鬼道クン、そんな風に呼ばれたことは元来なかった。 記憶も朧気な幼少期には「ゆうと」。 施設にいたころは「お前」。そこに名前など、あるようで無いのだ。 そして鬼道財閥に引き取られてからは専ら、「鬼道」「鬼道さん」「有人さま」。 そんなに呼び方が変われば、そりゃあ高慢にもなるわけだ。 もっさもさのそいつからの馴れ馴れしさ溢れる呼び名に、当初俺はイライラしていた。例えば、 「鬼道クン」 「…」 「鬼道クン」 「…」 「きどーくん、無視しないでよ」 「うるさい、気安く呼ぶな」 「ちっ、なんだよ」 なんて平行線の会話が、今まで何百回と繰り返されてきた。 まあ今の俺に言わせれば戸惑っていただけだったのだが、気付いたとしてもなにせ向こうも意地っ張りだから、呼び方を変えることは無かっただろう。 「鬼道クン」 今度は回想の中ではなく、すぐ後ろで本物の声が聞こえた。 「不動」 「なぁに」 四畳半の書斎。ただでさえ狭いのに、こいつはよく俺の作業中に入ってくる。 自分の部屋があるんだから、そこにいればいいのに。 あぁそう、つまり俺たちは同居中。 10年前の喧喧諤諤はどこへやら。 「なぁにって…お前から話しかけたのではないか」 「あ、俺からは特に」 あは、きどーくんからは?と笑う不動。よくこう10年間、相も変わらず人を小馬鹿にし続けられるな。 けれどこれで会話を終わらせるのもどうかと思ったので、しばし考える。 「…お前はずっと、鬼道クン、と呼ぶな…」 「へ?」 きょとんとしてこちらを見る不動。 「呼び方、変わらないなぁ、と思って」 一緒に暮らすほどの仲なのに。 「鬼道クンだってずっと"不動"じゃん?」 「え、」 そう言われてみればそうだ。 「…まあ、別段意識したことはなかったからな」 「俺もそうだっつの。」 半目でじとっと睨まれた。 「…」 「…」 「…あ、あき、お」 「いやいやいやそんな無理しなくていいから!!」 あまりにも不自然すぎて、泣きそうになりながら言うと、不動は慰めるように言った。 「だからさ、別に無理しなくてもいいじゃん」 「…でも」 それでもなんだか附に落ちない。 「…ずっと同じ呼び方だけど、最初の"鬼道クン"と今の"鬼道クン"は違えよ。」 「…」 「最初のころは、皮肉も憎しみも混じってた。影山のこともあったし、…何より皆から慕われてるのが、気にくわなかったんだ。」 訥々と話す不動。 「…でも鬼道クンの生い立ちとか、その、色々、聞いて」 「…」 「こいつも苦労してんのな、って。それで、」 「わかっていたさ」 「え、」 「"鬼道クン"に段々と、刺が無くなっていくことくらい」 嫌味としての呼び名から、いつしか友達としての渾名になっていた。それは俺も同じで、 「俺は天才ゲームメーカーだからな、不動」 「きどーくん…」 俺はわかってた言っていたのだけど、まあいいか。 ニヤニヤ笑うそいつに、キスをかます。 どちらからともなく離れて、またキスをして。 憎しみの代わりに愛を込めて、俺達は互いを呼び合う。 疑ったり、和解したり。また喧嘩して、仲直りして。 呼び方は平行線だけれど、 俺達の関係は平行線ではなく、 まるでオシロスコープのように波打つ。 近づいて、離れて、また近づいて。 そんな関係がこそばゆいけど、 お前と同じくらい大好き、なんて 言えないけれど、ずっと思ってるんだ。 [*前] | [次#] [戻る] |