さすけ。そう、まだ薄暗い空に向かって呼べば、すぐに隣に気配を落としてきた。

「ちょっとー。空に呼びかけないでよねー。俺様まだ死んでねぇんですけど」

そう苦く笑いながら、佐助は肩をすくめた。冗談です、と言わんばかりの飄々とした態度だったが、全然冗談みたいではなかった。今の状況故だと、幸村は悟り、ああ今は凄く嫌だな、なんて思ってはいけない事を思い、幸村も苦笑いを浮かべた。

「お前がどこにいるのか俺にはわからないのでな。どこに向いて呼んだらいいかわからんので空に向かって呼んでみたのだ。」

そう言えば佐助は、そっか、とつぶやいてはやはり苦々しく笑った。

「俺は完全に気配消してるつもりだけどねー。居ることをわかるなんてさぁ、なんて旦那は恐ろしいんでしょう。」

さわさわ、と風が頬を掠める。
風が強くなってきたと佐助は思ったのか、彼は背中を向けていた障子を閉めようとした。それを幸村は手で制した。
閉めなくてよい、どうせ後で中に入る、と言えば、佐助は「布団が冷えちゃうでしょうが。」と小さく言った。
そんな彼に、幸村は、ふっと微笑みを返してやった。


「眠るにしては、もう遅かろう。」


その言葉に、佐助はキュッと唇を引き締めた。いや、噛み締めたのかもしれないな、と幸村は頭の隅でぼんやりと思った。

「じき、明るくなるな、佐助」

夜明けがもう直ぐ来る。
幸村はゆっくり縁側に腰を下ろした。
隣の佐助に、お前も座れ、と小さくいって、横をぺちぺちと叩いたが、座る気配はなかった。
佐助はただ棒立ちしていた。やりきれない、と言いたげな顔をし、今にも泣きそうに眉を八の字にして此方を見ていた。
そんな彼をしばらく見つめていた幸村だったが、しばらくして小さく笑った。
いつも己を子供扱いしてくるあの佐助が今、まるで迷子になり母親を一生懸命探しながら泣きそうになっている子供と同じような表情を浮かべていたからだ。
おかしいのではない。
こう笑っているのは、佐助が愛しいからだ。
幸村は佐助の手を優しく引っ張り、隣へと導いてやった。座れ、と短く、しかし酷く優しい声で言ってやれば、彼は静かにゆっくり腰を己の隣に落とした。

「今年の夏は、不思議だ。」

幸村は先ほどよりかは少し明るくなった空を見つめながらそう呟いた。
「暑くもなければ、寒くもない。心地よいし、涼しい。今までの夏の中でも、今の夏は凄くいい」
静かにそう言って幸村はゆっくりと佐助を見つめた。
そうすれば、やっと佐助は重い口を開いた。
「俺は、今なんて、嫌いだ」
幸村は驚いた。何故だ、と彼に問く。
幸村が知っているかぎり、佐助は暑がりだ。日光が特に嫌いで、肌を必要以上隠す。かと言って何枚も重ね着しているので彼はいつも涙目になりながら、早く夏なんて終われ!なんて毎年言っていたのだ。
今の夏はきっと彼好みだと幸村は確信を持っていたのに、佐助は今が嫌いだと吐いた。
何故だ、と問いた幸村に、佐助は先ほどと少しも変わらない泣きそうな顔で言った。

「アンタ、怖くないのかよ」

嗚呼、そういうことか。幸村は笑った。
今の彼にとっては夏なんてどうでもいいらしい。

「怖いか?佐助。」

俯いていた彼が顔を上げた。
眉を精一杯真ん中に寄せ、泣かぬよう我慢している顔が、幸村の瞳に映った。

「怖いさ!そりゃ勿論!だってまだ若いもの!」

いや、全然若くはないぞ。そんな事は一言も言わずに。
全て、目の前の男と一緒に引き寄せて抱きしめた。

「それなのに、最後まで付いて来てくれたか、佐助。」

耳元でぐずり、と音が聞こえた気がしたが、風の音が邪魔をしてきたのでただの空耳だと幸村は思った。

「佐助、」

慕っている。その言葉はもう幸村には言えない。今更自分の気持ちを彼に押し付けるには、彼がとても不憫だと感じたからだ。
どうしようか、と幸村は思った。
彼が愛しくて、全てを言いたくて、この体を離したくなくて。
どうしようか、と幸村は思った。
どうすることも出来ず、幸村は抱きしめる力を込めることしか出来なかった。

「怖いさ、」

佐助がぽつり、と呟いた。
それは酷くかすれ、震えている声だったと幸村は思った。

「だってアンタ、まだ若いじゃないの」

幸村は気がついた。
震えていたのは声だけじゃなくて。
手も、唇も、瞼もかたかたと震えていることに幸村は気がついた。

「まだ、生きるべきでしょ、真田の旦那...」

嗚呼、俺の事だったのか、と幸村は思った。
だから付いてきたのかとも思う。
俺が失うのが、怖いのか佐助。

「佐助、」

俺も怖い。
お前を失うのが怖いのだ。

「俺はお前に伝えてもいいだろうか?」

失う前に、自分が無くなる前に。
幸村は言いたかった。
何年も思っていた事だ。
幸村は体を離し、そっと佐助の異常な程白い肌が浮かぶ頬を両手で優しく包む。


「だめだ。」


佐助は言った。
つう、と細かく震えた佐助の瞼から、滴が伝い、幸村の人差し指に流れてきた。


「だめだ。旦那。アンタ、残酷だよ。そんな事、言っちゃだめ。」


幸村はぐっと言葉を飲み込んだ。
そして、そうか、と微笑んでやった。
ならば、佐助。お前ごとこの言葉を墓までもっていってやる。
そう言ってやれば、佐助は笑った。

「お馬鹿さん。俺様は墓には入れませんよ。」



佐助の涙が、止まる事はない。



ふわり、と何かを感じ何かと見れば、登りはじめの朝日が光を差していた。
佐助に視線を戻せば、彼の顔はぐしゃぐしゃに崩れていた。
ゆっくりと彼の顔から両手を離せば、彼はずび、と鼻をならした。
そして、彼は朝日を見ながら静かに呟いた。


「あの朝日が登らなければいいのにね。」


そう言う彼が、酷く愛しくて、思わず笑った。
嗚呼、今の彼を俺はずっと覚えておこう。
そう幸村はその時そう思った。
彼が例え全て忘れて、この幸村の存在すら忘れていても、だ。
俺は、この愛しい彼を忘れない。
幸村はそう思った。
自身の中で誓ったと言ってもよい。

人差し指で彼の涙を拭い、頭をさすってやれば、彼は怒って幸村の顎を殴った。
そんな彼を見て、やっぱり幸村は笑うしかなかった。



あの朝日が登りきれば、戦だというのに。
幸村は、彼が愛しくて、もう笑うしかなかった。





あの時君に、
好きの一言さえ
言えなかった。
(でも、愛しい君のためなら
それでもいいと思えたんだ。)









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