いくら呼んでも『彼』は振り返らなかった。昏い昏い、暗闇がじわりと土方の心を侵食していく。
呼び掛けにも応えてくれずに、ぽつりと独り残して去っていってしまった。
その事実に恨めしいとも哀しいとも思わず、ただ寂しかった。同時に何故自分は忘れてしまったのだろうと、後悔と罪悪感に押し潰されそうだった。
昏い昏い、何も見えない暗闇で、また独り佇んでいなければならないのか。
人は誰しも必ず、心に光と闇の部分を持っているという。土方の光の部分はいつでも真っ直ぐひたすらに近藤と真選組を照らし続けていた。だけど、その奥深くに埋没した闇の部分は、誰にも気付かせずにただそこに漂い続けた……いや、或いは漂わせ続けたのか。過去という自らを形成する明確な指針を持たない自分の、深く昏いそれなど、生まれてからずっと温かな光の世界の住人である近藤や沖田に分かるハズが――気付かれるハズがないのだ。
家族を持たず、気付けば苛立ちの命じるままに喧嘩を繰り返していた自分など。
あまつさえ――夢からして――どうやらあの地獄のような攘夷戦争に参加していたらしい自分など……。
昏い世界。
あれほど鮮やかな色彩の乗っていたキャンパスも、今や思い浮かべる事が困難だった。
幾らそれがカラフルであっても、そこに光を当てなければ決して見る事は叶わないのだ。
自分の持っているちっぽけな光の部分では、真選組を照らすだけで精一杯で、自らに向ける余裕などありはしない。
昏い世界。
深い深い闇。
嗚呼、やはり自分は一色の世界しか持つ事が出来ないのだ。それが緋か黒かの違いはあろうとも。
元に戻っただけだ。色の違いはあれど、元に戻っただけに過ぎない。気に病む事でもない。
なのに、
(誰か、助けてくれ……)
そう思ってしまうのは、カラフルな世界を知ってしまった後だからだろうか……?
耐えられそうにない。どうか引っ張り上げて、このモノクロの世界から。
(誰か、)
(誰かッッ、)
(総督……!)
『……じかた』
声が、ひとつきこえた。
『土方』
否、誰かが呼んでいた。
『土方!』
その声はとても懐かしくて、またすごく愛しくて。
無意識にただ、
(嗚呼、“あいつ”の声だ。)
と、思いながら。
土方はその方向に、必死で手を伸ばした。
*
眼を開けてみると、最初に飛び込んで来たのは、色鮮やかな蝶柄の着物だった。
「高杉…?」
派手な蝶柄の着物に片眼の包帯、それらが連想する人物はたった一人、自らの恋人しか思い浮かばず、土方はぼんやりと彼の名前を口に乗せた。
すると明らかにほっとした表情を露にした高杉に、それでよくも過激派凶悪攘夷志士が名乗れたモノだと思った。
「お前 なんかやけにうなされてたぞ大丈夫か?」
言いながら土方を抱き起こす。その温もり溢れる腕に、やはり世間の評価は間違っていると思うのだ。
勿論この温かさは、土方のみに向けられるモノだとちゃんと理解している。自惚れるワケではないが、それでもそれを嬉しく感じるのは独占欲からか。
「あぁ…悪ィ」
温もりに離れ難くて、身を預けたまま謝ると、彼は緑を宿した隻眼を優しげに細めた。
「何か悪ィ夢でも見たか?」
「……」
何と答えればいいか分からず、暫く押し黙るしかなかった。やがてぽそりと、
「…戦争の、夢」
それは決して悪い夢…と断言出来るモノではなかったから。
「…戦争? 攘夷戦争か? そりゃまた昔だな」
「ん、白夜叉や昔の俺…あの時死んだ奴等もみんな」
ふわりと、いつもなら振り払うであろう頭を撫でる手を受け止める。
何だかその感触はどこかで感じた事があるような気がした。
(そういやぁ…)
何故かその感触を感じていると、ふと思い出す事があった。
(“あいつ”のこと、結局分からず仕舞いだな…)
脳裏に過ったのは、あの時代を駆け抜けた颯爽とする『彼』の後ろ姿。
「あの中に…きっとお前も」
「あぁ?」
――そうだ
――結局
――俺達は戦に負けた