穴あき幽霊さんシリーズの設定で環さんが素敵な小説を書いてくれました‥!ありがとうです‥!






――逝き遅れたのだ、と思った。

意識がどろどろした生温い泥濘の中から緩やかに浮上していった。薄く目を開けると、白くぼんやりとした光が視界に差し込んでいることがわかった。だが全てがぼやけていて、まだ上手くものを見ることができない。辺りは暖かさに満ちていた。
僕は死んだのだ、と花京院は思った。あの時、エジプトで。
ここは心地良い感じがする。暖かくて、明るい。ここは死後の世界だろうか。
視界が徐々に徐々に明瞭になっていき、ようやく辺りの様子が分かった。畳の上には机があった。自分はその正面で横たわっていたらしい。
障子を徹る仄かな光が部屋を照らしている。その光の照らすままに、視線をゆっくりとずらしていった。そこで初めて思った。ああ僕はもう取り返しがつかない。
釘付けにされたのは、生まれて二番目に他人のことを強くて美しいと思った、彼――空条承太郎の、見慣れすぎた学ランだった。僕は死後の世界にすら到達できなかったらしい。
考えてみれば不思議なことでもなかった。僕は彼に会うまでは人間の出来損ないのような奴だったから。そう思って苦笑した。僕がその様なことを言うと彼は決まって「ふざけるのもいい加減にしろ」と僕を叱咤したものだった。
こんなことを思っても、もう彼に叱ってもらうことはできない。僕は自らへ目をやった。
身体は向こう側を映し出し、仄かに光って、おまけに穴さえも開いている。紛れも無い幽霊のそれだ。僕は幽霊になってしまった。あの世へも逝けず、異形となって現世へ留まってしまった。
僕は何に執着をして、何に憤り、何を不条理だと思って、この世へと柵を残してしまったのか。
考えうる答えは一つしかなかった。その考えに行き着いて、頭が真っ白になる。胸が詰まって泣きそうになった。――だが泣けなかった。
心の底から急速に冷えていく。これが亡者と生者との間の深い溝で、屹立した差だった。
泣こうにも涙など出はしない。身体など、ないのだから。

襖の向こうから足音が聞こえて、ああとうとうこの時が来たのだ、と思った。とうとう後戻りが出来なくなる。……する気も、もう殆ど無かった。
襖がゆっくりと開かれる。ゆっくりと、彼の姿を露わにしていく。その瞬間がまるで時の止まったように感じられた。――止められるものならば、永遠に時を止めてくれ。永遠に、君と二人の世界で。
君の私服姿は初めて見たよ。学ラン以外も似合うんだね。知ってた、美人は何でも似合うんですよね。ああ、どんな君も、愛おしい。
一瞬、視線が交差した気がして、心臓が跳ねた心地がした。そんなわけがあるか、と思わず笑ってしまう。
彼は未来の希望、その体現のような人で、だから過去の残りかすである幽霊なんて見えやしないだろう。だから彼を美しいと思うのだ。

ある雨の日だった。僕はいつも彼に着いて歩いていた。……いや、「憑いて」と言った方が正確だな、この場合。とにかくその日は雨で、僕はいつもの様にしようと思って、やめた。そうして彼の部屋に留まっていた。度々暇になって家全体を徘徊したりもしたが、ホリィさんに何度も会って、なんとなく生活を覗き見ているような気がして申し訳なくなったのだ。
夕方になった頃だろうか、彼は帰ってきた。傘も何も差さずに来たようだった。長い学ランの裾からぽたぽたと水滴が落ち、玄関に水溜りを作っている。それは一滴一滴と、少しずつ、されど確実に範囲を広げていた。
早くタオルを用意しないと、ああホリィさんは今買い物に出かけてしまっているんだ。承太郎のことだから頓着しないでこのままその辺にでも座ってしまいそうな勢いだ。
でもどうしたのだろう、彼の鞄にはホリィさんが折り畳み傘を入れている筈だ。しかもずっと立ち止まったまま動こうともしない。ホリィさんが出てくるのを待っているのだろうか。ああ早く帰ってきてあげてくれ。
ふと帽子の中の顔を覗き見ると、彼の深い翠色の瞳から、幾筋もの雫が流れ落ちていた。


承太郎が泣くのを見るのは初めてだった。
美しい瞳に涙の膜が張っているのもまた綺麗だ、とぼんやりと思った。
でも彼には涙なんて似合わない。承太郎、君には笑っていて欲しいんだ。
思わずその身体に回そうとした腕が、空を切る。
ああ僕は君を抱きしめることすらできない。それがたまらなく切なくて、でも泣くことすらできなくて、ただ誰にも聞こえることのない声で絶叫した。
僕ではどうやっても、彼を幸せにすることなんてできっこない。どうやっても。なぜなら、彼に僕は見えないからだ。

――僕は、彼に己が見えて欲しいと思っているのか?

いや、と思った。そうではない。別に見えて欲しくもないさ。哀れな僕の姿を目の当たりにして、そしてもしも自分のせいで僕がこの世に留まってしまったのだなんて知ったならば、彼はきっと自分を責める。
見えたって、どうせきっと不幸せになるだけだ。亡者と生者なのだから。最初はいい。失った戦友が、一風変わった姿で帰ってきた、それだけだ。しかし年を重ねたらどうなる?幽霊の僕は永遠に時が止まっている。どんどん離れていく。僕はあの時に取り残されていて、でも彼は現在を生き続けている。生きてお互いと共にいた時間よりも死んでから共有する時の方が長くなって、実は僕たちは互いを全然知らなかったことに気付く。何をしても後悔するだけだ。

では僕は、一体何故この世にこうして残っているのだろうか?
己の恋心のためではないかとも思ったが、そうではない。――そんなわけがあってたまるか。僕はそこまで愚かじゃあない。自分のために自分の身を犠牲にして彼の傍に居続けるほど生前の自分に愛着は無かった。
ふと顔を上げて、タオルを首からかけている承太郎を見つめた。愛おしさと切なさがないまぜになって胸にこみ上げてくる。
幸せになることを、見届けるためだ。きっとそう。
それは畢竟、死んでしまった僕の代わりを務める存在を見届けたいということで、随分と偉そうな願いだなと思って苦笑した。

それから幾度も暦が変わった。ぐるぐると目まぐるしく季節は巡っていく。旅路では知り得なかった彼の多くの面を知った。
いくら歳月が流れたところで、僕が承太郎に憑いてまわっているというのは変わらなかった。光陰は確実に過ぎていく。彼の中の僕はどんどん色褪せてゆくばかり。……でも、それで良いのだ。
――幽霊というのはこんなにも時が過ぎるのが早いのか、と驚嘆した。

死んだことに何の後悔も無かった。……無いと思っていた。それなのにどうしてこんなにも時が過ぎるのが悲しいと思うのか。ひどくむなしいと思った。僕にはもう何もない。
承太郎はアメリカの大学へ進学した。そこで出会った女性と彼は恋に落ちた。
――見守る?見届ける?ずいぶんと野暮なことをしているものだ。ただの独占欲のはけ口じゃあないか。彼が幸せになれるなら何でもいいとかほざきつつ、どうして自分がその役じゃなかったんだろう、という声が頭の中でぐるぐると反響しているのだ。
彼はまだ、机の上に写真立てを置いている。僕らを忘れないために。
彼はきっともう、僕の声なんて覚えちゃあいない。


結婚しよう、と言った。うれしい、と返していた。壮絶な戦いを繰り広げた彼がやっと、平穏に生きるための居場所を手に入れるのだと思うと、喉に熱いものがこみあげたような気がした。そろそろ僕も成仏の時かな。思えば随分と長い間憑いてまわったものだ。その執着心たるや物凄いものだと苦笑する。
涙は、出なかった。

お嫁さんは随分と綺麗な女性だった。こりゃあお似合いだ、と素直に思った。……でも承太郎は大和撫子がタイプだって言ってなかったっけ。彼女は欧米美人だ。娘さんができたらさぞかしモデル体系でかっこいい美人になるだろうと思う。息子だったら……ジョースターさんのひ孫ということもあるからどうなるかは分からないね。そう言ったらジョースターさんは怒りそうだ、と思った。


娘さんが生まれた。
赤子は生きるために大きな声を上げ泣き叫ぶ。

「おめでとう」

口に出して、言った。それは届くことはない。儚くも霧散した、一人の死人の声だ。死人に、口は無い。
彼女の瞳は美しい翠色を呈していて、首には星型のアザがあった。承太郎の血が色濃く受け継がれている。僕は幸せそうにすやすやと眠っている徐倫ちゃんの顔を見た。まるで天使のようだ、と思った。命のサイクルというのはこうも容易いものなのか。死というものはたとえどんな悲願があろうと、約束があろうと、関係も無く襲い掛かる。あの一冬の旅で、僕は多くを知った。多くの生と死を目の当たりにした。かつての仲間の、敵は多くが死んだ。皆悪人だった。いや、僕はそのような側面しか見ていないからそう思うのであって、本質は、分からない。そして仲間も死んでしまった。アヴドゥル、イギー。そして僕自身の命さえ。
目が覚めたのは僕が死んで暫く後のことだった。もう葬式なんてとっくに終わっていただろう。ただ四十九日よりは前らしかった。暦はまだ二月だった。

彼、そしてホリィさんがこうして生きているということは、諸悪の根源である、吸血鬼DIOを殺すのに成功した、ということだ。
思えば、DIOの美しいカリスマ性に心を惹かれ、彼の傘下に入ったのだった。全てがあの男に蹂躙され、膝をついて頭をたれた。――そう、時でさえも。


吸血鬼と、幽霊。それはなかなかに似ている存在のようで、反面、雲泥の差があるようにも思われた。
永遠の時を持っている。――それはつまり、永遠に始まることのない時の中に生き続け、そして死に続けているということなのだ。それがザ・ワールドの、時止めの能力のルーツだったのだろう。――しかし残念ながら、幽霊にはスタンドは出せないらしい。魂が変わってしまったからか?それとも、死んだということで、僕がこうも根暗に変わってしまったからなのか。分かるはずもないし、17年間共にいた相棒でとても寂しくもあったけれど、もう居なくても僕は平気だと思った。そもそも僕自身がスタンドなんじゃあないかというレベルだ。ネチネチと性懲りもなく承太郎に憑きまとい続けている。そして、たまにこうして徐倫ちゃんを見ているのだ。
赤ちゃんというものは、とても良い。承太郎の子だというのもあるけれど、生まれ出でた命、というものをまじまじと観察し、その生を感じ取れるというのが、とても好きだった。
そろそろ成仏しようか。そう思うのはもう何度目になるだろうか。

その日は腹の立つほどに晴天で、高く昇った太陽はジリジリとアスファルトを焦がしていた。僕の生まれた季節だとぼんやり思った。承太郎が家にいたので、僕も家に留まっていた。徐倫ちゃんも大きくなったな、と思った。そして、承太郎の彼女への愛がひしひしと感じられて、無性に泣きたくなった。――家族愛か。僕には縁の無い言葉だった。今頃、両親は何をしているだろう。不孝者で申し訳なかった。今更そう思っても、あとの祭りだ。
僕は、家の中でも相変わらず彼がかぶり続けている帽子を穴が開くほど見つめた。
昼下がりに電話が鳴った。それは運命を分かつ電話だった。
――僕はもう暫く成仏できないな、と冷えた頭が考えているのを、ただただ感じ取っていた。


久し振りに日本に帰ってきた。随分と長い間離れていたはずなのに、まだ昨日のことのように思えてしまう。僕がここで生きていたことさえも。
それからも僕はずっと、二人の生活を見守っていた。承太郎は男手一つで徐倫ちゃんを育てていた。仕事が立て込んでいて、徐倫ちゃんの面倒を見切れないということもしばしばだった。その度に僕がなんとかしてあげられればなあとも思ったが、すぐに否定した。
――そのように思ってしまっては駄目だ。死人が、生きている人に干渉するのはいけない。
徐倫ちゃんが成長していくのを、僕はずっと見守っていた。大変そうなことも多々あって、僕はそんな二人の様子を目で追い続けた。
徐倫ちゃんは小学校へと上がった。まだ僕は成仏できずにいた。そろそろもういいんじゃないかと思った。もう半分惰性のようなものなのかもしれないとも思った。自分の気持ちは良く分からない、と思った。
ずっと、二人の傍らで止まった時を過ごし続けている。それでいい気もした。
ある時、ふと徐倫ちゃんが僕の方に伸ばした手を、承太郎ごと、そっと包み込んだ。――本当に僕は、さながらスタンドのようではないか。おかしくて少し笑ってしまった。少しだけ、徐倫ちゃんも、つられて笑ったような気がした。
こんなにも幸せに満ちている。承太郎はもう僕が心配なんてしなくたって、この先も幸せに生きていくだろう。僕は明日、成仏することを決めた。今日は友引だったから。


夜風が、開いた窓を通り、カーテンをふわりと舞い上がらせた。僕は窓の桟に腰掛けている。暗い部屋に、仄かに月の光が差し込んでいた。それは彼の寝顔からは少し外れていて、はっきりと伺い見ることは出来なかった。顔を近づけ、至近距離から覗き込む。指で額をなぞり、頬に滑らせていく。だがあくまで振りだ。本当に触れることはできなかった。それでも彼に触れているような気がして、満足だった。
おやすみ、さようなら。僕がいなくても、元気でやっていってね。僕がずっと見ていたことは知らないだろうし、知ったらきっと怒るだろうから、知らなくても構わないのだけれど。

彼の研究資料の山積みになった机を横目で見た。二つの写真立てが乗っている。きっと彼は、これからも胸を痛ませるだろう。あの雨の日、声もなく涙を流し続けたように。悲しみは少しずつ少しずつ堆積していって、気付いたときには取り返しもつかないような、大きな空虚感となって襲い掛かる。――その澱を溶かしていくのが、暖かに包み込む幸せで、彼にとっての徐倫ちゃんなのだ。彼女は僕にとっても希望となっていた。いつの間にか、僕の中でも大きな存在となった。
きっと美しく、逞しく成長するだろう。そして願わくは、承太郎を支え続けてくれ。僕が達成し得なかった望みだ。僕の代わりとか、そういったものではなく。
大好きだよ、承太郎。この気持ちは、愛という類のものなのだろうかと思った。今まで持ったことのない、大きくて切ない感情だった。これ以上彼の顔を見ていたら踏ん切りがつかなくなりそうで、背中を向けてすっと部屋から出た。

廊下を挟んだ向かい側には徐倫ちゃんの部屋があって、僕は最後に彼女の顔を見てから逝こう、と思った。これだけ遅刻したのだから、あと少しぐらい遅れたって、構いはしないだろう。ドアを通り抜けて、彼女のベッドの脇まで移動した。すやすやと安らかな寝息を立てている。こうして見ると、やっぱり父親似だと思う。でもお母さんにも似て、とても美人だ。

これでさよならだ。今までありがとう。皆、僕らの分も長生きしてください。
あ、ポルナレフに会いに行くの忘れた。まあいいか。きっといつか会える。そんな気がした。
成仏というか、あの世の逝き方は、なんとなく分かっていた。もう未練はない、大丈夫。僕がいなくても、幸せに生きていけるでしょう。僕はゆっくりと目を閉じた。
その時、腕が強い力で掴まれるのを感じた。誰か、主に承太郎に触るということができなかったのだから、誰かに触られるなどはもってのほかで、全く予想もよらぬ事態に思わず目を開けた。僕の腕をひしと掴んでいるのは、――寝ぼけ眼の徐倫ちゃん、だった。

「だめよ」
「……え、」

掠れた声が出る。どうやら僕がぼんやり見えるようだ、というのは分かっていた。
だけど、……どうして。

「行っちゃ、だめよ。あなたも、しあわせにならなきゃ」

違う、僕は幸せだ。二人が幸せならば、それ以上、もう望むことなど。
そう言おうとして口を開いたが、そう言う事はできなかった。喉がうまく動かせなった。――幽霊だと、いうのに。
「じょ、徐倫、ちゃん……」
ギュウ、と胸が締め付けられる。そこで初めて気がついた。同時に胸がすっと軽くなって、思わず膝をつく。

「う、うう、うう……!」
嗚咽が喉をついて飛び出して、視界が霞んだ。目からはぼろぼろと雫が落ちていく。


それはとうに涸れ果てた筈の。
――涙、だった。










――――――――――
どうしよう‥わたしの髪の毛が一本も残ってないよ‥萌え禿げた‥
CARILLON」の環さんがこんな素敵な穴あき幽霊さんシリーズ書いてくれたよふおおお‥!
幽霊さんがこんなに苦しんでたとは‥ごめんよ幽霊さん!承りにみえない設定にして!だがごめんこの設定大好きだ‥!
幽霊さんを救ってくれてありがとうです環さん!徐倫ちゃん天使だ‥!
それからそれから環さんが素敵な漫画も描いてくれましたぁぁぁふぉぉおありがとうですありがとうですうわああああ!!
ほんとにほんとにありがとうでした‥!大好きです環さん‥!





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