現ぱろはなし | ナノ






俺は、あの二人が好きだった。
どうしてか、と問われれば答えは簡単である。輝いていたからだ。きらきらしていた。恋をしている匂いがふんわりとにおっていた。だからあの二人を見ているだけで、俺は胸が躍るような気がした。

忍の彼は、感情を押し殺して、でも、できりだけあの子に愛情はおくっていた。その想いは、今まで見てきたいくつかの愛でも、人一倍大きかったし、なにより、重かった。
だから支えられなかったんだ。
愛を贈る彼も、受け取るあの子も。
隠さないで、大きな想いなんて、ちょっとずつ言葉で一言一言告げればよかったのにね。
気づいていたはずのあの子も、待たずに自らの気持ちを伝えればよかったのにね。


「あんたは、この道しか選ぶ方法がなかったのかい‥‥?」


俺の問いに、その男は笑った。苦しげに笑った。腹を裂いた傷が、彼の血をとめどなく流していく。止まる事を知らないようだ。呻き声が、戦場の真っ只中の砲弾が鳴く音よりもきれいに聞こえた。
これでよかったのだと、彼は告げる。真っ赤な血が唇を汚していた。拭い去る力すら彼にはのこっちゃいない。


「こんな戦なんかほっぽって‥‥幸せに、なりゃあ、よかったのにさ‥‥」


ぽつぽつと、空が泣いた。風が冷たく彼の髪を揺らす。雨は徐々に強くなっていった。

「‥‥‥幸せ?」

ぽつり、と。
彼はそう呟けば、その次には、最後の力を振り絞って大声を張り上げ笑っていた。
俺は、顔をしかめ、何故笑うのか疑問に思い、そしてそれを正直に問いた。


「どうして笑うんだ、」


そしたら、彼は微笑んだ。
その笑みは、いままで見てきた笑顔の中で一番綺麗で。
悲しくて。
おれは泣いてしまったんだ。

雨が、頬を伝って生ぬるい涙と入り混じって、風がさらっていった。その行き先は、知らない。
ただ、彼に届けばいいと思った。この、男の大きく重い、綺麗で悲しい想いが。















「ひどいよ、旦那はさ」
彼がそうぽつりと呟けば、俺は薄っぺらい紙から顔を上げた。一つしかない己の目を、一人しか写さないようにした。

「こんな手紙だなんて、くれないほうがよっぽどよかったよ。」

俺の手元にある紙とは断然にちがうそれは、くしゃくしゃになった一枚の手紙。なにが違うかと言えば、それは重みである。
上杉の忍が、去り際にそれを彼に手渡したのだ。

黒い鳥が、わたしにこれを‥。真田の最後の言葉だ、受け取るがいい。

そう言って渡したそれには、だれの字かわからないくらいにぐらぐらと歪んでいて、紙はくしゃくしゃで今にもやぶれそうだった。湿っていた跡がいくつもある。
あいつは、どんな気持ちでこれを書いたのだろうか。


『済まない佐助、俺は直に死ぬ。済まない、と言ったのは、お前を騙す形になってしもうたからだ。なにも言わずに突き放してしまって済まぬ事をした。しかしながら、後を追うことは断じて許さぬ。どうかこの世を最後まで全力で生きる事を貫き通してくれ、佐助。』


きっと泣いたんだろうなと思う。
読んでいる彼が泣いているのだ。すべてを見通した彼が書きながら泣くのは当たり前だろう。

「これから、どうすればいいのさ‥‥」

彼は呟く。俺はそれをただ見つめた。
もしもあいつが、手紙に「後を追うな」とかかなければ。今の彼には迷わず進む道があっただろう。しかしそれが命令によってすっぱりとなくなってしまった。だから彼は、どうすることもできずに途方にくれているのであろう。
俺は、何か言おうと口を開き、しかしやがては閉じる形になった。上手く言葉が出なかったからだ。俺は彼に何ができるのだろうか。いいや、なにもできやしない。

「政宗様、」

スッと障子を開いたのは、眉をひそめた小十郎だった。俺は小十郎に視線をうつし、どうしたかと聞く。

「客人が来ておりますが、いかがなされますか?」
「客‥‥?」

「俺の事さ!」

それは俺でも小十郎でも、ましてや泣いている彼の声でもない。
礼儀なくひょこりと現れ、ズンズンと畳に足を乗っけたのは、言わずと知れた遊び人だった。

「前田の‥、」
「てめぇ‥‥!なにかってに上がってきてやがる!政宗様と話がつくまでに待ってろと言ったはずだぞ!」「やっだな独眼竜の右目!こわい顔すんなって!な!」

にこやかに笑いながら、前田の男は大きな音をたてて座った。そして言った。

「それに、会いにきたのはあんたたち二人にじゃないからさ、」

そう言って前田はすっと目を細めては黙り込んだ。なにかを伝えてるようだった。
そして理解した。前田は、彼に会いにきたのだ。情報がはやいな、と俺は苦笑した。

「で?来たのはそれだけのためか?」
「いいや、話がしたいんだ」

ちょっとでいいから、と前田は言う。俺は首を振った。信用ができなかった。言うのではないかと恐れていたからだ。“あのことをいうのではないか”と。

「大丈夫だよ」

ふっと。
全てを見透かしたように前田は微笑んだ。だれが見てもそれは綺麗だと言うだろう。器用なんだな、と俺は思った。

「その事は言わない。ただ、話がしたいだけなんだよ、独眼竜。」

ききっ、と前田の肩に乗っかっていた小さな猿が泣いた。夢吉からもお願いしてるしさ、と前田は遠慮がちに微笑んだ。

どうするべきか、と俺が悩んでいるのを前田は無視し、断りもえずに、「やぁさっちゃん」と泣いてる彼に視線を向けながら言った。

「さっちゃん、悲しいのはわかるけど、泣き止みなって。あの子はきっと、あんたが泣くことを望んではいないからさ。」

そうだろう?と前田は彼の顔を覗きこむ。前田はどうやらあいつが死んでしまった事を知っているらしい。いや、知っているからこそ、全てを見透かしているからこそ、ここに来たのかもしれない。

「風来坊の‥旦那‥‥?」
やっと前田がいることに気がついたのか、彼は顔をあげた。見つめる先には、前田のふわりと優しく笑んだ、表情が浮かんでいる。
前田は彼の真っ正面まで移動しては、ゆっくりと座った。今度は、音を立てずに、ゆっくりと。

「かすがちゃんが来たんだろう?ということは、手紙、無事あんたに届いたんだね」
「‥‥どうしてお前が知っているんだ前田、」

これを問いたのは俺だ。前田はふっと笑うなり、静かに告げる。

「手紙のことは、本人から聞いたのさ」
「本人‥‥?」

「あの手紙を書いた、彼だよ」

衝撃がはしった。俺に、そしてきっと彼にも。前田はそのまま続ける。


「あの子の最後を見届けたのは、俺なんだ。さっちゃん」

「‥‥あんたが‥‥だんなの、最後を‥‥?」

そう呟けば、ふっと彼は消えた。次の瞬間、彼は前田の襟首を掴み力強く前田を揺さぶっていた。

「教えてよ!だんなは、旦那は、どうして、どうして‥‥!」
「わわっ!お、おちついて、さっちゃん、大丈夫、話すから、話すからさ、あの子の最後、」

俺は、無言で彼を前田から引き剥がし、彼の隣に腰を落とした。前田をじとり、と見つめる。

「あいつの‥‥最後?」

「‥‥あの子は、最後まで大切な人を想っていた。」

そういって前田は微笑んだ。ただ、泣き出しそうにくしゃくしゃになりながら、前田は微笑んだ。

「もちろん、あんただよ」

つう、と。
言葉を受けた彼は小さな粒を流す。それから、ばかだよな、なんて呟いていた。

「俺を身代わりにして、自分一人だけ生きていけばよかったものの」
「そんなことは、ない。それであの子が幸せになるわけがないだろう?」

前田は下を俯いた。指先で、畳をいじりまわしていた。それを見ながら、言う。

「あの子は、あんたを見捨てることが、出来なかったのさ。」
それ以来、彼はふつりと黙った。前田はさらに続ける。

「あんたの幸せが、自分の幸せなんだと、彼は笑いながらそう言ってた。自分は今死にかけてるっていうのにさ、とても幸せそうに笑ってたんだ。」

だから、と。
前田はまっすぐ彼を見据えた。その目はいつもの“前田慶次”からは想像できないような、そのくらい真剣で、やわらげのない、鋭さがあった。

必死のような気がした。
いや、必死だったのだ。

俺は感じた。こいつもまた、俺と同じように、“彼を守ろうとしている”。
“この嘘を貫き通すことによって、彼の心を守ろうとしてるのだ”。
きっと前田慶次の想いは、それ以上だ。彼は、きっと二人の幸せを望んでいたんだろう。

「だから、死んだあの子が幸せになるには、あんたが幸せにならなきゃだめなんだよ‥‥」

彼の幸せに到達したその時、あいつの幸せになるのだとしたら。
そのためならば、前田はなんだってするだろう。彼は、そういう人間なのだ。
そういう人間なのだ。


「俺様が‥旦那のいない世界で‥‥幸せになる‥だって‥‥?」

彼が、言葉を口にした。震えていた。声だけでなく、音をつくりだした唇も、彼の瞳も全て、震えていた。

「無理ありすぎるって‥‥真田の旦那‥‥」

彼は、音もなく笑った。その笑う表情が、やりきれなくて、俺はたった一つの目でも彼を見ることができなかった。いたたまれなくなったからだ。
だけども。
前田だけはちがった。彼を見つめ、そして困ったように苦笑を作ったのだ。

「だったら愛せばいい。」

前田はそういうなり、深く目をつむった。前田の瞼の裏には、はたして何がうつっているのだろうか。
そんなことは、勿論前田にしか、わからないだろう。

「あの子の“存在”を愛せばいい。なにも見えなくとも、あの子の姿を忘れたとしても、愛しい存在を、愛せばいいんだ。」

前田はそっと微笑んだ。それは優しい笑みだった。返事のように、猿が前田の笑顔の隣でキキッと鳴く。前田はふわりと猿の頭を触れるだけのように撫でた。

「あんたは、残酷な運命だけど、どうか悲しみにくれないでほしい。“知らなくなった”としても、それは、“あの子の願い”だったのだから」

「俺様が‥‥知らなくなった‥‥?」

彼は、何もしらないというように、いやきっとなにもしらないだろう。前田に聞き返す。

「何を‥‥知らなくなったの‥?」

その言葉に前田は苦く笑う。彼を傷つけないよう、できるだけ優しく、苦笑していた。

「死んだ、“あの子の全て”をさ。存在以外、全てあの子のことを知らなくなった。思い出してごらんよ、あの子の顔を、目を、声を」

俺は血の気を引いた気分がした。彼を見つめれば、それ以上に驚愕の顔をしていた。俺と彼の頭の中で、最悪のケースが頭に浮かんだからだ。
俺がそっと彼の肩に手を置いて、大丈夫か、と問いかけたと同時に、彼は自らの髪をむしり掴んだ。
わからない、と呟く。

「どういうことだ‥‥わからない、どうしよう、ねぇ、おれさま、うそだ‥‥おれ、真田の、真田の旦那が、思い出せない‥」

「おい、まさか‥」

「思い出せない!どうして!だって、いつも一緒に、一緒いたのに、どうして、あの人の、顔が思い出せない‥‥声も、手も、笑う表情だって、どうして、どうして‥っ」

彼の髪がぐしゃぐしゃとかきむしられていく。彼自らの手で、力強く引っ張られていく。俺は、動けなかった。どうすればいいか、わからなかった。
動いたのは、前田だった。
勢いよく彼の腕をひっつかむと、逞しい手で彼のやせ細った体をねじ伏せた。

「それがあの子が望んだことだよ!」

びりっ、と空気が前田の言葉に亀裂を走らせる。部屋は夏の匂いがするのに、どうも冷たさが感じた。ぽたり、と彼の頬に雨が降ってきた。当たり前だが、部屋の中に雨なぞ降るはずがない。その雨は、雲からではなく、前田の瞳から降りてきた。

「あの子が、望んだことだよ‥‥さっちゃん。」

前田は泣いていた。ひくり、と、大人らしくない泣き方をする。優しい人間だと思った。前田は傷ついているように感じる。痛みを二人分と知っているからだ。“あいつ”と、今目の前にいる、“彼”の痛みを。肌で感じ、心で感じ、そして肩代わりしようとするかのように、悲しみを共有するかのように、前田は子供のように泣いていた。

「覚えてないかもしれない、とあの子は笑っていたよ。昔、約束したようだね。あんたたち二人が、幼い頃にさ。」

お互いどちらか一方失った場合は、忘れるように、なんて。
言い出したのは、きっと佐助からだろう。その時は弁丸とよばれていた幸村は、それにひどく同意したのだろう。彼らはお互いに優しすぎたのだ。戦でしか生きられない運命の彼らは、いつかは戦で死ぬ。必ずどちらかが死んだその時、きっと相手が悲しみにくれるのは避けたかったのだろう。だから幸村は命じたのだ。お互いに、死を対面したその時、あるいは、何かを合図にしたその時に、自分の記憶が綺麗に消えますように、と。

「確かめたら、たしかにそういった術があると、かすがちゃんから聞いたよ。」

前田は言う。話がよめてきた。
つまりは、猿飛佐助は、主の命令により、はるか昔に、互いのどちらか一方が死んだ時に発動する、その術をお互いにかけたのだ。
真田幸村に、そして、自分にも。
死んだ自分を、あるいは相手を、忘れる、そのすべを。

「じゃあ、じゃあ、いつか俺様は、俺は、だんなの存在を、忘れてしまうの‥‥?俺様は、」

彼は、静かに、涙をおろした。言葉をのみこむ俺の横で、ふわり、と微笑んだのは、やはり前田で。
優しい笑みでこう言った。

「愛はきっと、どんな術よりも強力だよ。」

キキッと賛同をするようにまた猿が鳴く。飛び跳ねた小さい体を、前田は静かに支えた。猿は、前田の服の中に隠れ込む。

「これから、なにがおきようが、そんでなにがあったとしても、あの子の存在を、愛してみて。きっと、なにかが見えてくるはずだよ。」

彼は顔を上げた。わからない。そう表情が物語っている。俺は、悲しげに、じとり、と前田を見つめた。目が合えば、どことなく前田は苦笑した。

「俺はね、反対なんだ。あの子の一方通行な想いは。真実は言わないけど、でもね、あんたには全て知る義務ってものがあると思うんだよね。俺は、あんたに知ってほしい。あの子の、大きすぎた、あんただけに贈った想いを。」

なにを物語っているのか、きっと彼にはわからないのだと思うけれど。
少しだけ、俺も思ってしまったのだ。
守るだけでなく、教え傷つけるのも彼のためになるのではないかと。


俺は、たまらず苦笑してみせた。
それは俺ができることではないと思ったからだ。

俺には、きっと真実を導いてやる勇気がない。


傷というのは、傷を見つけ、傷ついたと認識したとき初めて、痛みが生じる。
言えないに決まってる。
彼にほんとうの傷の居場所なんて言えるはずもなく。
傷の深さに気がつき、痛みに泣き叫ぶ彼の姿を見れないからだ。
だから、思った。

あいつが、彼に与えた小さな傷でごまかして、大きな傷は、これからも隠していこうと。
気がつかなければいいと思った。
そのまま、気がつかないまま、傷が治ればいいと思った。傷が治り、すべてが無かったかのように傷の事なんて忘れさればいいと思った。
それが、あいつの願いだからだ。


俺がそう決意し、顔をあげた。
前田はしばらく俺を見た後、そっか、とあきらめたように、苦笑した。







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