20



開け放した私宅の窓から、穏やかな秋の風が吹き込んでくる。
運ばれてくるキンモクセイの香りに、土方は思わず笑みをこぼした。香りの元である植物が庭に植えられたのは、存外風流を好む男の我が儘からだった。
そして今現在、我が儘をごり押しした当人は、これまた我が儘を押し通す形で、土方にひざまくらをしてもらっていた。

「何笑ってやがる」

土方が肩を震わせたことを、頭に敷いた膝の振動から察したのだろう。高杉は、唯一覗く右目の瞼を押し上げて問いかけた。
深緑色の隻眼と、灰水色の両眼の視線が、カチリと交差する。
何十年も見慣れたはずの男の目だというのに、なんだか無性に気恥ずかしくなって、土方はフイと顔を背けた。

「……何でもねェ」

素っ気ない態度は、自分のデフォルトのようなものだ。現に高杉も、ちっとも気分を害した風もなく「そうかい」と笑った。
サァァァと、もう一度キンモクセイの香りを宿す空気が、室内に飛び込んできた。
どこかの天パが好みそうな、甘ったるい匂いだと思った。
今日は特に急ぎの用事はない。だから土方は、我が物顔で膝を占領している男に、ふと気紛れに提案をしてみた。

「あとで万事屋に顔出してみねぇか?」

「あ"ぁ?」

予想通り、不機嫌丸出しの声が返ってきたけれど。

「京(こっち)でテメーと暮らし始めてから、とんとご無沙汰じゃねぇか。あいつも今は一人暮らしなんだし、そろそろ寂しがって『薄情者!』なんて乗り込んで……」

「あんな万年金欠パーマに、京までの旅費が捻出できるわけねぇだろぉが。そんなにテメーは、銀時なんぞに会いてェのかァ?」

「なんだ、妬くなよ」

からかうように言うと、高杉は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
最近では、こんな風に土方が茶化して高杉が不貞腐れるというやり取りが定着している。昔はまったくの逆だったのに、一体いつからこうなったのだろう、なんて意味のないことをこっそり考えた。
それは恐らく、高杉があの頃より心を開くようになったのと、土方があの頃より人生経験を積んだからなのだ、と。

「俺ァテロリスト引退したってのに、てめえはまだ真選組やってやがる」

やがて、風に紛れて、ぽつりと低音で呟かれた。
いつの間にか白の混ざった紫紺の髪。土方は、それでも手触りは変わらないんだな、と沸いたことを考えながら鋤いていた手を止め、高杉を見下ろした。
見詰めることで、暗に続きを促す。

「この俺が譲ったんだ。てめえも誠心誠意、俺に応えるべきだろう?」

「つまり他の男の名を出すなって?」

「会うな、とまでは流石に現実的じゃねぇからなァ」

「よく言うぜ。そもそも俺ァ真選組たって若いもんが途方に暮れたときだけ、ちょいと助言したり稽古つけてやるだけの、謂わば定年後の非常勤教師みてぇな可愛いもんじゃねェか」

反論しつつも溜め息を漏らしたのは、何も高杉に対してだけではない。こんな第一線を退いたおっさんに、アドバイスをもらいに来る真選組の現局長や現副長への呆れも、そこには若干含まれていた。
といっても、現局長も現副長も、ハタチを漸く越えた程度の若造、しかも近藤や沖田の息子達なのだから、経験豊富な『身内』を頼りがちなのも無理はないのかも知れない。

「つか、てめえこそ裏で鬼兵隊動かしてテロの手引きやってんじゃねェか。俺が知らねェとでも思ってたかコラ」

「あー、成る程、監察方はてめえの飼い犬だったからな。今でも情報は流れて来んのか」

「ついでに言うと、手配書も一生くたばるまで有効だからな。時効なんてあると思うな」

「おいおい、俺だって今はテメーみてぇに若いもんにアドバイスっつーか、気に入った奴に名前や威光を貸してやってるだけだぜ?」

「時には武器や弾薬を流して焚き付けたりか?」

「時には時期尚早だと諌めたりとかなァ」

高杉はそう言って、にやりといやらしく唇を吊り上げて見せた。
眼光の鋭さは以前とまったく変わらず、目尻と口角に寄った皺だけが、彼から年齢を感じさせる。

この何十年かで、国の情勢は緩やかに変化していった。
武力によるテロではなく、メディアを利用した言論による世直し活動が一般的になってきた。桂などがその最たる例だろう。
落ち着いてきた江戸の治安を見て、土方は副長職を引退し、真選組も新たな若い世代へと受け継がれていった。
新八や神楽が武者修行と銘打ち、半分旅行のような調子で宇宙へと旅立っていったのも、もう何年も前のことだ。現在の万事屋は、銀時がひとりで、自由気ままにやっているらしい。
ぬるま湯のような平穏。
生粋の江戸っ子である土方は、熱めの湯の方が好きなのだが、浸かってしまえば案外これも悪くないと思えた。
いや、重ねた年月が、そう思わせるのか。

隠居生活の場として土方が京を選んだのは、そこに高杉がいたからである。正確には、土方が真選組を退職したことを聞いた高杉が、独断専行で家を買ってきて、同棲しようなどと勝手のたまったからなのだが。
彼としては、天皇の権力が江戸より強い京の方が暮らしやすいという理由もあったのだろう。
そういえば、まったく天皇を敬っていないくせに、その方が動きやすいからと、この隻眼の男が掲げていたのは一応尊皇攘夷論であった。

「喉が渇いた」

不意にのんびりとした声がかかった。
だから何だと睨み付ければ、膝の上に頭を置いたまま「茶ァ」と、高杉は自分勝手な要求を吐いた。

「あいにく茶葉切れだ」

「買ってこい」

「ふざけんな。てめえで行け」

「時効も切れてねェ指名手配犯に外出を命じるたァ、愛がねェな」

「それ根に持ってたのかよ。派手なことさえしなけりゃ通報されねェさ。大体ェ花見だ紅葉狩りだと、俺を毎年散々引きずり回したテメーがそれを言うな」

「一応人目は気にしてたぜェ?」

「編み笠かぶってただけだろうが、てめえは」

土方は呆れ返ったような吐息を、長々と吐き出した。
しかし、同時に胸の内が温かくもある。
若い時分には考えられなかった高杉との穏やかな会話だ。惹かれ焦がれつつも、立場ゆえに傷付け合うことしか出来なかった関係だったというのに。
退職した土方には、もう他人に手錠をかける権限はない。
犯罪者を追い回す義務もない。

――余った人生くれぇ好きにしろって

そう言って、この生活を送る決断の背中を押してくれたのが銀時だった。
だからたまに会いたいなと思う。
それに、高杉に対する愚痴――のろけとも言う――を聞かせられるのは銀時だけだ。流石に近藤や沖田に、薄々感づかれているとしても、おおっぴらに話すわけにもいかないだろう。

「甘ェなァ」

思わずそんな感想が、土方の唇からぽろりとこぼれた。
甘いのは空気か、キンモクセイの香りか。或いは――
何度もこの家で秋を迎える内に、すっかり慣れ親しんでしまった花の匂いを肺に取り込んで、やっぱり土方は笑った。
それを見上げる形の高杉も、ふと唇を緩めた。
風が髪を揺らす。
空はきれいな秋晴れだった。




20ひざ枕


 ̄ ̄
殺伐としてない未来高土に砂ザァー



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