12



「おいおい、嘘だろ……」

高杉は思わずぽつりと独り言を漏らした。目の前の土方が予想外に整った顔を傾けて、『きょとん』と覗き込んでくる。
最悪だ。
向かい合った互いの顔の中間で、握り合ったままの手が、いつの間にやらしっとりと汗ばんでいた。



 *



何が問題なのか、どこの学校にも必ず学年にひとり――或いはクラスにひとり――いじめられっこというものが存在する。
高杉の通う中学も例外ではなく、本人たちは『いじめ』だと思ってすらいない無邪気な戯れの餌食になっている少年がいた。
それが土方十四郎だ。

まさしく根暗で陰気。しかも長く伸びたぼさぼさの前髪で顔が半分ほど隠れている彼は、クラスから思い切り浮いていた。
中学生が誰かをいじめる理由など、それだけで十分すぎるほどだろう。
高杉自身はどちらかといえばいじめる方なのだが、嫌がる相手に嫌がらせをするから面白いのであって、周囲からの暴言もからかいも、反抗せずに受け入れる土方に興味はなかった。
地味でキモイ鬱野郎。
他にも不倫相手の子供だとか家がないだとか売り紛いのことをやっているだとか――男子中学生で売りは流石にあり得ないと思うが――話のネタになりそうな噂は色々聞こえていたが、高杉の土方に対する認識はその程度だった。

そんなたいして接点のない土方と、高杉が手を握り合うはめになったのは、実はごく自然な成り行きだった。


「腕相撲大会しようぜ」

昼休み。マジカルバナナもそろそろ飽きてきたところで、誰だったかがそんな提案を挙げた。何の脈絡もなっかたことから、恐らく昨日のバラエティー番組に影響されての発言なのだろう。
何をいきなりと思わないでもないが、土砂降りの雨に教室に留まらざるを得ない、暇を持て余す男子中学生たちが、わざわざ反対するはずもない。
よしきたとばかりに無駄に張り切る桂が、「これだから男子は…」という女子からの非難の視線をものともせず、机と椅子で簡易会場を整えていく。
そしてそのまま上半身裸になって、まわしを締めようとし出した電波馬鹿を、殴って沈めた銀時が、ふと何かを見つけてニヤリと笑った。

「なぁ、あいつ入れようぜ」

日頃ドSを公言して憚らない幼馴染の指さす方に高杉が目を向けると、その先にいたのは独りぽつんと自分の席で読書をしている土方だった。
なるほど、貧弱で痩せた身体つきの彼に、腕力があるとは思えない。腕相撲は良いからかいのタネになるだろう。

「好きにしろよ」

もともと興味のない高杉が素っ気なく返すと、「好きにしますぅ」と、銀時は存外機嫌良さげに土方へ近づいて行った。しかも鼻唄混じりだ。
物好きなやつだと思う。何がそんなに気に入らないのか、彼はことあるごとに土方に絡みに行く。
2、3言葉を交わしたかと思うと、銀時は土方の腕を引っ掴んでこちらへと戻ってきた。

「おい、顔がキモいぞ」

ニヤけてると指摘してやれば、「ニヤけてねーよチビ」と暴言が返ってくる。
ニヤけてるもんはニヤけてんだろ、と言い返すことむ出来たが、すぐに居心地が悪くなってやめた。銀時の半歩後ろに控える土方の視線に気づいたのだ。
もちろん、土方の両目は鬱陶しい前髪に隠れて見えないが、昔から気配に敏感な高杉は、真っ直ぐ自分に注がれているそれを感じていた。

「何見てんだテメー」

凄んでやれば視線はたちまち伏せられる。やはり、おどおどしているやつは好かない。
構うのも億劫で背を向ければ、「あ…」と小さな声が上がったが、聞こえなかったことにした。


男子中学生に秩序など、あってないようなものだ。
対戦相手はちゃんとトーナメント方式で順番を決めていたはずなのに、腕相撲大会がヒートアップしけくるにつれ、自分の番までの暇潰しとばかりに、あちこちで思い思いの相手と野外試合が勃発し始めていた。
拒否した覚えはないが参加した覚えもない高杉は、笑いながら相手をバッタバッタ戦闘不能にしていく坂本と、パックジュースを賭けて既に5分以上組み合ったままの桂とエリザベスを傍観していた。

ふと、また視線を感じて目をやれば、予想通り土方がこちらに顔を向けていた。
どうやら銀時に無理やり勝負をさせられそうになっているらしい。助けを求めるような視線がウザったい。
確かに、トーナメントの順番でいけば、土方の対戦相手は高杉――これは純粋にくじ引きで決まった――であるから、その高杉に助けを求めるのはあながち的外れではなかった。だが、それだけではないような色を宿している気もしないでもない。
まるで俺ならいじめねェみてぇな目じゃねェか、と思いかけたところで、実際いじめたことなどなかったなと思い直す。といっても、関わったことすらないのだが。

「銀時」

つかつかと銀時に歩み寄った高杉は、言外に『離せ』というニュアンスを含ませて名前を呼ぶと共に、土方の腕をがしりと鷲掴んだ。

「何?」

銀時の心底訝しげで心底不機嫌な声が返る。
が、委縮するような高杉ではない。

「こいつの相手は俺だろォ?」

「はぁ? 今さら誰もトーナメント表なんて気にしてねェっての。何でオメー律儀? つーか律儀な高杉って気持ち悪ィんですけど頭大丈夫?」

「パーなテメーよりは大丈夫だ」

「パーって何が!? 頭の中が!? 外が!?」

ギャイギャイ騒ぎ出した銀時は、しかし土方が明らかにほっとした顔を見せているのに気付くと、途端に眉を顰めて黙り込んだ。
そして、何とも形容しがたい微妙な表情をしたあと、急にだるそうに力を抜いて溜め息をついた。

「あーあ、なんかもういいわ。飽きたし」

「じゃあさっさと失せろや」

「何様!?」

べたなツッコミに「高杉様だ」とべたなボケを上乗せして、意味不明な幼馴染を追い払う。
何故か若干名残惜しげな素振りをする銀時が気になったが、すぐに他の男子に話しかけられて喧騒の中に混ざっていくのを見て、まぁいいかと忘れることにした。頭は色んな意味でパーだが、あの男はあれでいて案外人気者なのだ。

「さてと」

掴んだままだった土方の腕を引っ張って、その顔を正面から見据える。

「てめえに訊きたいことがある」

そう切り出して、高杉は土方に手近な席へと座るように促した。
そして自分は前の席の椅子に、後ろ向きで背もたれを両足で跨ぐように腰かけ、ちょうど机を挟んで土方と向かい合うように座る。
そのまま躊躇いもせず彼の右手を取り、机に肘をつけた。腕相撲の体勢だ。
銀時に、こいつの相手は自分だからという建前をつかってしまった以上、例えポーズだけでも腕相撲をしないのは、何だか不自然な気がしたのだ。

「何、高杉くん」

土方の声は思いの外しっかりしたものだった。聞いていてイライラするような、おどおどとした感じはしない。
とはいえ、高杉『くん』だなんて気色悪い呼び方に、結局鳥肌が立ったのだけれども。

「てめえは俺のことをどう思ってんだ」

ざわつく毛穴を宥めつつ、まるで好きな子に対するような台詞を高杉は言った。
だが別にこれはそういう意味ではない。
先程から感じる縋るような視線、態度。
高杉は誓って今まで一度も土方の味方をしたことなどなかった。だからこそ彼から向けられる奇妙に好意じみた反応が、何に起因するのか知りたかった。
土方は一瞬きょとんとした表情――といっても相変わらず両目は前髪に隠れているが――をしたあと、「どうって……」と困惑した様子で呟き、……そして、笑った。
豹変。
それ以外に形容する言葉が見つからない。

「おいおい、うそだろ……」

高杉は思わず独り言を漏らすが、それも無理からぬことだった。
握り合った手に、ぎゅうと力が込められた気がする。
高杉が驚いたのは何も土方が笑ったからではない。いや、それも驚くに相応しい珍事なのだが、そんなことより彼が浮かべた笑みの種類に驚いた。
それは決して気弱ないじめられっこが出来る類いの笑みではなく、もっと美しく、もっと綺麗で、もっと穢れていて、淫靡で、妖艶で、魅惚れてしまうような毒の笑みだ。例えるなら風俗嬢が――利用したことはないのであくまでも高杉の主観だが――オトコを誘うときにするそれに酷似した、しかし遥かに凌駕する色香を噎せ返らせていた。

「どう思ってるか、なんてテメーは訊くが……、なぁ? 俺ァ別にどうって程も思ってないぜ?」

彼の口調は気弱でも根暗でも何でもなく、ごく普通の、いやそれより少しガラの悪い男子中学生というに相応しいものだった。なのに、それが逆に高杉に違和感を与えた。
初めて直視したブルーハワイの瞳は、表現通り、甘そうで涼やかで人を惹き付ける『氷のような』色をしている。
気を抜けば吸い込まれて行きそうな双眸に抵抗しながらも、繋ぎあった手の、自分の方のそれが汗ばむのを高杉は感じていた。

「じゃあ何でテメーはいっつもいっつも俺を見てんだ」

掠れなかった自分の声に上々だと褒め称えつつも、何故俺がたかが土方ごときに気圧されなければならないんだと不機嫌になる。
そんな高杉を知ってか知らずか、尋ねられた本人は、そんなことかと、1+1を訊かれたみたいな気楽さで、あっけらかんと答えを口にした。

「あぁ、そりゃァただテメーが童貞かどうか気になってただけだ」

「はぁ!?」

それはあんまりと言うにもあんまり過ぎる回答だったのだけれども。

「だからテメーは自分のちんこを穴、まぁ前のでも後ろのでも何でもいいが、そこに突っ込んだことあるのかどうか観察を……」

「わざわざ下品な方向に言い直してんじゃねェよ!」

予想の遥か上空をスライディングしていく――空中でスライディングが出来るわけがないのだが本当にそんな比喩がぴったりなくらいブッ飛んでいた――言葉に高杉は気付けば全力でツッコんでいた。
驚いたようなクラスメートの視線が突き刺さる。騒ぎの主が校内一の不良と校内一のいじめられっこだと分かると注目は直ぐに霧散したが、しかしこんなのは自分のキャラではない。
ペースが乱されていることに些か困惑を隠せない高杉を他所に、暗鬱としたいじめられっこの仮面をかなぐり捨てた男は、華やかに、それはもう艶やかに微笑んで魅せた。

「なぁ、ヤろーぜ高杉くん」

「ぶっ!?」

「……汚ねーな。唾飛ばすなよ」

忌々しげに眉を顰めて、意味不明なことを意味不明なタイミングで切り出した土方が「だってよォ」と訊いてもいない理由をペラペラと話し出す。

「最近三十路とかのババアばっかで飽きてきたっつーか、マンネリ? つーの? ならいっそ180゜転換して同級生のオトコも悪くねーかなぁなんて。あ、年下はパスな。中坊より年下なんざ、なぁ? さすがにランドセル背負ってるチビッ子に手ェ出すほど節操なしじゃねーよ。今までは校内に相手作ると変に騒がれたり避けられたりされそーで我慢してきたんだが、その点テメーなら大丈夫だろうし。まぁ坂田くんでも良かったんだがアイツ俺のこと完璧意識してんだろ? 元々落ちてるやつ落とすほど俺ァ馬鹿じゃねーよ。落ちそうもねーやつ落とすのが愉しいんだろが」

決壊したダムか何かの勢いで喋り続ける男に、高杉は間抜けな魚のように口をぱくぱくと動かすしかできなかった。
これだけノンストップで話す土方というのも信じがたければ、話している内容も信じがたかったのだ。

「高杉くんもそういうとこあるから分かるだろ? 抵抗するやつを屈服させんのがおもしれーんだよ。あぁ、この場合テメーのことな。だってテメー俺を馬鹿にしてるだろ、つーかむしろ馬鹿にしてねェっつーか……その辺に転がる石ころみてぇに思ってるだろ。関わっても得にならねぇ、つまらねぇ、完全に眼中にねぇ。好きの反対は無関心ってよく言うあれだ。だからテメーは俺をいじめねぇし助けもしねぇ。まぁさっき坂田くんにしたみてぇに興味が湧けば助けてくれるんだろうが、それはそれでタチ悪ィよな。自分本意。俺の気持ちも他人の都合もお構い無しだ」

だからヤろーぜ? なんて誘ってくる土方の神経を疑う。どこをどう繋げたらその流れで『だから』になるというのか。
即答しない高杉に焦れたのか、土方は「安心しろ、本番で後ろ使うのは初めてだからビョーキなんて持ってねぇよ」だの「ならしは自分でやっとくからテメーは突っ込むだけでいいぜ」だの「童貞じゃねーんだろケチケチすんな」だの、微妙に的を外れた説得をしてくる。
こいつには常識というものがないのだろうかなんて、ワルガキと名高い高杉が思ってしまうくらいには、いじめられっこの顔をした狂人は常識外れだった。

「嫌…なのか?」

「ッッ!」

それでも高杉が答えないでいると、途端に土方は毒々しい色香を引っ込めて、叱られた子犬のようにしゅんとして見せた。
い、嫌に決まってんだろーがァァァ! と、ノーマルでしかない自分が咄嗟に反論出来ないくらい、その仕草は高杉の心臓を大きくバウンドさせた。
なるほど、これが今までの短い人生で彼が培ってきた手練手管なのだ。手に入れられないものなどないと極自然に信じている過剰なまでの自信と、扉を開けるには何も押すだけが手段ではないと理解しているしたたかさと。恐らくこれが彼の本質だ。

そう言えば、いつだったか銀時が愚痴紛れに言っていたことを思い出す。男はギャップに弱い生き物だと。か弱い霞草のような、華やかな薔薇のような、儚い桜のような。目の前にいるのはそんな男なのだ。
ならば自分は彼に負けるのだろうか。男としての弱みを突かれ、敗北まではいかなくても手ひどい一撃を喰らってしまったのだろうか。
もしかしたら銀時も土方の『これ』を知っているのかも知れない。だからギャップなどと言い出したのではないだろうか。
だとすれば、これから待ち受けているのはなんだ。恥辱にまみれた敗北と、屈辱さえもかなぐり捨てるような2位争いか。

――冗談じゃねェ。

そうじゃないだろう、と高杉は憶測が形になる前に否定した。
土方に負けた、或いはいずれ負けるのだと認められるはずもなかった。そして、そのことで銀時と同じ土俵に上がらされるなんて我慢ならなかった。
いや、この気持ちが銀時に限らず誰かと同じものであるなんて、どうしても思いたくなかった。
そう、他人(だれか)と同じでは駄目なのだ。


「……分かった」

暫く考えてから、『だからこそ』高杉は頷いて見せた。

「ヤろーぜ、土方ァ。だが落ちるのは俺じゃねぇ、テメーだ」

そう艶然と笑う。
手に入れられないものなどないと極自然に信じている過剰なまでの自信と、扉を開けるには何も押すだけが手段ではないと理解しているしたたかさと。だからなんだというのだ。その程度のもの、自分だって持っている。
高杉は元来負けず嫌いな性格である。
負けを待つだけのゲームに参加して何の意義があるというのか。それでは高杉はもちろん土方もきっと退屈だ。恐らく今まで全戦全勝を重ねてきたのだろう『いじめられっこ』を完膚なきまで叩きのめしてやるのも一興だと思った。
いや、欲をいえば本当は辛勝するのがいい。惜敗させる形こそ理想だ。惜敗こそ相手に強く悔恨の念を抱かせることができる。高杉もたぶん土方も、強大な力で虫けらを蹴散らしていく優越感より、実力の拮抗したゲームで臨場感を感じる方が好きだから。

証拠に土方が「ヤってみろよ」だなんて二重の意味で言って凶悪に笑う。その笑みにつられて高まる興奮に胸が踊ったことは彼にはまだ秘密だ。敵に与える情報は少なければ少ない方が有利なんてことは、今時ガキでも知っている。
第一これはもう『腕相撲』なんてもんじゃない。
これから始まるのは青臭くて、だけど背徳的な、もしかしたら人生すら賭けたチカラクラベなのだ。
どちらが先に相手に堕ちるか、はたまた第三者に奪われるか。なんにせよ高杉は負けるつもりなど微塵もなかった。

互いの間で握り合った、まだまだ子供の面影を残す細い手にギシッと力をこめたのは、果たしてどちらが先だったのか。握り潰そうという意図を隠しもしない握力と痛みに、そもそも自分たちが『何』をしている途中だったか、ふと思い出した。
眼帯に覆われていない方の眼で土方を盗み見ると、どうやらまだ『うっかりしている』らしい彼は、高杉の視線に対して挑発するように笑うだけだった。
だからこちらもククッと喉を鳴らして、そして右手を内側に思い切り倒した。
バァンッと甲が机とぶつかる音が響いて、土方が目を丸くする。必然的に彼の腕は外側に倒れていて。

「初戦は俺の勝ちだな」

心底悔しそうな顔を見せた土方に、可愛いななんて思ってしまったのも、まだ当分は秘密だった。




12腕相撲
(おさないぼくたちはまだしょうりのいみをしらない)


 ̄ ̄
最初は弱気で純朴ないじめられっこ(実は美人)に惚れちゃうプライドの高い不良のドタバタコメディのはずが某歌い手さんの吉/原/ラ/メ/ン/トを聴きながら書いてたらこうなった(^^;



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