ガッ
「!!!」
そこで映像は途切れ、暗闇が広がった。
いや、違う。誰かが自分の眼を、その手で塞いでいるのだ。
右手で土方の両眼を塞さぎ、左手はその細腰に回されている。後ろから――感じからして恐らく――男に抱き締められているというのに、不思議な事に土方はちっとも嫌悪感を抱かなかった。
「やめろ」
聞こえてきた声に、“何故”と思う前に疑問が解けた。
(そうか、この手は『彼』の、だったから……、)
「見るな」
焦ったようなその声が発せられると共に、ピシ…と、映像が割れる。
まるで硝子に投影されていたものを見ていたかのように、ポニーテールをした昔の自分の映像にひびが入るのを、土方は眼を塞がれているというのに感じていた。
「これ以上思い出すな」
パリィ…ン、と小気味の良い音がして、とうとうその映像は粉々に砕け、パラパラと散る細かい破片には戦争のその後らしき色々な場面が写る。
否、それは記憶の断片であるのか。――『彼』の言ったように、忘れてしまった、自分の……。
左眼から鮮血が溢れ、悲痛な咆哮を轟かす青年が、
その白磁の肌も髪も、緋色に染めて血の涙を流す青年が、
死にゆく仲間に嘆き、乱れた長髪で慟哭する青年が、
「醜悪で残酷な真実が」
そして、『彼』がそう評するこの醜悪で残酷で…凄惨な殺戮の真実が、
「お前を壊してしまう前に」
自分の失ってしまった過去。
(俺の、忘れたかった過去……?)
「あ……、」
意味を成さない音を口から漏れた。いつの間にか自分の眼を隠していた『彼』の手が緩んでいる事に気付いて土方は振り返る。
と、そこにあったのは翠色の両眼だった。
いつも『目付きが悪い』だの『瞳孔が全開』だの揶揄される自分の瞳であるが、それさえも奥へと惹き込む深い森の瞳だ。
吸い込まれて、溢れだして、身体の内側の方から競り上がる…言葉で言い表すとしたら“慟哭”とでも言うのだろう“何か”を叫んでしまいそうだ。
『彼』の眼に見詰められると、どうかしてしまう。
「あんたは…」
その“何か”に任せて、続く言葉も解さないまま、土方はそう言いかけていた。
だがやはり次の言葉を見つけられず、不自然に途切れた気まずさを誤魔化すように視線を彷徨わせた。
癖で隊服の内ポケットに手を伸ばすが、そこに常備しているはずの精神安定剤――というか煙草――はない。改めて“ここ”が夢の中なのだと認識する。
(だが…)
スッと『彼』の手が頬に添えられた。
(この感触も…声も…こんなにホンモノなのに、)
安心感も懐かしさも、愛しさも。それは忘れてしまったと言えども、心の奥底ではちゃんとその記憶が息づいているからか。
忘れたかったから奥底に封印したのか、外的な要因による不可抗力で忘れてしまったのかは分からないけれど。この喉を焦がすように沸き上がる“何か”を知る手掛かりが過去なのだとしたら。
(俺は…)
「いい」
だがその覚悟は、固めきる前に『彼』によって押し込められた。
「無理に思い出す事じゃない」
静かに見詰めてくる翠色の両眼に、恐らくそこに偽りなどないのだろう。
土方は真選組の副長だ。他人の心の内には敏感な方である。況してや『彼』は“今”の自分よりずっと年下であるのだから、本当の本気で土方に思い出してもらう必要などないと思っていると分かる。
(だけど、だったらッ、何でそんな顔してんだよ……!)
そんな、悲しげな…でも無表情な表情をしないで欲しい。
誰だって、己を忘れ去られて平気なはずがない。傷付いてまで幸せを願う価値など自分にはありはしないのだから、どうか止めて欲しい。
そもそもそれ以前に、自分の幸せを勝手に判断して押し付けようとしないで欲しい。
忘れたかったのか、忘れてしまったのか、
封印したのか、失ってしまったのか、
きっとどっちでも良かった。
何故なら今、自分は過去を思い出したいのだから。
“今”“自分”は思い出し“たい”のだから……!
ス…と、前触れもなく、頬に添えられていた『彼』の手が離れた。
思わずその手を瞠目して見詰めた。指があった場所が何処か寂しい。
「待て…」
手だけではない。
「行くな!」
手どころか『彼』自身が土方から離れて行こうと、闇の中に紛れようとしていた。
きっとそれが土方の為なのだと、自らの痛みを押し殺して。
「違う! 俺…昔のこと 思い出したい」
――冷たい指と、やさしい声と
(…方)
――こんなにも懐かしいのは何故?
(土方)
――こんなにも愛しいのは貴方だからなのでしょう?
「教えて」
どうして応えてくれないのだろう。死ぬなと言ったのは『彼』の方ではなかったのか。
ならば何故『彼』は今“死のう”としているのだろうか。土方の記憶から“死のう”としているのだろうか。
(…それが“俺”の幸せだからか?)
(幸せなんて、だったら幸せなんて……ッッ!)
それは、より大勢の幸せ(真選組)を叶えようと、自分の幸せ(ミツバ)を酷薄に切り捨てた自分が言える事ではないのかも知れないが。
「それでも俺はアンタをッッ!」
「大丈夫 そのうち、思い出せる日がきっと来るから」
―――俺は、大丈夫だから。
酷く優しく、残酷な言葉と共に、背が向けられた。
消えていく、消えていく。
振り向きもせず。
独り闇の中へ。
これは、罰なのだろうか?
あの時、天人に囲まれたあの時、『彼』に背を向けて、たった独り死のうとした自分への、
そしてそのくせ、“今”彼に刃を向け続けなければならない自分”への……?
「嫌だ、」
消えていく。
「行くな、」
消えていく。
「総督―――――ッ!!!」