おはなし 1/7 00:18 !穴あき幽霊さんシリーズ !無駄にながい !花承花で完全にほもだった(過去形? 僕の名は典明。姓は花京院という。 しかし名というのは生まれた時につけられ、生きている期間呼ばれ、そして死んで時がたてばその音は呼ばれなくなる。 よって死んだ身――もう随分と昔に僕はお腹にぽっかりと穴を開けて死んでしまっている――の僕にはたしてこの名をかたっていいのかわからないが、まぁ生前はそう呼ばれていたといったら的確か。 名というより、友にはよく姓で呼ばれていた。友といっても、もう二人としか生き残ってないのだが。 一人は友というには歳が離れすぎていて、正直その位置に置いていいかわからない。よって、友、と呼べる生きた人間は、一人しかいない。 彼の透き通る声音は、よく覚えている。 (花京院―――) 最初に気がついた時は、死んでどれくらいの時間がたったかわからなかった。白い、何も見えない、もしかしたら全てが見えているのかもしれないその空間で僕は耳を浸す。音を拾った。花京院、と。 体――そもそも実体がないのだからもしかしたら魂だったかもしれない――がぐわりとそこへ引っ張られる。 僕はどこへいくのだろうか。 白いぼやぼやとした空間から抜ければ目の前に広がるのはあの格好いい学ランで。 気がついたら実体もない存在となって彼のそばに居て。 それが少ない友の一人だからか、よくわからなかったが、どうも離れがたかった。 しかし常に、というわけではない。 トイレやお風呂は勿論、生前一緒に着替えていたりしたが、この身になってからは一度たりとも着替える場に一緒にいたりしたことはない。 本人に確認をとってないのは覗きと同類と考えているのもあるが、それだけではない。 言ってしまったら、生前から僕は彼に好意を抱いている。つまりいわば僕はゲイだということになるわけであるが、たまたま彼を好きになったというわけで、男性に趣味があるのかと問われればはっきりとNOと言える自信がある。無論、彼が女性だったとすればそれでも僕は彼‥いや彼女にも恋をしていたであろう。 話を戻せばつまりながら僕は彼に興味がある。よって、彼の裸に興味がないわけではないのだ。 最初は見たくてしょうがなくて、彼が入っている風呂場の前でキャッキャとやっていたりしたが、どういうことか、少しずつ、虚しさが僕の中で渦巻いた。 僕には彼の隅々まで見る事ができる。 彼には僕が見えない。 この、大きな穴さえ。 僕の出した結論は、幽霊にも見えないものくらいあった方がいい、という考えだった。 だから、僕は一度たりとも彼のお風呂や着替えやトイレ中など見たことはない。 しかしながら、服の準備をし忘れた彼が真っ裸で風呂場から出てきた時はカウント無しにしてもらいたい。 あの時は言葉を失って、思わず唾をのみこむ動作をしながら凝視してしまったのは秘密である。 彼が外国の大学に受かり、留学生をしていた時だ。 ついに彼にも彼女というものができた。おとなしいが、芯が強く、非がどこにも見当たらない、見た目も心も綺麗な女性だった。なるほど、承太郎にぴったりでむしろ承太郎にはこの人じゃなければ駄目なのではないだろうか。 (ああ、君にもその時が来たんだね‥) 僕は、彼と彼女が付き合い始めたその時から、彼らが二人きりの時は『幽霊に見えないもの』の分類に入れることにした。 彼が彼女の家に行けば僕は彼の家で留守番をするし、彼女が家にこれば、適当にぶらぶらと知らない外国の町を歩いた。 同棲し始めた時はどうしようかと焦ったが、それは問題なかった。 彼はたいてい一人で行動をした。まるで、彼女を避けるように。 「おいおい承太郎それはないんじゃないか?携帯の電源切ってたら彼女からの電話にも気がつかないだろ」 「‥‥‥」 「仮にも付き合ってしかも同棲もしているんだろ君、ほったらかしなんて酷いじゃないか!君さ、彼女のこと好きなんだよね?」 「‥‥‥」 「彼女も君のこと好きなんだよそれを頭の中に入れてあげてよなぁ聞いてるか承太郎、聞こえてるか承太郎‥」 「‥‥‥」 「‥承太郎‥‥、」 まるでほったらかしにされているようだ。 見えない僕は、彼にほったらかしにされているようだった。 もし僕が、彼の視界に入れている彼女だったなら、ほったらかしにしている彼の所にのりこんで一喝できるのに。 そしたら彼は何も言わずに帽子のつばを少し下げるんだろう。 もし彼女が僕なら、すぐに気がつくはずだ。ほったらかしにされていたのではなく、危険な事ばかり起こる自分の身から遠ざけられていたことに。守られていたということに。 (しかしあいにく僕は彼女ではないし彼女も僕ではない‥‥) 誰にも見えない僕は、ほったらかしにされているのだ。 いや、もう存在していないのかもしれない。名前もなく、実体もないこの僕は。 そういえば。 僕の名が音になった記憶がかれこれ何年もない。 たしかに考えてみれば朝から彼は変だった。妙に顔色が悪く、ズシッズシッと効果音が今にも聞こえてきそうないつもの足取りがちょっとだけふらついていたり、とにかく変だった。 しかし、二階からおはようと小さく呟きながら徐倫ちゃんがせわしく降りてきた瞬間、顔色もキリッとよくなり、足取りもいつも通りになった。手を伸ばし、自分のトレードマークを深く頭にかぶりながら小さく「おはよう」と呟いた(はたして彼女には聞こえたかどうか不明ではあるが)。 この時僕は徐倫ちゃんに彼の様子がおかしいと伝えるべきだった。しかしながら、どうやら彼女は寝坊をしたらしくぱたぱたと急いでいたため、僕は彼女に声をかけられなかった。 やっと声をかけられたのが、彼女が元気よく「いってくる」と学校へ向かうために玄関のドアを開けた、その時に無言の承太郎の後ろから「い、いってらっしゃい」とかけた一言だった。 さて、徐倫ちゃんも行った事だし承太郎は何をするつもりなのかな、と彼の背中でふわふわと浮きながら彼の後頭部をじとりと見つめた。しかしながら、先ほどから彼はピクリとも動かない。不安に思い、彼の顔を覗こうとしたその時、彼はやっとふらりと動いた。 前方へ、大きな音をたてて倒れた。 「大変なんだ!徐倫ちゃん!承太郎が!承太郎が!大変なんだ!わぁぁぁああどうしよう徐倫ちゃん!死んでしまうよぉぉおお!!」 「はぁ?ちょ‥とりあえず落ち着きなさいって」 友達と登校中の徐倫ちゃんを全速力で追いかけ捕まえた僕は彼女にすがりついた。触れはしなかったのだが、とりあえず一大事だということは理解したようだ。 「あーもう、皆勤賞狙ってたのにー‥わかったわかった。今日学校休むわ」 「おいジョリーン、何ひとりでに喋ってんだ‥?」 「エルメェス!FF!わたし今日学校休むわ!」 「はぁぁぁああ!?」 「わかった!元気でねジョリーン!」 「アナスイ、今日の授業のノート私の分も書いてくれないかしら」 「ハイ喜んで!」 (どうして喜んじまうんだお前‥) 「じゃあみんなバイバイまた明日!」 「愛しのジョリーン!!ノートはこの命をかけてでも綺麗にうつして明日君に渡すよ!」 「もうジョリーン行っちまったぜアナスイ」 僕は全速力でかける徐倫ちゃんの背中を見つめながら言う。 「徐倫ちゃん、いいの?お友達何かさけんでいるよ?」 「あいつらの言葉は明日でも聞けるわ!それより今は父さんでしょ!」 その言葉に、僕は思わず微笑まずにはいられなかった。 ずいぶんとまるくなったものだ。僕は思わず彼女の頭を撫でる(触れることは、できなかったのだが)。 「なによ、」 「いや、かわいいなぁって思ってね。さぁ急ごう。君のお父さんが危ない!」 「なんなのあなた‥」 徐倫ちゃんの呆れ顔に、僕は笑顔を返した。 「君のお父さんに憑いている幽霊、かな?」 「まったく。体の自己管理くらいしてもらわないと困る!」 「‥‥すまない」 39.2℃。つまり承太郎は風邪ひいて熱を出した。そういえば最近小さく咳をしていたな、と僕は記憶を巡らせる。そういえば少し鼻声だったし‥、頭をおさえてたりしていたような‥ 思い返してみればたくさんの風邪症状が出ていた事に気がついた。ああ、常に後ろで見守っていたくせに、風邪にすら気がつかなかった‥。ああ、僕の馬鹿‥。 「ごめんなさい‥」 (なんであなたが謝るのよ) すかさず徐倫ちゃんが僕をちらりと見、小さく呟いた。なんていい子なんだ‥。 「あたし、お粥作ってくるから父さんはちゃんと寝てるのよ!」 「‥‥学校は」 「休んだ!もう寝ててったら!ほら、毛布かぶって!はーいオヤスミ!」 「‥‥‥」 無理やり寝かされた承太郎に毛布をかけ、徐倫ちゃんはちらりと僕を見、口ぱくで「よろしく」と伝えた。そうしてかわいくウインクすれば、部屋のドアをバタンと閉じて出て行った。 ちらりと承太郎を見れば、少々苦笑った彼がいた。しかしなんだか幸せそうだ。 いつものトレードマークを下に下げようとし、しかしかぶってなかった事に気がついたのか、額に置かれた水を含む布を目のところまで持って行き、ちいさく「やれやれだぜ」と呟いた。 よろしく、と任されたので、彼を監視していたのだが、やはり高熱はキツいのか、承太郎は動こうとせず、彼女の指示通りに眠りについていた。 こうして近くでみると男のくせに睫毛が長い。前に徐倫ちゃんが「(父さんに)マスカラつけてみようかしら」と冗談醸し出していたが、本当にやってみたら大変だろうと思う。 まじまじと彼の顔を見つめ、やはりどの角度から見ても格好いい顔をしているなぁと感嘆した。そう思い、ふと、あれ?これデジャヴ、とある懐かしさを感じた。 なんだか、同じ事が前にもあったような気がする。 ああ、そう、あれは‥。 あの時もたしか、彼は熱を出していた。今よりはもっと低い熱だったが、それでも今みたく、全然苦しくなんかないというように無表情を決め込んでいた。 あれはそう、エジプトへの旅の途中。 その時の部屋の割り当ては、世話やきのアヴドゥルさん、それから叔父であるジョースタさんと一緒の部屋にすることで、承太郎の負担を軽くしてあげよう(きっとうるさいポルナレフから遠ざける作戦で、大方僕はその作戦の貧乏くじだったのだろう)ということで三人と二人でわかれ、僕と承太郎は離れ離れの部屋になった。 もちろん、それには不満だらけで、しかしながら迷惑かけるわけにはいかなかったので、ぐっとその不満を喉の奥へとながしこんだ。 (おのれポルナレフ‥) だれもが寝た真夜中、僕はそっとハイエロファントを隣の部屋に忍ばせ、寝ている彼の様子をうかがった。 ああ、そのときだ。やっぱりものすごく格好いい顔だな、なんて思ったのは。 あの時もこうして間近で眺めていた。そうして、できもの一つないその頬を、緊張して冷たい指先でそっとなぞった。 (君の肌はほんと、今も変わらず綺麗、だな‥) もう、触れる事はできない。わかっている。だけれど、触れたくて仕方なかった。 手を伸ばさずにはいられなかった。 そっと、触れる。 感触はない。僕の指先が透けているからだ。あの時と緊張は変わらなかったが、指先の冷たさはもうない。 あの時の、君の頬はいったいどんな感触をしていたのだろう‥? 承太郎がそっと、瞼を揺らして小さく瞳を開く。少し、驚いたけれど、構うもんか。この手は離さないでおく。だって、君は僕の事を、見えては 「‥‥花京院?」 なにもかも有言実行できない僕は、なんて弱虫なんだろうか。 承太郎の頬から手を離し、扉の板をすり抜け、部屋から一目散に逃げ出した。 もし、この幽霊である僕に心臓があるのだとしたら、きっと今頃破裂してしまうほどドクドクと音をたてていただろう。 今、彼は、いったいなんて言ったのだろう。なんて‥、 「あれ?幽霊さん?貴方ちょっとなにそこでうずくまっているの?」 ゴミ箱の隣でうずくまっている僕に、出来上がったお粥を運んでいた徐倫ちゃんが声をかけてきた。 「父さんはどうしたの?なにかあった?」 「あっや、えっと‥今、起きてたよ‥」 「そう。じゃあいこうよ。なんでそんなとこでうずくまっているの?」 「えーと、少し動悸がして」 「エッ幽霊なのに?」 彼女は可笑しいとはにかみながら、その部屋のドアノブに手をかけた。 開けば、先ほどまでベッドで寝ていたはずの承太郎は、体を起こして座っていた。 「お、よくなった?」 「‥嗚呼、大分な」 そう言って、珍しく隠そうとはせずに、どこか幸せそうに微笑んだ。 見えているのだろうか?僕は、徐倫ちゃんの後ろに隠れて彼を見つめる。承太郎の目が透き通るような綺麗な目だから、いけない。なにもかも見透かさている感覚がする。 「どうしたの、なにかあった?」 承太郎の上機嫌と僕のびくびくした態度におかしい、と思ったのか、徐倫ちゃんが首を傾げて承太郎にいう。ああ!徐倫ちゃん、直球すぎる! 「いや、な。懐かしい夢を見たんだ」 ‥夢? 「ゆめ?なにそれ」 「‥俺が初めて、好きになったやつのゆ」 「父さんの初恋のころの夢?なにそれ聞かせろよ!」 徐倫ちゃんがすごく食いついた。承太郎の方も、こういう類いの話は苦手のくせに、何故だか今日はよく舌がまわる。 「どんな女の子だったの?」 「へんなやつだった。‥堅い奴だと思っていたら、どこかガキみたいで、」 「うん、」 「ああ、そう。俺は前にも一度、熱を出した事があってな‥夜中だった。ふっと気配を感じて、俺は敵だと思い、寝たふりをしていてな」 「敵?」 「ああ、‥要は不審者だと思ったということだ。夜中に無言で勝手に部屋に侵入するんなんざ、それしかないだろ」 「ふーん」 「でも違った。そいつは、俺が好きなやつで、」 「うんうん、」 それは、あの時の事だろうか?しかし、そうならばおかしい。ずっと僕のハイエロファントが見張りをしていたはずだ。 誰も、侵入なんかしていない。 「それで?」 「触られた」 「は?」 「触られたんだ」 承太郎は、思い出すように遠くを見つめる。その“遠く”が、なぜかこちらに向けられているようで、目が、あっているみたいだった。 「ここをな、」 そういってそっと承太郎は頬を自らの手で触る。僕は無いからだが熱くなるのを感じた。僕がいくら恋路になれてなかろうが、ここまできたら、そう、気づいてしまうだろう。 「まさか‥あ、あ、あの時もしかしてまさか君はっ、お、起きてたのか‥ッ!」 「モテるほうではあったがまさか、そいつからも好意もたれていると思ってなくてな、」 「あーあーあー!ちょっと待ってくれッ承太郎!」 「このまま俺も波にのってそいつに触れようかと思ったが、」 「ちょっと待ってってば承太郎!あれもしかしてやっぱり見えてない?よかったーってそうじゃない!あああ待って君、いつ僕の事を?ほんとかよ‥」 真っ赤になって、思わずうずくまる。恥ずかしい。いや、恥ずかしがってもどうせ承太郎には見えてないし、見えているとしても徐倫ちゃんだけで‥ そこでハッと重大な事に気づく。そうだ彼女は僕が見えているし声も聞こえるしつまりはこの僕が今おこなった一方的なやりとりもばっちり見てばっちり聞いている。恐る恐る彼女を見れば、案の定唖然としながらこちらを見つめていた。それもそうだろう、父親の初恋の相手である女の子の話を聞いているつもりだったのに、いつの間にか父親のホモカミングアウトにすり替わっていたのだ。挙げ句の果てに、今まで父親に取り憑いていたその幽霊がその相手だったといういらないプラスα付きで。ああ、なんてこった。これはツラい、ツラすぎる。ポルナレフが自分より先に童貞を終わっていたという話を聞いた時の僕のショックと同じくらいだろうか。あれは本当にショックだった。ショックだったというか、もう泣きたくなった。いやそんな話ではない混乱している場合ではない。 承太郎は、さすがに娘に自分はホモでしたと悟られないようにと相手が男という事をふせているが、すまない承太郎、僕が全部ぶち壊してしまったよ。彼女もう勘づいちゃったっぽいですすまない死んでわびようとおもったらいっけない僕死んでたんだった。 混乱状態の僕を見てため息をついたのは徐倫ちゃんだ。そのまま僕を無視し、父親に詰め寄った。 「触れようとしたけど?」 「ああ‥。待とうと思った」 「なにを?」 「俺は、そいつからなにも言われた事がなかった」 混乱して髪をばさばさ乱していた手を止める。僕は彼を見た。ああ、そうだ。僕は何も彼に、言わなかった。好きです、と。言えなかった。 言いたかったのに言わなかった。理由はたくさんあった。彼は絶対僕の事を好きではないから拒絶されるだろうな、とか、男同士だから、だとか、今の関係を壊したくない、とか。 彼に、幸せな家庭をもってほしい、とか。 だけれどそれは僕一人の単なるわがままだったのかもしれない。現に、彼は、僕の言葉をずっと待っていた。ずっと、ずっと。 「嗚呼、だけどそれも単なる俺のわがままだったんだろうな」 承太郎はそう小さく呟き、悲しそうな無表情をつくった。僕のために悲しそうな表情してくれて、ごめんね。 「俺の方から言えばよかったと後悔している。」 「‥父さん、」 「ああ、死んだんだ。もう、どこにもいない。」 その言葉がずしり、と重くのしかかった気がした。確かに、いない。存在していないのかもしれない。やっと君に言うべき言葉を見つけたのに、その声も存在できない。 「名前を一度も、呼べなかった。気持ちを言えなかった。後悔してからじゃ、遅いんだ。」 「おそいかしら‥」 「ああ、遅い。だから徐倫。いつか、大事な人ができたら、素直に好きだと言ってあげるんだ。俺みたいに後悔する事になる。」 「‥‥」 「今、思い出した。あの日の夢を見て、思い出した。‥後悔してからじゃあ遅い。人は素直になる方が一番賢いんだ。なんせ、幸せになる」 「今日はよく喋るわね、父さん」 「素直になってみただけだ」 じゃあ、と徐倫ちゃんは言う。彼女の手が、僕の手の方へかすかに移動し、ギュッと手のひらで握った。手を繋ごうとしたのだろう。しかし僕の手は、彼女の手に染み込んだ。それでも構わず彼女は結んだ手のひらを開こうとはしない。 「もう一個だけ、素直になって。父さん、」 「なんだ」 「その彼の名前、教えて」 僕は顔を上げた。彼女の横顔を見つめれば、彼女は楽しそうに唇の端をつりあげて笑っている。 彼、という単語に、少し動揺したのか、彼は三回ほどまばたきを繰り返した。やがて笑い、さすが俺の子だ、と笑った。 「するどいな」 「だてに父さんの娘してないわよ」 「言うな‥」 「言うのは父さんの方でしょ?彼の名前を」 彼女の笑みに、彼はお得意のあの言葉を吐いて、そして小さく笑った。 そっと彼女に優しく微笑みかけ、それが彼女の後ろにいる僕の方にも向けられているようで、嬉しくて、嬉しくて、穴があいてすうすうするはずのそのお腹が、満たされたようにいっぱいになった気がした。 「花京院、のりあき」 たとえば幸せとはなんですか、と聞かれたとする。幸せなんて人それぞれ違って、痛々しい幸せもあれば、ちっぽけな幸せや、それは欲張りすぎではないですか?くらいの幸せだって様々あって。ああ、僕の幸せなんて誰かから見れば小さな事かもしれない。死んだ身だし、好きな人には見えないし、負の部分がたくさんある中、名前を呼ばれるというその幸せを、たしかに誰かから見ればそれはちっぽけで、むしろそれだけじゃあ幸せといわないだろといわれるかもしれないだろうけど。だろうけど。 涙がでる。死んだくせに。笑顔もでる。死んだくせに。幸せだ。死んだ、くせにだ。 どうしよう、承太郎。僕、君のせいで、幸せすぎてお腹いっぱいだよ。 「よかったじゃない」 徐倫ちゃんはそう、どちらにもその言葉を投げた。笑顔が綺麗で、あまり笑わない承太郎だけれど、微笑み方は、ほんとそっくりだ。そっくりすぎてどうしようか、僕は彼女も彼も愛おしくて、この腕いっぱい広げて抱きしめたい。 「「すき」ても言えたし「なまえ」も言えた。だからもう、後悔しなくてもいいんじゃない?父さん、」 「‥本人が聞いてなかったら、意味がないだろう」 「そう?」 「意味ない‥」 「そっちじゃなくて、」 彼女は冷め切ったお粥を彼に渡してこう言った。 「ノリアキ、案外盗み聞きしてるかもよ?」 人聞きの悪い事を! 僕は声を張り上げて笑う。それを聞いて、彼女も楽しそうに笑った。彼女からお粥をもらった承太郎は、彼女を見つめ、かもな、と苦笑した。 どういうことだ承太郎!と僕が彼に抱きつけば、徐倫ちゃんも笑いながら承太郎に抱きつく。いきなりの事で驚いたのか、スプーンですくったお粥が少し揺れた。それ以外は微動だにしなかった。 徐倫ちゃんは僕を見るなり、小さく唇だけで「ノリアキ、」と呟いた。 「わたしもノリアキ、て呼んでいいかしら」 「さぁな。でもあいつならでれでれするかもな」 さすが承太郎、ご名答!僕は笑いながら、今度は彼女ごと承太郎を抱きしめた。感触はない。ああ、でも、幸せには触れている感触が、ある。 そうだ、勝負しないか、承太郎。 君がお粥を食べて、僕は幸せで、どっちがお腹いっぱいになるのが先か。 ねぇ、どっちが先にお腹いっぱいなるのかな? もうすでに、僕は満腹だ。 ―――――――――― ながっ‥! 実は11月くらいからずっと書いていたんですが全然仕上がらなかった‥(^^) ちょっと環さんが描いてくれた絵とリンクさせました(幽霊さんの覗き見騒動)。やつはやってくれましたな‥ にしてもこの承太郎、全然承太郎じゃないである。だれこれ |