おはなし 9/5 23:00


!オラ親子と穴あき幽霊さんシリーズ
!承太郎についている穴あき幽霊
!とそれが見えない承太郎と見える徐倫












彼を初めて見たのは小学2年生の時だ。ある日、わたしの帰りを迎えに来た父の肩に、薄ぼんやりと湯気みたいな、言わば蜃気楼のようなものが浮かんでいて、わたしはその摩訶不思議なものに興味を示し観察した。どう目を凝らしても、はっきりとそれの正しい形を読み取る事ができない。間近で観察しようとわたしは父に抱っこをせがんだ。父はいつもの口癖を小さく唱えながら、しかし嫌がった様子も無く軽々とわたしを持ち上げる。わたしは顎を父の肩に乗せ、そのぼやぼやしたものに手を伸ばす。
手は空気を切った。そこにあるはずのものが触れられなかった。
わたしは諦めずに手を一生懸命伸ばす。触れられない蒸気が、ふっとわたしの手を包んだ。それはまるで人間の手のようにわたしには見えた。
それから段々浸食するように蒸気は広がり、父とわたしを覆った。なんだか父ごと抱きしめられているようだった。怖さが一かけらもない。まるで亡くなった母が持っていた温かさがあって、むしろほっとしたのを覚えている。
いつの間にかうとうとし始め、頑張ってその優しいぼやぼやさんを見つめようとしたけれど、視界はさらにぼやけて、おやすみ、と聞こえる筈のない、覚えのない音をどこか遠くに、しかし近くで聞きながら、わたしは瞼を下ろした。





それが初めて彼を見た日。その日からだんだんと形がはっきりとしていき、中学生になった時には、彼は綺麗な顔なのだと知った。それと同時に、世間一般で言われる、幽霊といった存在なのだと悟った。

彼は毎日飽きることなく父の背中に引っ付いている。父が移動すれば移動するし、父がベッドに寝る時はベッドに腰かけ父を見つめる。
一言も発する事のないその幽霊さんは、いつも父を優しい目で見守る。その目には傷があり、さらにお腹はぽっかりと穴が空いていた。
今まで、彼の話題に触れるのが怖くて避けていた。彼が怖いというわけではない。むしろ彼には好印象を受けている。私と目が合うとそっと目を細め微笑んでくれるし、触れはしないとわかっている筈なのに彼は時折父のかわりというように私の頭を無言で撫でてくれる。
しかし、父に彼の事を聞くのはタブーだと私は悟っていた。父はどうやら彼の存在に気がついていないようだった。だから、父に彼の存在の事を聞くのはいけないことなのだと、わかっていた。
幽霊さん本人も、それを望んでいるようだった。父に触れられない、見えない存在の彼を痛たまれなく思い、父に彼の存在を伝えようとそっと小さく口を開けば、悲しい表情をしながら無言で首を振る。それから少しだけ微笑み、大丈夫だというように頷く。
わたしはそんな彼が可哀想で、愛おしかった。その感情は異性へ贈る特別な愛情とは違う。親しい者に贈る友人愛でもない。
近い愛は、そうだ、家族愛に少し似ている。
母親のような大きさで、優しくて、でもどこか強い。女の人に近いようで実は全然違うのだが、何故か母親の雰囲気は十分に持っていた。
もし彼に触れる事が出来たのなら、わたしは迷わず彼の体に抱きつきにいくだろう。見えない父のかわりに、わたしが。試してみたが、やはり触れた事は一度もない。大きく広げた腕が空ぶった時、残っていたのはいつも幽霊の無言の困ったような苦笑だった。












父の頬に掌を思いっきりぶつけた。それは初めてで、感情が高ぶっていたせいか、加減も、涙を止める事も、わたしには出来なかった。
無言で顔を横に向かされた形になる父は、驚く素振りも無く、目だけチラリと帽子の下からわたしを見た。
その冷静さに腹がたって、でも大抵は自分が父を殴ってしまったという後悔で胸がいっぱいになり、いろんな感情が頭の中で交差してわけがわからなくなったから走って家から飛び出す。
父が追いかけてくる気配はなかった。徐々に冷静になってきた頭の隅でそれもそうだと無理やり納得させながら、子供達が遊ばなくなって使われる事がない公園のブランコに小さく座った。
ゆらゆらと揺れれば、ぎぎっと痛々しい鎖の音がわたしのかわりにないてくれた。
家にはもう帰りたくない。二人きりというのは気まずいし、父を許す気はさらさらないからだ。
風がゆたりとわたしの首筋を冷やし、少しだけ鳥肌が全身に侵食した。

「徐倫ちゃん」

聞き覚えのない声が、風の音のように耳を掠めた。
はてこの声は誰だったかと疑問に思いながら振り向けば、青年がこちらを悲しげに見つめながらぽつりと立っていた。
常日頃父の背中にぴたりと引っ付いて離れなかった、彼である。

徐倫ちゃん。もう一度彼がわたしをそう呼ぶ。わたしは、少しだけ驚き、とりあえず彼にたくさんの質問をしてみたくなった。何故なら、これが初めての彼との会話だからである。

「‥離れていいの?」

父から、とは付けなくても彼には通じたようだった。肩をすくめ、僕は最優先の選択間違えないからね、と呟いた。

「今は彼より君を優先するほうが得策だと思ったんだ」
「‥あなた、喋れたの?」
「喋れないわけではないけれど、死んだ身に、生きた者へ対する言葉なんか、不必要と思っていただけだよ」

随分と物静かに語る彼の見た目は自分とさほど変わらない青年の形をしてる癖、しかし明らかに大人の雰囲気を出していた。
彼はふわふわと浮きながら、隣のブランコへ腰を下ろした。下ろす必要があるのかと疑問に思ったが、別に質問するほどでもないと判断した。

「徐倫ちゃんは承太郎が嫌いかい?」

幽霊さんの言葉に私は首を振るか降らないか考える。承太郎。その名で父を呼ぶのは数少ない。皆、さん付けが殆どだから。幽霊さんにとって父はなんなのだろうか。憑いてる前提で、他人でないことは確かだけれど。彼は父の名を呼ぶ時柔らかそうな視線を作る。優しい目だ。父の冷たい目とは対象的な、あたたかい目。
私は首を縦に動かす。父の事は嫌い。悩む必要はないじゃないの。私は彼の優しい目を見つめながらそう思った。
その答えを表した途端、少しだけ幽霊さんの眉がぐにゃりと歪み、悲しいという表情を作った。

「徐倫ちゃん、無理なお願いかもしれない。それでも、お願いしていいかな」

彼は目を逸らすことなく私に告げる。その必死さに、さすがのわたしでも怯んでしまった。

「彼を嫌いにならないでやってくれ」

どうしてあんな冷たい父の背中に、こんな優しくあたたかい幽霊が住み着いているのだろうか。理解できなかった。父はわたしが泣いても殴りかかっても、無表情の一瞥だけ返して、追いかけてこなかった。幽霊さんはいつも憑いてる相手をほったらかしにしてまでわたしを心配し追いかけ、挙げ句の果てにわたし達家族を繋ぎ止めようと必死になっている。とても不釣り合いな二人だった。

「あなたは父が大好きなのね」

深い意味はない。単純にそう思い口にした。それが友情愛だろうが、恋情の愛だろうが、彼の父に対する想いは素直に綺麗だと思ったからだ。一途で、一生懸命で、すべてを包み込むような優しい心で父を愛している。たとえ相手が自分を見えなくても、ずっと、ずっと。わたしには足りない、父にも足りない、その相手に向けてあげるそんな愛情が、彼にはあった。
わたしの言葉に怯まず、そっと微笑んで彼は小さく「そうだよ」と呟いた。

「僕は彼が好きだ。言い出したらキリが無いほどね。命の恩人だし、初めてのお友達だし、なにより、僕のヒーローだ」

でもね、と彼は言う。嬉しそうな表情を生きたように作る彼は幽霊には見えないほど綺麗だった。

「僕が彼の事を好きな以上に、彼は君の事が大好きなんだ。それはそれはかなわないほどね」
「‥‥あいつが、わたしを‥?あはは‥まさか!そんなはずないじゃないの」

わたしの叫びに幽霊さんは首を振る。自分の指を絡ませ、その手を膝に小さく置き、脚を組んで、かがむようにわたしの顔を覗く彼は穏やかで、しかし真剣だった。

「わかるだろう?彼はね、照れ屋さんなんだよ。大事な事は恥ずかしがって口にしない。彼のブスッとした照れ隠しは随分昔からだからね、もうひどい病気みたいなもので治らないのさ。」
「照れ隠し‥」
「ふふ、」

君はわからないだろうけど、と幽霊さんは言う。
彼は毎日ペンダントを持ち歩いているんだ。君と奥さんの写真が入ったペンダント。いつもいつも仕事の合間それを見つめて微笑むのが彼の日課でね。それから、月に一度、彼は君のお母さんに手紙を書く。内容は主に君の事だ。丁寧にその文を書く彼の横顔は多分この世で一番優しい表情をしている。その時、時折ふっと今日あった君の事を思い出して笑ったりする事もあるんだ。そんな彼はとても貴重だから、僕あまり人には話したくなかったけれど、君になら仕方ないね。これは君と僕との秘密にしてくれないかな。‥彼は無表情ばっかり顔に出すけど、その無表情にも沢山の種類があるんだ。君はまだ十数年しか一緒にいないからまだわからないだろうけど、実は微妙に違うんだ。悲しいとき嬉しいとき辛いとき怒ったとき可笑しいとき。嗚呼、照れる時はわかりやすいよ。帽子をちょいと下にずらすんだ。顔を隠して、口をへの字にする。いろんな顔をするときは大抵君と一緒に居るときだ。最近は悲しい無表情ばっかするけれど、一緒に居るときは常に幸せそうな無表情をする。わかると思うけど、彼は他人にはあまりそういった変化は見せない。

「だから、愛されてるね。徐倫ちゃん」

一切止まることなく父について言い切った彼は、楽しそうに嬉しそうにそう言う。その必死さと、知らない父について聞かされた事により、少し狼狽えたが、負けじとわたしは食い下がる。

「あ‥あなたの思い過ごしじゃないの?父はそんな人じゃない‥冷たいやつよ‥だってあいつは‥‥」

そこまで言ってわたしははっと息を呑む。さっきまで幸せそうに微笑んでいた彼がわたしが言いかけた一言で一瞬のうちに泣きそうな悲しい目を作っていたから。彼はそっと傷が走っている目を伏せて言った。

「冷たいだなんて、言わないでやってくれ。冷たいんじゃなくて、ただ単に不器用なだけなんだ。君は大きすぎる愛に気がついていない。けして数が多いわけでもなければ、目に見えるわけでもないけども、それでも、だれよりも君の事を想ってる、そんな、彼の愛情を」

幽霊さんは立ち上がる。視線を一点に集め、そこをただ見つめていた。公園の入り口に噂の父がそびえ立っていた。わたしを見つめてる。青年の事は見ていない。父はわたしを追っかけてここに来たのだ。わたしを見つけ、無表情だったが、ずいぶんさっき幽霊さんから聞いた後だからかわからないが、その無表情がどこかほっとしているようだった。幽霊の青年は父を見つめ、わたしを見、笑ってしまった。

「徐倫ちゃん、見たくないかもしれないけれど、僕のこの傷穴を見てご覧。穴を覗いたらあちら側まで見えるだろう?君の腕二本とも通過出来るかもしれない、大きな穴だ」

彼が言う通り大きな穴だ。確かに覗けば反対側にある滑り台が見えた。生々しくて、それは明らかに致命傷の傷で、この傷のせいで彼は死んだのだろうなとわたしは眉をひそめる。彼は苦笑をしながら、悲しそうにその傷を撫でた。

「承太郎が君にあげる愛は数が多くないし、目では見えないし、どこにあるのか本当にくれてるのか、と疑ってしまうほどわかりにくいけれど、‥でも徐倫ちゃんよく聞いて」

そっと微笑む彼はきっと悲しいのだろう。でも幸せそうで、嬉しそうで、つらそうで、沢山感情が入り混じった笑い方をしていた。わたしは思う。父の無表情よりも、彼の表情が一番わかりにくいな、なんて。


「もしこの穴に、承太郎が君へと贈った愛を詰め込んだら、きっと塞ぎきって、そして溢れ出してしまうね」


彼はふわりと浮かんでわたしに背を向け父の元へ向かう。父はそれに気づかずいまだにわたしを見つめている。わたしはというと、ただ動けなかった。彼のその一言にただ体が痺れてしまって動けなかった。
彼は父が大好きだと言った。だから父の事は大好きで仕方ないのだろう。飽きずにずっと父にべたりと憑いているほどなのだから。しかし父は気づかない。空気としか彼が見えていない。父に気づいてほしくないわけがない。なぜなら彼は父が大好きだからだ。気づかなくてもいいと彼はただ父を見守っている。彼なりに父を愛している。
父にはわたしが見えている。父はわたしを愛している。父はわたしの見えない心の傷まで見つけてくれる。
父には彼が見えない。だから愛を贈ることができない。剥き出しになった傷さえも、見つけることができない。

わたしは父から貰っていた大きな愛を思い知ったと同時に、彼の、父に対する大きすぎる愛を知った。
はたして彼の愛はどこに向かえばいいのだろうか。その見えない大きな愛は、どこへ。誰が彼へ愛を返すのだろうか。見えない父が贈れるはずなんてないのに。
父がわたしに贈ってくれた愛が彼の傷穴を埋める筈がない。彼に向けられた愛ではないのだから。

わたしは泣いた。こんなに美しくて悲しい愛は他にあるだろうか。死んでも愛してくれる存在を背中に抱える父は幸せ者だ。大きな愛に恵まれたわたしも。
彼はどうだろう。誰があの傷穴を塞ぐ愛を彼に注いでくれるのだろうか。

わたしは走った。走って父へと向かうそのぽっかり穴があいたその背へ抱きつく。案の定、空気だけしか抱きしめることができなかった。彼はわたしに気がつかずに父の元へ進んでいく。わたしは負けじと彼の元へと更に走り出す。
彼が父の元にたどり着いた時、わたしは躊躇わず、また大きく両手を広げ、彼を挟んで父ごと抱きしめた。
そうすれば彼の体が父の体に染み込み、抱きしめる事が出来たようだった。彼は驚いていて、いきなりのことだったのでもれなく父まで驚いていた。
わたしがわぁっと泣けば、父は少しだけ固まり、しかしそれは少しだけで、次にはきちんと左腕でわたしの肩を包み込み、大きな右手で頭を撫でてくれた。

「わたし、あんたが大好きよ」

この言葉は、きちんと二人の事をさしている。わたしだって二人に負けてない大きな愛を半分こして彼らに注いでやる。
幽霊さんは少し困ったように笑ってわたしと父に挟まれていた。


どうだろう。彼の傷穴は塞ぎきれただろうか。少なくとも、今、彼の傷穴を覗いても、反対側は見えないはずだ。
















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なんかいろいろ書きたいシーンが有りすぎて、詰め込んだらダメ文になってしまいましたゴメンナサイ。徐倫のキャラが未だに掴めません。なんだか全然徐倫じゃないみたいですねゴメンナサイ。だれかかわりに書いてくれないか〜な〜








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