現ぱろはなし | ナノ





「触れてもよろしいでしょうか、」

そいつにとっては何気ない一言だった。でもそれはそいつにとってであり、俺にとってその一言は、あまりにも、衝撃的で、何かがはじけた瞬間だった。
ぱん、とはじけた何かがひしひしと音をたてて崩れていくのがわかる。なんだこれは。なんなんだ。
戸惑っていた俺に、すっと。
構うことなく優しく目の前に突きつけられたのは、綺麗な、男の手には見えないほど、この手が武器なんか持てるはずがないと思えるほど、それはそれは綺麗で仕方ない手だった。
それが徐々に距離を縮める。拒むことが、できなかった。あまりにもその存在が綺麗で。果たして目の前の彼は自分が知っている彼なのであろうか。いやもしかしたら、自分の知っている彼が今の彼なのだろうか?わけがわからなくなってきた。
綺麗な手が、そっと、触れるのもおぞましいと言われ続けた瞼に重なった。
触れてしまった。その瞬間、罪悪感が胸を締め付け、瞼がぶるぶると震えだす。
綺麗な手を、己の醜いこの右目で、よごしてしまったのだ。どうすることもできずに、でもこの手を離さなければと考えていれば、ふっと、小さく音がなった。
見上げれば、笑みが小さく広がっていて。

「貴殿がどう思っておるか定かではござらんが、それがしは、美しいと、思うのです。」

そうして笑う彼の顔に、たったひとつだけ使える左目が、うばわれてしまっていて。
その瞬間、それはきっと世界中のどれよりも、美しかっただろう。それ以上なんてきっとないほど、ただ、それくらい美しかったのだ。美しかったのだ。

「その目が、貴殿を強くし、誇り高い宝も得て、守りゆく存在を作り、貴殿を変えたのなら、貴殿は美しい故、ならばその目すらも愛せる存在になるのではないでしょうか、」

手がゆっくりと離れ、頬を綺麗に拭いてくれた。どうやら、無意識だった。泣いていたのだ。

「醜くはござらん。もっと、誇りをもって、愛してやってくだされ。貴殿は、どこも醜くはございませぬ、政宗殿」

落ちた眼帯をゆっくりと拾い、すこし埃をはたいて、そっと彼はそれを右目に包んでくれた。
指の一本さえ、動くことはできなかった。
わかった。わかったのだ。
己の中で崩れていったのは、そう、今まで強がって隠し閉まっていた弱い自分自身だったのだ。
崩された自分に残ったのは、新しく味わった、初めての感情で。
苦しかった。でもそれは、孤独や罪悪感ではない。
いまならば、わかるのに。
その時、あの綺麗な存在に手を伸ばし、荒々しく抱きしめて大声を上げて、泣けばよかった。泣けばよかったのに。

俺は、彼を。

真田幸村を、愛してしまったのだ。



彼の死を受ける、ひと月前の話だ。















彼を見つけ、3日すぎ、4日の日も終わりに近づいていた頃だった。
様子を見ようと、彼が寝ている襖をゆっくりと開ければ、そこに誰もいなく。
「‥‥は、」
布団の上にも、勿論、下にもいない。逃げたのか、と考えを巡らせていた時だった。

「随分とお世話になったみたいで、」

怪我人にしては随分と明るい声が部屋に入る。縁側からだ。部屋に入り、障子を開ければ、そこには縁側に腰をかけた、やつがいて。
黒い鳥を肩にのせ、手のひらで体をそっと撫でていた。淡い色の髪が夕日に照らされてきらきらと揺れている。それはだれが見ても綺麗だった。
ゆっくりと振り向いた、その顔は、さきほどまで消えかかっていたペイントがさらにいっそう濃さを増していた。どうやら、書き直したらしい。それにしても、どうしてやつはペイントを書くのだろうか。どうもわからない。

「おい、てめぇ、勝手に動くんじゃねぇよ。怪我人の癖して、」
「それはこっちの台詞。勝手に低い身分の忍を治療しないでくれるかなぁ」

思わず、俺は眉をひそめる。ひそめずにはいられなかった。なにを言っているんだ、こいつは。

「おまえ、なに言ってるんだ」
「別に?ただあんたらしくないんじゃないの、俺様を、治療するなんてさ」

そういって、やつは笑った。すいませんねー、俺様、身分ははっきりしていたい方なんで、と小さく呟いていた。

「おまえ、」
「ああそう、俺様瀕死ながらにここへと向かったのには、ワケがあってさ。」

そう言ってやつは、鳥の細い足に結ばれていた、小さな紙をほどいた。その中身を見ようともせずに、やつはそれをこちらへとわたした。

「真田の、旦那からだよ。」

なにを言っているのか、俺にはわけがわかなかった。だって、彼はたしかに‥。

言葉を出そうと唇を開けたが、音をだす事を断念した。ある事にきづいたからだ。
今、目の前にいる彼は、何も知らないのではないだろうか。気がついてないのではないか。
手紙が、なんらかの事情を知っているかもしれない。頭の中で何かがそう感じた。

「ついでに俺様なんにも中身見てないからね。真田の旦那が絶対に見るな、て命令してきたもんでさ、」

俺はじとり、とやつを見つめる。にこにこと笑う彼の顔は、嘘の匂いがしなかった。どうやらそれは本当らしい。

紙を震える指でゆっくりと開けた。文字が目のガラスにうつる。汚い字だった。瀕死からがらに書いた字なのだろう。おそらくこれを書いたその時はもう、悟っていたのかもしれない。自分の死、を。

「‥‥Shit」

愕然とする、というのはまさにこの事なのだろうか。まさしく、今の状態のために作られた言葉なのだろう。愕然とした。

深く深く、瞳を閉じる。
右目を自らの手で覆った。
泣きそうだったのだ。
これから先、“真田幸村”に、触れることも触れられる事も、もうないのだ。
ゆっくりと瞳をあけた。
それでも、と。
それでもいいと思えた。
守るべきものが、たしかにそこに存在するのなら。守ろう、と。

「俺様そろそろ行くんで。とりあえず、手当てありがとうございました、と」

ゆっくりと立ち上がるそいつに、俺は、おい、と呟いた。

「どこへいくつもりだ」
「どこへって‥‥戦中なんでここに油売ってるわけにはいかないの。それに、アンタ、敵だろ?」

天下分け目のこの時代、たしかに俺と真田は敵同士の分類に入っていた。
だから、この流れに行き着いたのだろう。

「敵さんの懐にいるのもさぁ、すごく嫌な気分だしねぇ」

そういうやつの目をじり、と見つめ、やがて、言った。

「戦は、終わった。」

はっと息をのむ音がかすかにこちらまで聞こえた。何か言おうとやつは口を開けたのを、俺が言葉で遮った。

「おまえらの方が、負けたんだ」
「おいおい、ちょっとちょっと‥‥冗談に付き合ってる場合じゃあ‥」

「冗談に聞こえるのか」

少しだけ低い声を告げれば、びくり、とやつの髪が揺れた。
栗色の焼けた瞳が、じわりと揺らいでる。

「うそだ、ありえない、だんなは‥‥真田の」

そこではたり、とやつが我にかえるような仕草をした。
徐々に恐怖を抱かす色がやつの目に染まっていくのがわかる。

「さ‥真田の、真田の旦那は!さなだの」
「真田幸村は!」

叫べば、震える声しか出なかった。どうしてだと自分に問いかける。こんな茶番、付き合うだけ損なのだとわかりきってるはずなのに。それでも、知った。俺は、どうやら“あいつ”と違って弱い人間なのだ。そんなこと、初めからそうだったじゃないか。あの日、真田幸村から優しさを貰った日からどこか勘違いをしていたんだ。貰ったのは強さじゃない。あいつだけの優しさにただ甘えただけだったんだ。
しかし。
それでも、だ。

「‥‥真田幸村は、生きている。」

それでももし俺にも守るべきものがたしかにあるのなら、それがけして仮初めで、自分の都合のよい形で守り抜くのだとしても、ひどい結末であったとしても、

「旦那は‥‥生きて、いる、」

それが、相手を偽る行為だったとしても、その存在を守ることは俺の義務で、そして“あいつ”との最初で最後の約束なのであるから。
俺は、嘘をついてでも、それを守り抜こうと誓っていきたい。

「おまえは、ここにいてもらう。真田幸村の命令にその指示があった。この紙に書かれている。負けを悟っていたんだろうな、あんたをよろしくだってよ。命令に背くか?」
背かない、はずだ。
そうだろう、いまのおまえなら、背かないはずだ。

俺は心の内にそう思う。首を振れ、背くな、背くな‥‥。

「ほんとうに、言ってる?」
「Ah?」
「ほんとうにそう書いてあるのかっていってんの。」

合った目は微かながら震えていた。やつは心配なのだ。己の主が。いくら生きていると聞いても、遠くにいたら心配になる気持ちになるのもわかる。しかし、だ。行かせるわけにはいかない。
ついでにいえば文面もみせてはいけない。

「ああ、たしかにそう書いてるが‥‥見るか?Oh、そういやおまえ、あいつに見るなと言われてたんだったか?」
「‥‥っ」
「‥‥見るか?」
「‥‥‥見ないし、好きにしてくれ」

やつは、座った。
少しだけ、苦く笑った。これで、いまは安心なのだ。いつまで続くかは、わからないが。

「外にあまりでるなよ。一応、人質の身として預かる。いいな?」
「そんな、忍を人質だなんて‥‥んな価値ないっつーの」

思わず、言葉を失う。そんなことない、お前はちがうんだ、というその言葉を言いそうになって、しかしやはりやめた。そう言えば、“台無しになる”からだ。


部屋をそっと出る。
少し離れたところまで歩けば止まり、小さな息を落とした。

「ほんと‥、ったく、バカな野郎だ」

視線を下へと落とし、手のひらをゆっくりと開く。小さな紙は、くしゃくしゃに皺を一生懸命作っていた。その中に、そのすべてが、あった。





嘘をついた。嘘をついたのだ。
紙には、真田幸村が猿飛佐助を人質に送り込む指示なんて、そんなの一言も書かれてなんか、いないのだ。


預けることの理由には変わりなかったが、それだけではない。

これを書いた彼は自らの死を悟っていた。だから書いたのだ。死ににいくので、彼は預けますと。一生涯守ってやってくださいと。独眼竜しかいない、なんていってもくれていた。ほんと、笑える。


何が笑えるかって、あれだ。
すぐにバレるとどこかで思っているくせに、それを必死に隠そうとし、立派に守ろうとする自分に、結局は何かにすがってかっこつける自分が、すごく笑えたんだ。
どうか、そんな嘘をつく俺を、お前は何も気がつくことなく、許してほしいんだ。





守るのは、嘘という約束

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