!弁丸様時代
!弁丸様暴力うけてます















少年の名は弁丸といった。
出来すぎた子で、勉学や行儀もわきまえた子であった。

ある時弁丸は人質として敵方の家に預けられた。
彼は泣かなかった。寂しくはあったが常に無表情でそれを呑んだ。
家のためだ。幼い意識はそう自分で言い聞かせては涙をかみ殺していた。


その敵方の家の主はそれは良い人間であった。弁丸の姿を見つければにこやかな微笑みを浮かべ、弁丸殿、と優しく呼んでは女中に菓子を持ってこらせそれを弁丸にわたしてくれた。
弁丸は場苦しかった。優しくされれば幼い顔をぐしゃぐしゃにして泣きたくなった。しかし泣かない。誰にも迷惑をかけないと幼いながら決めていたのだ。

だが優しい事だけではなかった。
その優しい主人の家臣がなにかと弁丸に嫌な仕打ちをしてくるようになった。
最初はただの嫌がらせだった。
例えば、優しい主人からもらった草履の緒が切られていたり、父親から貰った御守りがなくなっていたり、と子供じみた嫌がらせが続いていた。弁丸はそれを全て無視をした。そうするしか自分の道はない、と彼は分かっていた。
その姿勢が気にくわなかったのだろう。
優しい主人が居ない間、隠れて殴る蹴るの暴行を受けるようになった。
ただその家臣の男が直接手を出す事はなかった。
「触るのも汚わらしい。」
そう言って男は自分の小姓に弁丸を殴らせた。男はただその行為を満足げに眺めていた。小姓は小柄の男で、15、6ぐらいの青年であった。黒髪を頭の上に結い上げ、素朴な顔をして、正確に主人の命令を聞いていた。
何回も殴られ、何回も蹴られた。
しかし、弁丸はその小姓にいくら殴られようが、蹴られようが痛くはなかった。
それはきっと自身が家のためだ、と割り切っているからだと弁丸は悟った。
悟ったくせに、誰も助けてはくれないと自身を哀れんだ自分がどこかにいて、それが無性に情けなく思えた。
泣きたかった。しかし泣かなかった。
誰にも迷惑はかけたくない。
それはここに来た時と変わらぬ答えだった。
それに、と弁丸は思う。
いくら優しくされても、あの主人もあの冷たくあざ笑っている家臣の男と同じ敵方なのだ。
この城に誰一人として自分の味方は居ない。
そう心の中で呟いては、涙をぐっと我慢した。


そんな真夜中だった。
闇の中から、静かな声が優しく包んできたのは。















「....いかぬ」
また泣きそうだ。弁丸は手の甲をもう片方の手でギュッと握った。
この城の優しさと、冷たさがの心の奥底を駆け巡り、弁丸は吐き気を憶えた。いっそ死んだら楽になるのではないかとさえ思えた。そう考えた弁丸はまだ10歳だった。

「泣いては....だめだ」
暗闇の中で彼は一人ごちにそう言いながら首を振る。そして眠りにつこうとした、確かにその時だった。




「泣いてもいいですよ。」




外から流れる風と共に流れてきた優しい声に弁丸の体は一瞬硬直した。

(え...?)

弁丸は顔を上げる。が、視界はただ暗闇に覆われ、何も見えなかった。無理もない。今は、真夜中なのだ。明かりも消していた。
最初は空耳だ、と弁丸は思った。
しかしその考えは直ぐに消し飛んだ。






「誰も、見てはいません弁丸様...」






確かに。
確かにまた同じ声が聞こえた。
弁丸は目を見開く。
酷く不安だった。優しい声はどこから聞こえるのか、誰なのか、わからなかったからだ。

「ああ、そなたはどこにいるのですか?すがたが見えませぬ。せめて、せめて音だけでも出してくださいまし。ほんとうに、ここにいるのでございますか?」

必死だった。
もしかしたらきっとこの人は自分の味方なのかもしれない。そんな考えが頭によぎっていたからだ。

長い沈黙の後、静かに返事が返ってきた。

「俺は、忍びですから....。無闇に音は出せません...」

しのび、と弁丸は呟いた。
何故忍びがここにいるのか、弁丸にはその答えが分からなかった。
それを聞く事すら出来なかった。
味方でないと言われるのが怖かったからかもしれない。
しかし、一人では寂しく感じた。
もし味方でないならば、一人であるならば、寂しい。
弁丸はそう胸に感じ、また無性に泣きたくなった。


「姿を...」


気がつけば、口が勝手に開いていた。



「姿を...見せてはくださらぬか...」
そう口にした弁丸だったが、その願いはすぐ無理だと悟った。
音を立てては駄目な相手が、会ってくれるはずなどないに決まっている。

目に雫がたまる。
駄目だ、駄目だ、ないちゃだめだ、ないちゃ、


そう思っていたその時だった。





「.......御意」



確かにそう、天井から声がした。


ひとつの風が起きた。


弁丸の目に一つ、鮮やかな色が見えた。
目を凝らせば、そこには一人の人間が此方を見つめながら立っていた。
その人間の顔は、色白く、暗闇でも見えるほどだった。
青年だった。
その青年はゆっくりと唇を開けた。


「弁丸様...」

その見覚えのない忍びは、小さく、先ほど聞こえていた声と同じ声を出した。

「.....そ、そなた、は」

弁丸は急に現れてくれた忍びの姿にびっくりし、わけがわからないと悲鳴をあげた頭を精一杯めぐらせていた。

「弁丸様...」

もう一度、忍びは弁丸を呼んだ。
そういって片膝をおとし、弁丸の視線に合わせた。
弁丸は魅入られるように、一歩、また一歩と忍びに歩み寄った。

「ああ...」

弁丸はその身に駆けた。駆けて、抱きついた。
忍びの首、いや体全体は大人に比べれば驚くほど細かった。
それに冷たかった。

「そなたは、そなたはだれでございますか、べんまるの、べんまるのみかたさまですか、」

すると背中から感触を感じた。
忍びは、弁丸をそっと抱きしめた。

「俺は、貴方の、忍び。貴方をお守りしている忍びです」

ほろり。
弁丸は涙した。ここへ来て初めて泣いたのだ。
人質如きが甘えていいものではない。幼い弁丸はわきまえていた。だからこそ両親の優しさから離れても泣くような事をしなかった。
いやだけど。
まさか、この城に自分を守ってくれる人がいるなんて思いもしなかった。
弁丸は泣いた。
確かに守ってくれる存在はそこにいたのだ。たった今、腕の中に。

「弁丸様、その涙は今俺が隠しましょう。ほら、今だけお泣きください」

ぼろぼろぼろぼろ
流れる涙は止まらなかった。
止まらない涙が止まるまでその忍びは弁丸の背中をさすっていた。
涙が乾いて、弁丸はそっと体から忍びをはずし、忍びの顔を覗こうとした時、
鳥の黒い羽が一枚、視界で浮いた。
それをしばし見つめ、はっと気がついた時には忍びの姿はなかった。

ああ、と弁丸は思った。
自分はきっと、あの忍びを忘れはしない。
いつかあの忍びを見つけよう。
そしてまた抱きつきにいこう。
ありがとうといいたい。
また来てはくれぬか。


弁丸はただ、暗闇でも見えたあの鮮やかな橙色を思い出し、きれいだった、と確かにそう呟いた。












あれから忍びは一切弁丸に姿を見せる事はなかった。
もしかしたら見せてはいけなかったのかもしれない。それでも見せてくれたのであれば、ああなんて自分は幸せ者なのであろうか、と弁丸は思った。
弁丸は例え辛い優しさを貰おうとも、どんなに殴られようとも、泣きたくなることはなかった。
どこか近くにあの忍びがいることさえ考えれば、涙なんてものはすぐに引っ込んだ。

そして、その毎日に終わりが訪れた。













焦げ臭い匂いで弁丸は目を覚めた。
火事だと弁丸は悟り、しかしそれは違うのだとまたすぐに悟った。
轟音や人の声が聞こえた。
この音は戦だった。
どうして、と弁丸は思った。
廊下を出ると、何人かの女中が血だらけに倒れていた。
駆けつけて声をかけるものの、返事を返してくれるのは誰一人としていなかった。
弁丸は途方にくれた。そして酷い不安と恐怖に襲われた。
このまま、自分も死ぬのだろうか。そう思えば小さな体がカタカタと震えた。


「これは弁丸殿」


後ろから声をかけられた。
びくり、とし勢いよく振り向けば、あの卑しい笑みを浮かべるあの家臣の男だった。
ただいつもとちがって彼は重々しい鎧をつけていた。


「お早いお目覚めでございますなぁ。主とは違いましたな。最近のお子様はやはり規則正しいのか」

主、とはあの優しい主人の事だろう。弁丸は訳が分からず小首を傾げる。
すると男は笑った。その笑い声が腹に響き、弁丸は吐き気がした。

「まだお子様にはわからぬか。下克上、と云うものだ。....まぁ、わからなくともいいことではあるが」
下克上、という言葉は弁丸自身知っていた。それを聞いて、あの主人が死んだ事を悟った。
この男に、殺されたのだ。
恐怖が全身を駆け巡った。自分はこの男に殺される、と弁丸は頭の中で感じた。


「あなたさまは...このべんまるを、殺すおつもりですか?」


震えながらそう聞けば、男は笑った。
その笑みの訳が分からない弁丸の目に、見覚えのある青年が映った。
今まで主の命令で散々弁丸に暴力をしていた、あの小姓だった。
笑いを浮かべている男の後ろから小走りで駆けつけ、小姓は男の隣で片膝をつけた。
まだ笑っている男は優しい声で言った。

「弁丸殿。わたくしが貴方に触れて殺す訳ないでございましょう?―――――小林、殺りなさい。」


ああ、と弁丸は泣きたくなった。
やはり殺されるらしい。
悔しいし、怖かった。

小姓は元気よく返事をして、腰にある刀に手を添えながら、弁丸へと近づいてきた。
弁丸はそれを呆然と見つめる。
近づいてくる小姓。
それを笑いながら眺める男。

泣きたくなった。
泣いて、叫んで助けを呼んでみたくなった。

あの橙色の髪を持つ、忍びへと。


だから思わず泣かぬと決めたのに泣いてしまったのだ。
小姓が目の前に立った時に
恐怖や淋しさを感じて泣いて叫んでしまったのだ。



「忍びどの!たすけてくだされぇ」


叫んだと同時だった。
あの卑しく笑う男の肩と左足にくないがめり込んだ。
男は悲鳴を上げて倒れこんだ。
男は、何故だ!とかくそ!とか叫びながらもがき苦しんだ。

弁丸には状況が掴めなかった。
それはあの男かて同じだろう。

きっと分かっているのは、さきほどの男の笑みをそっくりに真似して笑っている、小林と呼ばれていた小姓の青年だけだろう。

しかし弁丸にはやはり訳がわからなかった。どうしてこの青年は手を添えていた腰の刀を抜いて自分を斬らずに、懐に手を入れて、くないを取り出し、己の主であるはずの男に投げたのか。弁丸には何一つ訳が分からなかった。

「お、お前、私を裏切る気か!?な、何故だ!地位も名誉も金だってくれてやると申したであろう!何故だ!」

さてはこの人も下克上をしたのだろうか。その場合、やはり自分が死ぬ事は変わらない、と弁丸は考えて体を強ばらせたと同時に、その小姓は声を上げて笑った。


「あはははは!アンタつくづくお馬鹿さんだねぇ!忍びにそんなもんいらねぇさ!金はいるけど」

ねぇ弁丸様。


そう言って小姓は己の髪を右手でそっとなぞった。
鮮やかな色が生まれた。
そして彼はどこからか出した大きな手裏剣を手にし、言葉を吐きながらそれをくないと同じように標的に向かって投げた。


「それにごめんねー。俺様の主、アンタじゃなくてこの子なんだ。」

そう詫びる様子もなく言いながら。
橙色の髪をもつ忍びの青年は手裏剣を投げた。






そして弁丸は血しぶきをあげる死体を見ないようにその青年に抱きしめられた時全ての答えを知った。
どうしていつも暴行に痛みが感じなかったのか。どうして今まで刺客などに襲われなかったのか。どうして侵入が容易くないこの城にあの橙色の髪の忍びが侵入出来たのか。


「怖かったですね。弁丸様。さぁ、帰りましょうか。弁丸様。大丈夫、俺様がちゃんと守りますから。弁丸様。」


そうか、と弁丸は涙を流した。
今までずっと近くで守られていたのだ。

ずっと、
ずっと、
近くにいたのだ。



「よかったなー。こっちの主ともども共倒れしてくれてー。真田家の安全が保証されました、とー。」

青年はそうひとりごちにそう呟けば笑った。
弁丸はギュッと青年の忍び装束の襟首を掴み、彼の腕の中で静かに泣いていた。

そんな弁丸をちらりと見、青年は苦笑した。


「弁丸様、俺がその涙をいつでも隠してあげましょう。ですが」

そっ、と青年はあの夜と同じように弁丸の背をさすった。


「たまには笑いましょうや。ね?」


帰ったらとりあえずそうしましょ。
そう言った緊張感のない抜けた声に、思わず弁丸は、ふにゃりと笑ってしまった。


安心して、泣いて、そして笑った。










それからその橙色の髪を持つ忍びが弁丸から大いに気に入られ、いやそれは本当にすごく気に入られ、忍びの立場など関係ないが如く付きまとわれ、いつしか弁丸が元服を済ませても直、彼の母親代わりと噂されるようになるのは、まだまだ先の話である。













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弁丸が無愛想な佐助に笑顔をあげる話はよくあるので、逆ならどうだろうかと思いやってみたちくしょうわけわかんなくなったぞ!笑い!
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