考えてみることにした。わずかな記憶ではあるが、それでも、あの人について考えてみることにした。
名前すらも、誰かに聞かなければすぐに忘れてしまう。あの人の名は、そう、真田幸村だ。
はたして、あの人はどのような顔で笑っただろうか。
「‥‥だめだ」
思い出せない。
ただ。
あの人が自分にとって、どれだけ大切であったかは、知っている。
「‥‥お馬鹿さんだよなぁ、あの人も」
思わず苦笑をもらしてしまう。あの人も、俺と同じような気持ちだった。
大切だったんだ。ただの、草を。
ひどく同意した。俺は眉をひそめて、また笑う。
おかしいのだ。忍がそんな大それた想いをわかるはずもないのに。
苦笑するしか無かった。
(『さなだのだんな、』)
「‥‥!」
声が、かすかながらに耳の奥で響いた。途端に、ぐるり、と頭が痛みに泣く。頭痛がこめかみを刺激する。
誰だ、と頭を抑えながら呟く。
(『さなだのだんな』)
「だれ、だ」
(『ごめんね、だんな』)
「おまえ、は、っ」
(『あなたはどうか、生きて』)
「!っ」
意識は暗い闇の底。
そこに立ってたのは、小さく微笑む、見慣れた顔で。
だけど、これが誰なのか、何故か自分は知らないのだ。
この、自分の目の前にいるのは一体誰なのだろうか‥?
「おまえは‥」
そう言葉に出した時だ。
彼は人差し指を唇にのせ、呟いた。
『俺は、ただの嘘つきだ。』
そいいった彼の笑顔は、どんなものよりも美しくて。その周りに存在する闇すら愛おしいかった。
そして、闇が視界を遮る。
悲しい苦笑の音が、少しだけ耳を掠めた。
「目が覚めたか」
目が覚めると、布団の中に自分の体がおさまっていたことに気がつく。
「俺様は‥‥」
「いきなりぶっ倒れたんだ。すこし休め。」
独眼竜は、いつも戦では見せない微笑みをこちらにむけ、俺の額を優しく押した。その反動で、俺は布団へ再度倒れる形になった。なんだか、不思議だ。忍が寝、一国の殿様が看病をしている。
「物好きだね、忍を看病なんざ」
「そうか?」
「そうだよ。」
「そうか、」
独眼竜はそういうなり苦く笑った。人の世話なんざはじめてだ、と小さく告げた。
「いつもなら、俺が世話されるほうだからな。まぁ、かなり昔の話だが、」
そういって、独眼竜は右目をそっと触った。
「むかしはこれのせいで熱もでたりしたんだ」
「目だけで?」
「そうだ。たった一個の目ん玉で生死さまよったんだぜ。‥‥笑える」
「死んでないからいいじゃない」
俺の言葉に、独眼竜はたった一つの目を見開いた。驚いてる、といった顔だ。
俺も少々驚いてしまった。
ほんと、俺らしくない言葉。
こっちの方が笑えるよ。
「たった一つの道具のために死ぬよりかは、いい。」
その言葉に、独眼竜は目を細めた。俺は自嘲気味に笑って立ち上がる。障子を開ければ、遠い夕焼けが、海に入ろうとしている。光が、まぶしかった。
「‥‥‥ねぇ、独眼竜」
「なんだ」
「‥‥どうしてあの人はあんたに俺様を預けたと思う?」
「‥‥‥」
独眼竜は黙った。なんともいえない表情をしている。夕焼けの光が、ただ二人を照らし出す。
「さぁな‥‥‥」
独眼竜は立ち上がる。
俺の隣を通り過ぎ、縁側にゆっくりと腰を下ろした。
「だが、俺はお前を守りたい。」
ゆっくりと振り向く独眼竜の髪が夕焼けに焼かれる。あの色だ。懐かしい。この角度、あの髪、あの笑い方。どこか、だれかに、似てる。
「これから、ずっと、ずっとだ」
独眼竜は笑った。苦笑の笑みだったが、充分に美しかった。
その笑みが、似てると思った。
誰かに、似てると思った。
ふっと、独眼竜は遠い空を見つめる。
俺はただ彼の横顔を見つめていた。
「俺は、あの光に交えない。」
独眼竜の視線を辿れば、そこには沈みかけの夕日があって。
独眼竜は続けた。
「夕日が、幸村で、それによって生まれる光が忍びで、俺があの青い海だとしたら、なんて、つらいんだろうな」
まるで一人で話しているようだった。しまいには一人で泣くのではないだろうか。
俺は独眼竜を見つめた。
「夕日の周りにある、あの光は、夕日の近くでまざる。海は、二人に溶け込みたいが、境界線が邪魔をするんだ。どうしても、邪魔するんだ。」
独眼竜は片目を伏せた。そして、苦笑する。
「お前は、消えるな。」
今にも泣き出しそうな、独眼竜。
知ってる気がした。
見たことある気がした。
独眼竜の弱みなんて、はじめて対面したくせに。
「独眼竜、」
俺は笑った。泣きそうな竜へ、答えた。
「水面にも、光は映るよ。」
俺の苦笑をみるなり、独眼竜はくしゃり、と表情を歪めた。
その顔が、大きくなったと思ったら、独眼竜は、俺を勢いよく体で包み込んだ。
力強くだきしめられる。痛かった。
「なにしてんの」
「うるさい‥‥」
「泣いてんの?」
「‥‥うるせぇ」
「‥‥。」
うるさいと言われたので、次の言葉は黙ることにした。
思わず、苦笑した。
光は、夕日がなければ生まれることができない、なんて。
この言葉は、黙っといてあげるよ。ねぇ、独眼竜。
嘘つきの大事なもの