!死ねた
!血表現あり
嫌な予感がした。
嫌な予感が、したんだ。
ずくり、と右目があるはずだったそこが泣く。痛みが鋭くはしる。
思わずたった一つの目をぎゅうとつぶった時に。
ふわりと。
あいつが、笑っていた。
瞼の裏に堂々と立ち尽くしたあいつは、こちらを見つめ笑っていた。
消えそうだ、と。
そう思った。
「やめてくれ、」
俺は彼へ言う。泣きながら、母へ愛を求め幼い手を伸ばし必死に懇願した、あの時のように、
俺は、涙を流しながら彼へ、手を伸ばした。
瞼の裏が、じわりと滲む。
あの美しい手に触れられたあの日に小さく壊れたはずの、自分自身の弱さが。
今じゃ、それが自分のすべてねように思えた。
弱い手が、彼の笑顔へ弱々しく伸ばされている。それは小刻みに震えていた。
「やめてくれ、消えないでくれ、おれは、おれは、お前を‥‥!」
決まってそうだ。
結局はあの男は笑ってそれで、己の前から姿を消す。己の中で、光輝き、眩しく己を見惚れさせながら、気がつけば、消えているのだ。
触れられ、優しさを己に差し上げ、そして消えたあの日のように。
彼は、綺麗な表情で、微笑んだ。
そして、音が告げた。
すみませぬ、独眼竜
がしゃん、と。
鉄がこすれる音がした。
「すまないね、独眼竜」
目を開ければ、苦く笑った彼が居た。俺はぼやけた視界を懸命に安定させようと努力した。
「おまえ‥‥どこいってたんだ、小十郎がいないっつってたから‥‥みんなで、探してたんだからな‥‥」
「‥‥‥‥うん、ごめんね」
「いいから、もう寝な。傷開くとおまえが困るんだ。日が沈む前に、早く中にはい」
「ごめんね独眼竜」
彼はそういうと、すっ、と胸の前で手に持ったものをこちらへ突きつける。
それを見、俺は、はっ、と息を吐くように笑った。
「それが、あんたの、俺に対するお礼かよ、」
それは、腰にぶら下げてあった、大型の手裏剣で。彼は小さく苦笑をする。
彼の髪が、ゆらりと夕日に焼かれながら、小さく揺れる。
「違うよ、‥‥違うんだ」
彼は、小さく否定する。少し笑みを含め、優しげにそう言った彼は、ただただ真っ直ぐこちらを見つめていた。
綺麗な瞳が、こちらをそらさない。
「たしかめたい、ただそれだけなんだ。」
ひゅっ、と。
自分の喉が少しだけ鳴ったのがわかる。喉の渇きが、空気の通るだけの行為に痛みを走らせる。冷や汗が、じんわりと掌に滲み出てきた。
まずいと感じた。
「なにを、確かめたいんだ‥?」
俺はゆっくりと、かすれるような声で聞く。
ふふふ、と笑う音が、風に乗ってふわりと運ばれてきた。笑ったのは、勿論彼しかいない。
そして、ばちり、と。
合った視線は、その、瞳は。
久しぶりに感じた。
あの男の、炎のように燃え上がる、獣のような、戦で見せていた、あの、瞳で。
「嘘つき。」
その視線、瞳、言葉に。
ぞわり、と鳥肌がたったのがわかった。
まさか、まさか彼は。
「あんた、わかってるんでしょう?俺が今、“何かに気がつき始めていて”、そして“何を確かめようとしているのか”なんてさ」
嗚呼、そうか。
“もう気がつきはじめてるのか”。
俺は、瞳を瞑る。
恨まれるかもしれない。死んだあいつから、恨まれるかもしれない。
あいつとの約束である、たった一つの、それでいて大きな嘘が、たったいま、
たったいま、静かに崩れているのだから。
「刀を、抜いてくれないか、独眼竜。」
彼はそういって、手裏剣を構えなおす。しゃりん、と刃が少しだけ、夕日の光を反射させた。
「独眼竜‥‥!」
彼の声に。
思わず、苦笑を投げつけた。
嗚呼、そういうことか。
俺は、泣きたくなった。
猿飛佐助も、真田幸村も。
酷いやつらだと、思った。
こちらの身も知らないで、自分勝手な事を言いだして、挙げ句の果てには、手の届かないところへいく。
嫌いになりたかった。
嫌いに、なりたいのに。
教えてほしいと思うんだ。
彼らを、とてつもなく、嫌いになる方法を。誰でもいい、教えてほしい。
そして、二人に気がついてほしい。
ただ自分達らが、幸せになる方法を。
お互いが、幸せになる方法を。
相手だけを想いやるのが、すべてではないことを。
気がつけば、いいのに。
つまりは、俺は馬鹿なのだ。
損なのは、わかっている。だけどどうしても、彼らが。
たまらなく、愛おしいのだ。
だから、どうか。
笑い合えればいいと、思った。
「Ok.‥Come on‥‥!」
俺は、そうとう、馬鹿なんだ。
だから、そう。
泣くぐらいは、許してくれないか。俺は、苦笑した。
刀を、ゆっくりと。
一本だけ握って、抜いた。
「‥‥いくよ、」
彼はそう言うと、地面を蹴った。
素晴らしい速さだった。認める。さすがだと思う。
だけど、いつも鳴らす口笛が吹けない。変わりに出るのは、ただの涙。
目の前まで距離を縮めた彼と、一瞬だけ、
一瞬だけ、目が合った。
時が止まったような、そんな気がした。目が合って、そして、ふっ、と。
彼が、苦笑を浮かべた。
それからは、時間が、ゆっくりと流れたような感じがした。
彼が重々しいその手裏剣をこちらへ振り下ろす。それを刀ではじき、後ろへ一歩だけ寄る。帰ってきた手裏剣は、こちらには届かなかった。俺は、しゃがみこんで、その目の前にある、脇腹を。
「がっ‥!」
彼が小さく鳴いた。そのまま、刀を走らせ、体から離す。
「うっ‥‥ぐ、‥あ」
数歩、彼はよろめいて、崩れた。
俺は、腕を伸ばし、その体を壊れ物のように、大事に受け取る。
座りこんで、膝に彼の頭を乗せる。彼が、震えながら、こちらを見上げた。
「こんくらいのことで、死にはしないぜ‥‥?」
苦笑する彼に、こちらも苦笑して、「いや、だめだろうな」と呟いた。
「前の傷、開いただろ‥?」
「ああ、ほんとだ‥。もう、痛みがなくて、気がつかなかったや‥‥じゃあ、あれだね」
「‥‥An?」
「そろそろ、いけるん、だね」
「‥‥‥」
そんな顔すんなよ独眼竜、と彼が笑う。ごぷり、と彼は血を小さく吐いた。肺を傷つけたせいかもしれない。
俺は、その血をゆっくりと拭った。
「どうして、気がついた」
「‥‥‥北条の忍が、これを」
そう言って、取り出したのは、赤で。
俺は思わず、それに手を伸ばし、受け取る。
「懐かしいだろ?」
そういって、苦笑する彼は、苦しげで。
「その時、違和感がしたんだ。“なつかしい”のがさ。そして、死んだ彼は、“これをおれに返したがっていた”らしくてさ、それでね。」
彼は震える手で、ごしごしと鼻と頬をまんべんなくこする。緑色のペイントが、いとも簡単に、消え去った。
「確かめてみたら、ほら、この様だよ。」
俺は、そっと彼の頬へ触れた。透明な涙が、彼の頬を伝っているからだ。俺は、ぐっと唇を噛む。離したくは、ないと思った。
「泣くんなら、死のうとすんじゃねぇよ‥‥」
「え、何言ってん、の独眼竜」
「お前、泣いて、る、じゃねぇか」
「ははは。おばかさん」
そう笑って、そっと。
彼は、綺麗な手で、俺の頬を拭った。あの時、右目に触れた、あの時の綺麗な手と、同じように。
俺の頬を、拭った。
「泣いているのは、独眼竜の方。」
彼の頬に、涙が落ちる。嗚呼、なるほど。俺が、泣いていたのか。
ぽたり、ぽたり、と。
苦笑する彼の頬に、沢山涙が落ちていく。
わりぃ、と言いながら、それでもどうしてか、引っ込まない。
「独眼竜、ごめんね、」
そういって、いまだに苦笑したままの彼が言う。
「待ってるんだ、俺が来るのを。あれは、ずっと待ってる。だから、いかなければ、だから、独眼竜」
「‥‥ああ、」
酷い願いだけれども。
結局は、叶えてあげるのは、俺なんだよな。苦笑する。
刀を、握り返した。
「あ、そうだ。それから、さ、あともう一つ、あるんだけど」
「なにがだ」
「俺が、この嘘を見破った、わけ。‥‥‥名前を、」
「名前?」
「そう。‥‥あんただけは、呼ばなかったんだ。俺の、名前を。」
失敗だったろ?と彼は楽しそうに笑う。嗚呼、そうだな、と俺は顔を歪めた。
「呼べなかったんだ。なぜなら、俺は、」
「独眼竜、」
彼は、真っ赤な唇で、俺を呼ぶ。
「俺は、死ぬ前に、そんな大それた言葉、聞くことなど、できません‥‥」
俺は、思わず笑った。
かたいやつ、と笑えば、涙がぼろぼろと出てくる。くそう、まだ引っ込んでなかったのか、とぼやけば、彼は笑った。
「光は、水面に映ることができる。しかし、光は夕日がなければ、生まれることができない。そして、それ以上に、」
彼は瞳を瞑る。それが、開くことは、それから二度と、なかった。
「光がなければ、夕日は輝きを失い、夕日じゃなくなって、沈むだけ」
そういって、彼は微笑んだ。今までみた、彼の表情で、一番好きな顔だった。
さぁ、はやくしろ、と。そういう意味なのだろうか。
俺は、包みこむように、抱きしめるように、彼を、突き刺した。
がっ、と音が鈍く鳴る。
刀を抜く。血しぶきが、体全体で浴びた。
詫びようと思い、彼の力の抜けた体をめいいっぱい抱きしめ、耳元まで唇を持って言った時だ。
やっと、会えたな。
彼が、確かにそういった。
体を離し、血がついた彼の顔を覗く。
嗚呼、なんてしまりのない顔をしているんだ。俺は思わず呆れてしまって、後悔と、安堵が、矛盾して生まれた。
微笑みながら死んでいった彼の額に、赤の勲章を巻き付ける。
その死体となってしまった体をだきしめる。
大声を張り上げ、泣く。
だけれど、これくらいはゆるしてくれよ。
泣いて、揺さぶって、好きだ、と言えずじまいだったその言葉をただ叫んで。
そうだ。やっと、会えたんだ。
受け取らなくていい。言わせてくれ。
あんたが、好きだったんだと。
見渡せば、夕日はもう、沈んでいて、そこには、ただ海だけが広がるだけだった。
ぽつり、ぽつり、歩けば、視界が広がった。目の前に、川がある。嗚呼、これが噂の。
そこの岸辺に、一人男が立っていて。
彼はこちらをゆっくりと振り向いて、こちらを見つけた途端、あの表情をした。
彼が得意な、苦笑である。
嗚呼、やっぱりね。来ちゃったかぁ
その言葉に、苦笑を返したのは、俺だ。怒るのは、面倒なので、殴るだけで勘弁してやろうと思った。
嘘つきと、ただ苦笑