狭苦しい部屋に二人きり。沢山の古い蔵書に囲まれたこの空間は実に埃っぽい。俺と月島は横にふたつ並んであるパイプ椅子にそれぞれ座っていて、二人とも黙って個々に手を動かしている。しかし、俺がひたすら苦手な英語と戦っている間にも彼はものすごい速さでキーボードをたたいていく。

「バレねえのかな」
「大丈夫、バレないよ」

とっくに英語に飽きている俺がぽつりと呟いた独り言にまで、月島は手を動かしながらも真剣に返す。これ以上奴の邪魔をしては悪いと思い、再び俺は仕方なく英語と向き合った。欠伸を一つすると視界がぼやけたのでそれを適当に拭う。カーテンが閉められているので見えはしないが、だんだんと外はもう暗くなってきているだろう。







「ほんとは脚本やりたかったんだけど監督もやりたくて……。勝手にゆきの名前出してごめんね。みんなにはバレないように俺が脚本書くから」

困ったような顔でそんなことを言われたら、文句の一つも漏らせなくなってしまった。それはきっと彼がイケメンだからだろう。美形が眉を顰めている姿というのはどうしてこんなにも絵になるのか。
しかし、これで文化祭関連でやることが俺には一つもなくなってしまった。確かに学校行事に興味はなくできるなら簡単なことだけをして居たいけど、本当にこれでいいのだろうか。そもそも何故うちのクラスは劇なんかをやることになったのか。

「文化祭当日は何にもしなくて済むね」

そう言って笑う月島の顔が浮かんでは消える。思い出すのはやはりあの保健室での一瞬の出来事だ。なんであんなことをされたのか、未だにわからない。彼は俺に対する態度を少しも変えてないしそのことを口に出したりもしないので、二人のなかで無かったことになっていると思うけれど。同性にあんなことをされるなんて忘れられる筈がない。いや異性にされても忘れられないだろうけど、ほら衝撃の度合いが全然違うだろ。







英語の和訳を必死に考えながらもこのような違うことが頭に入って来てしまうので、あまり集中はできない。建て前として同じ部屋でこうして作業をしているが、誰が見ているわけでもないのになと思う。しかしこれも彼の作業が終わるまでの期間だけだ。

「高橋さんが、お前のメアド知りたいって」
「高橋さんが?」
「そう」
「わかった。いいよ教えて」

頭の中にずっと浮かんでたことを小さく漏らしてみれば、相変わらず画面に目を向けたまま彼はそう答える。高橋さんにノートを返したときに何かお返しをしたいと言ったら最初は断られたのだが、後からぼそっとそのようなことを頼まれたのだ。言葉には直接しなかったが、彼女はきっと月島に好意を抱いているのだろう多分。早速その彼女に報告メールを送る。月島のアドレスを添えて。

「終わったー」

はあ、とため息を吐く彼に視線を向ける。俺が携帯電話に集中している間にどうやら話が完成したようだ。ここ最近毎日続いていたこの時間もやっと今日で終わりを迎える。

「できたの?」
「うん。印刷が終わったら一番に読んで」

かるく微笑みながらそう言う彼に黙って頷く。プリンターの音が鳴っている以外はとても静かであることに今更気まずさを感じて、俺は明日の英語の予習に専念することにした。

「ねえ、教えてあげよっか?」

こいつの綺麗すぎる笑顔が本当に苦手だと思う。黒だか白だかよくわからない、その表情が。そうしているあいだにも俺は首を縦に振っていた。




「お前ってほんとに何でもできるんだな」

彼に手伝ってもらったのであっという間に英語の予習を終えてそれから彼の書いた脚本を全て読んでから、俺は狭苦しいこの部屋でぽつりとそう呟いた。

「そうかな」
「そうだろ」
「話、どうだった?」
「すげえ月島っぽかった。これほんとにバレねえかな俺が書いたってみんな信じんの」
「大丈夫だよ。だって脚本なんて初めて書いたからみんな何にも知らないよ、何にも」

不安を口にすると、彼は笑ってそう返す。そういえば何故俺がそんな要らない心配をしなければならないのだろうか。それはとてもおかしなことだ。すべて彼が勝手にやったことで、こっちは関係ないことに巻き込まれたただの被害者だというのに。自分という人間はそういう性分だから仕方ないといったらそれまでだけれども。

「じゃ、俺帰る」
「なんで?」
「なんでって…」
「ちょっとおしゃべりしてこうよ、下校時間まで」

おしゃべりって……と思って彼を見れば、蛍光灯に照らされたその横顔はとても真剣な表情をしていた。

「初めてさ、一緒に帰った日のこと覚えてる?」
「微妙に」
「あのときも言ったけど俺、ほんと子供なんだよ。何にも一人でできやしない」
「一人で全部劇の脚本作っちゃう人に言われても」

何にも考えずにそう零せば、彼は何故か声を上げて笑う。

「ゆきは変わってるよね」
「変わってないよ」
「変わってるよ」
「変わってないよ。どこまで深く見られても味気ないちっぽけな人間だよ」
「そうかな」
「そうだよ」

空気は既に乾いていた。横にふたつ並んであるパイプ椅子に相変わらずそれぞれ座っている。友達だからお人好しに此処に来てあげている、本当は一人で居たいのに。こんな狭い部屋に誰かと閉じこもっているのはとても苦しいことなのだ。でも心地よくもあるのはきっと相手がこいつだからなのだろう。おかしなことに。

「なんでお前キスしたの」

ずっと考えないようにしていたつもりだけど時々考えてしまっていた事柄をついに口にしてしまった。言葉にしたことで本当にあれはキスだったのだという事実が重くのしかかる。だからそんな意味がありそうな行為なんかじゃなくて、と思うけれど他に言葉が浮かばない。

「……ゆきが泣いてたから」
「泣いてる奴には誰にでもそんなことすんの」
「しないよ。俺、初めて男とキスした」

そう言って柔らかく月島が笑うから、なんだか拍子抜けしてしまった。そうだよな、そんなに深く考えるような出来事でもないよな。あれはきっと間違ったんだろなんかいろいろ彼も疲れてたんだろ。

「ゆきにしかしないよ」

だから、いま彼がまた俺にキスをしているなんて夢だと思う。というか夢だと思いたい。本当に一瞬だけ掠るくらいの感じで確かに触れた、柔らかいところに柔らかいものが。あの日と同じように。

「……お前、ホモなの?」
「違うよ」
「キス魔なの?」
「違うよ」

なんかもう何もわからないからぼーっと彼を見つめてしまっていたら、月島は少し微笑んで口を開いた。

「文化祭、一緒にまわろうか」

空気はただひたすら乾いていた。




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