないの?いやだいやだここがいいんだ。君に認められなくたっていいんだ。僕は、兄さんにさえ認めてもらえればそれで充分なんだ。
泣きそうな顔をしているなと思ったけど不安で怖くてすがるように兄さんを見た。 兄さんもやっぱり泣きそうな顔をしていた。兄さん。ごめん兄さん。所詮話が通じる相手じゃなかった。関わろうとするべきじゃなかったんだ。兄さんをまた悲しませた。ごめんなさい。ごめんなさい。
手を伸ばした。 兄さんに触れたくて。それだけで僕は安心してなんだって出来る気がするんだ。こんなやつに負けたりしない。
だけど触れることは叶わなかった。 いつの間にか空間は歪み、傾いていた。滑り落ちていく世界はどこまでも続いているようにも見えたし、どんづまっているようにも見えた。壊れるの?あんなに硬く完璧に創った世界なのに。こんなにももろいものなの?僕の思いは。兄さんに対する想いは。
滑り落ちていく。 何もかもを飲み込むように深い深い暗闇に。
「律!」
兄さんが手を伸ばす。いよいよ僕は泣いた。目の端から開放された涙の粒がころころとシャボン玉のように重力から開放されて舞い上がっていく。僕は目を逸らさない。瞬きだってしない。そうした瞬間に兄さんがぱちんとはじけて消えてしまう気がして、僕は真っ赤な目を精一杯見開いて間接が外れてもいいくらいに腕を伸ばした。何もいらない。兄さん以外、なにも。
「律、行こう?僕は律とならどこへだっていける」 「律、駄目だ、行ってはいけない。帰ろう!兄さんのところへ、一緒に」
下から、上からちぐはぐな声が聞こえる。僕は混乱する。 おかしい。迷うことなどないはずなのに。
「律、ちゃんと自分の気持ちに向き合うんだ」
刹那。 さっきまでの激しい崩落が嘘のようにあたり一面なにもない。みわたすかぎりまっしろで、自分がそこにいるのかも疑わしくなるような無の世界。
深く呼吸をしてみても指先を動かしてみても、なにも感じない。空間の一部になってしまったのだろうか。歩いてみる。何かを踏みしめている感じも、ふわりと浮いている感じもしない。 僕は途方に暮れた。
思いっきり叫んでみた。なにも変わらない。空気が震えることもなく静まり返っている。
怖い。 ここには僕一人っきりなの?兄さん、兄さんはどこにいったの?怖いよ寂しいよ。兄さんも一人なの?早く見つけ出して傍に行ってあげないと。
それは兄さんが望んでることなの? そうだよそうに決まってるじゃないかこんなだだっ広くて何もない世界、絶対兄さんも不安で寂しい思いをしているはずだよ。僕が迎えに行ってあげなくちゃ
本当に兄さんは迎えに来て欲しいと思ってるかな? 兄さんだって自分で歩けるんじゃないのかな?
なにをいってるの?それはそうかもしれないけどでも一人より二人の方がいいに決まってるじゃないか。僕たちは兄弟なんだから。
兄弟。 そう兄弟なんだよ。
僕たちは兄弟なんだよ。
わかってる!わかってるよそんなこと!!!
僕たちは兄弟。
何をどうこうしたってそれは覆らない事実。
本当はわかってる。だから僕はここにいる。 ここは僕の世界だ。だれも、なにも、裏切らない。
それはずるいことだよね、なにを気にしてる? 自分がおかしいこと?みんなの目?本当の世界では許されないことだから?
ううん、僕は、僕はなによりも兄さんに嫌われてしまうことを恐れている。
僕は、 僕は兄さんを
「愛しているんだ」
「うん、うん、律、ありがとう。ありがとう律。おかえりなさい」
思い出したかのように瞬きをする。 あれ?いつから僕は目を閉じていたんだっけ?同じ白でもさっきまで見ていたものとはまったく違う、硬そうな質感を感じる少し黄ばんだ白がじわりと目に入ってきた。 首の周りに何かが巻きついていて苦しい。わずかに首を動かすと頬にちくちくと何かが触れてくすぐったい。 小刻みに震えるその暖かい黒い塊に静かに目をやる。なんだかずいぶんと久しぶりな気がするのはなんでだろう。懐かしささえ感じる。
「…にいさん?」
もはや声にはならない。 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をさらにしわくちゃにさせて茂夫は嗚咽を上げてより一層律の首に巻きつけた腕をきつく、きつく抱きしめることしか出来なかった。
ナースコールだ、いやもう先生を呼んでくると霊幻とエクボが慌しく駆け回る。
律は未だに自分がどのような状態なのか理解できず目を白黒させるばかりだった。
後日。 ことのあらましを大方理解した律はなんだかもうとにかく穴があったら入りたいと顔全体を真っ赤にさせ布団にくるまりしばらくは出てこなかった。 そんな律を霊幻は生きてるんならなんだっていいと笑い飛ばし、精神分離の昏睡状態から無事生還した律にいつもの調子で絡んだ。
実の兄を愛してしまったが故に起きてしまった今回の騒動、ひた隠しにしてきたのに周知の事実となってしまってもはや開き直るしかなかった。 実際課題は山積みで決してうやむやにできることではないがそれでも、兄さんが居るこの世界に戻ってこれたことが律にとって何ものにも変えがたい幸せだと実感していた。
今日も兄さんがお見舞いに来る。もちろん兄さんにも僕の気持ちは筒抜けになってしまったのだけど、今の方がずいぶんと気が楽だ。 我慢はしないで。律が辛いのは僕も嫌だ。茂夫の言葉にまた律は救われたのだ。
「兄さん」 「何?律」 「やっぱり僕は兄さんが好きだよ」 「、うん、ありがとう律」
いくら鈍い兄さんでもさすがに意味は伝わってるだろうな。動揺させてしまっただろう。傷つけてしまったかもしれない。それでも兄さんはおかえりと言ってくれた。僕が戻ることを望んでくれた。今までどうりには無理かもしれない。それでもこうして変わらず接しようとしてくれている。それだけで充分だ。答えなんていらない。 大好きだよ、兄さん。
―――――――――――律、
ごめんなさい。ごめんなさい。 律は何も悪くないんだ。律の想いも知っていたよ。だって僕には見えるんだ。 体中から溢れ出ていたよ。隠しても隠し切れないその感情を一身に浴びるのが僕はなによりも嬉しかった。律が僕だけを見てくれてることが、嬉しかった。震えるほどの快感だったよ。 律、かわいいかわいい僕の律。 永遠に閉じ込めて独り占めしたかった。僕は、僕はなんて浅ましい。
律のすべてが、欲しかったんだ。
ごめんね律。ごめんなさい。もうこんなことはしないから。だから
かわらず ぼくを あいしてね
END.
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お題「最初から理解されると思ってない/貴方さえいれば世界なんていらない」
みんなこわれてたおはなし
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