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今思えば、そうだったのかと納得する。
橙の髪が綺麗だと言えば、いつもは嘘の表情をする癖にその時と限って呆気にとられた顔をし、少し赤くなった頬をかきながら、「照れるねぇ」と冗談のように、しかしながら耳まで赤くなりながらそう言っていた。
今思えば、そうだったのかと納得する。

彼が俺に向けていたものは主人に向けるようなものではなかったという事だ。


「お前に言ってなかったな」
「なにが、」
「明日は、戦なのだ」
「うん、知ってるよ。城に立てこもるんだよね」
「やはり知っておったのか」

俺は一つの確信をする。つまりはそういう事だったのか、と。しかしそれを佐助に問うのは少し恐れを感じた。少し苦笑をもらしながら、己の心が問う準備できるまでそれを先延ばしにする事にした。

「今日はきちりと学問を学んできたか?」
「ははっ、休んできたよ」
「何故だ」
「わからない、ただそんな気分じゃなかったんだ」
「そうか、」
「うん」
「‥‥‥」
「‥‥‥」

話が続かなかった。俺はやや諦めながらしょうがない、と決め込んで本題に触れる事にする。

「気になっていたのだ」
「なにを?」
「どうして今なのだろうとな。」

それは初めて電話が来た時から思っていた事だった。どうしてこの今、なのだろうかと。どう考えても中途半端過ぎるではないかと思ったのだ。そこまで気にとめる事ではないが、3日4日と佐助と話す内に徐々にそれが胸のどこかにぶらりと引っかかるようになっていた。

佐助が死んだすぐ後でもよかったではないか。そうすれば己は泣きつきながら糸電話にしがみつき愛を狂うように叫んでいただろう。しかし今はもう一年もたっている。

十年二十年後でもよかったではないか。そうすれば己は嫌にでも変わっていて、佐助がいなかったその人生をたっぷりと彼に話していただろう。しかし今はまだ一年しかたっていない。


なぜ今なのだろうか。なぜ今でなければいけないのか。


「佐助、俺は‥明日、‥」
「だんな、」

「明日、‥死ぬの、だな」


無言は肯定したと同じ、とはこの事を言うのだろう。その答えに悲しむべきなのに、己といったら自分の死の直面よりもまず彼と話せなくなるという事実に悲しんでしまった。

「そうか‥そうか、」
「だんな、」
「では尚更言わなくてはならないな。」
「だん」
「佐助、沢山俺にお前の名を言わせてくれ。」

お前の声を沢山聞かせてくれ。お前と沢山喋らせてくれないか。そうそれこそ沢山の願いを彼にぶつける。しばらく押し黙っていた彼は俺の声が止まった後、すこし声を震わせながら言った。

「時間は一時間と決まっているんだ。」

一時間とは一体どれほどの間なのかわからないが、ずっと話せない、つまりは限りがある事はわかった。
だけどね、と佐助は言う。

「俺様もあんたの声をずっと聞いていたいよ。」

ぐすりと聞こえるその音は佐助が出していた。しかし佐助だけじゃない、俺もまたつつつ、と涙をこぼしはじめていた。顎まで伝う前に手の甲で乱暴に拭う。佐助が出す水滴の音に俺は唇を噛み締めた。
指先で拭ってやりたかった。
涙を隠すように抱きしめてやりたかった。

「だんな、俺、おれね、あんたに言いたい事があったんだ」
「なんだ」
「本当は、あんたに電話なんてしたくなかったんだ。ほら、会いたく、なる、じゃないか‥っ。でも、どうしても、あんたに伝えなければいけないと、‥嗚呼っ」

そこで佐助は大声でだんなだんなと叫びながら大きく泣いた。糸が細かく揺れる。俺は、小さく佐助、と呼びかけて聞く。

「佐助、なにを伝えるのだ」
「俺は、この世界で幸せもなにも手にすることなく育った。あんたが居ない、なんの意味もないこの世界を、ただ生き続けた。でも自ら死ぬ事はできなかった。自分を犠牲にしてまで俺に生を与えてくれた、あんたを、侮辱するのと同じだから」
「佐助、」
「だからいつもたった一人の世界で思っていた。もしこの地に旦那が立っていたなら違っただろうな、て。ここにいるべきなのは、本当は、旦那であるはずなんだって。だから、だから、」
「だから‥?」

それから先を言うのを佐助は戸惑っていた。苦しんでいるようにも思えた。

「だから、未来を、変えようとしたんだ‥」

佐助のその言葉で彼が企んでいた全ての答えがわかった。
電話をかけたくなかった彼が、この紙筒を手の中におさめた訳を。

「俺がお前の身代わりになるのを止めたかった、そういうわけか佐助」

なにがなんでも止めたかったのだ。今まで生きてきたことを後悔しつづけ、そしてこの七回と決められた電話の中で佐助は、自分が生まれる理由になった過去を(己にとっては、今からくる近い未来を)変えようと糸電話にすがった。

『覚えてて旦那。この痛みを与えたのは、近い未来のあんただって事をさ』

会いたい、その気持ちを覚えていろと言った佐助。それは二重の意味だったのかと知る。会いたかったのはなにも自分だけではない。

「‥‥‥佐助、」

手を何もない空間にかかげる。今なぜこの手は流れる見えない涙を拭えないのだろう。力強く引き寄せ抱きしめてやれないのだろう。あの綺麗な橙を流しながら撫でてやれないのだろうか。ああ、どうして。
果たして、これから訪れるであろう神との約束を交える事が、彼にとって幸せなのだろうか。
今まで彼は自分が生まれてきた事を憎んで、後悔して、幸せ一つも求める事すらできずに、しかし死を選ぶこともできなかった。
それが彼にとっての幸せなはずはない。

そして、今さらやっと思い知った。
彼を苦しめているのは、他でもない、未来の己だと言うことに。

そう知った瞬間、ならばどうすればいいのか、と己は分かりもしない難問にぶつかった。
どちらも幸せになれない、どちらも苦しむべき選択なのだ。
どうすれば、どうすれば。
己はどちらの結末にも恐れて、今からくる死の淵がとてつもなく恐くなった。

「でも、恐くなった。」

しかし今発言したのは己ではなかった。
佐助はさらに水分を含ませた声域でこちらに言葉を告げる。

「この電話の向こう側で、あんたが、俺様を好きだと言ってくれた。俺様も、あんたが好きだといった。その幸せを手放すのが、恐くなったんだ‥!」

今まで愛一つ知らなかったこの身に糸を通して伝えた愛。それを手放すのが怖いと佐助は言う。

「あんたを止めたかったのに、今では、それが、恐くなっているんだ‥っ、恐いんだ‥!」
「佐助‥」
「わからない‥わからないんだ旦那‥!あんたに愛されている自分をこれからも生きていきたいと思い始めているんだ‥っ、でも、でも、あんたにはこの世界に生きてほしいんだ‥!どっちを選ぶのも恐いんだ、どちらも選びたくて、捨てがたくて‥!」


ああ、この見えやしない糸の奥の愛に触れるのを、なぜ神は許してくれないのだろうか。
どうして彼は、遠い未来で涙を流しているのだろうか。どうして、胸の中に居ないのか。


「佐助、ならばこうしよう」

明日(あす)は、二人の声が別れる日。

「明日、糸電話が現れた時、俺はお前を生かしたいと思ったら電話に出る。お前が苦しむだけなら生まれ変わらせないと決断したならば、電話をとらない。‥‥お前も、そうすればよい。生きたいなら、電話を取れ。俺を生かしたいなら、電話を取るな。」

そうまくし立て、己は糸電話の紙筒を口から外した。佐助の返事を待たずに、地面にそっと乗せる。
瞳をそっと伏せ、暗闇を作れば出てくるのは二度と忘れまいと思ったあの綺麗な笑い顔。もう見れないあの愛おしい存在。明日でさらばと化す声。
明日は話せるのだろうか。
明日は話すのだろうか。
もしかしたら、今日が最後だったのかもしれない。

嗚呼、あいしてた。
いや、あいしてる、

口の中で音を作ることなくそう言う。

瞳に明るい世界を広がらせれば、糸電話はすでに手の中にはなかった。





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