「あの、えっと…松陽さん?」

「はい」

「ごはん、ありがとうございました」

ぽそぽそと呟くように感謝を述べると、包み込むような柔らかい笑顔が返ってくる。すでに顔は笑んでいるのに、そこから更に笑うことか出来る松陽は不思議な人だ。纏う空気ででも『笑顔』を表現しているのか。
そしてそれは、初めに見たときも思ったが、為五郎と同じ空気だ。

「まぁ、なんたって先生の料理は天下一品だからなァ」

「晋ちゃんコレ白米よそって小鉢に漬物乗せてきただけだからね。コレを天下一品とか言えるなら銀さんも天下一品になれるからね」

「せんせー天パが先生の悪口言ってまーす」

「あ、てめっ! せんせー晋助がきょぎしんこくしてきまーす」

何故か己のことのように松陽の料理を自慢する晋助と、虚偽申告の意味が分かってそうで分かってなさそうな発音のし方をした銀時がまた言い争いを始める。その光景は相変わらず十四郎には奇妙なものに思える。
しかし、てっきり先程のようにすぐさま諌めるだろうと思っていた松陽は、慣れているのか、話題の中心にいるというのに互いに告げ口し合うふたりを愛おしそうに眺めているだけだ。彼の中で、叱るべきときと、見守るべきときと、明確な線引きが存在するらしい。

「銀時、晋助、少し静かにしてなさい。十四郎くんと話せないでしょう」

「そーだぞ静かにしてろ銀時」

「てめえこそ静かにしてろ馬鹿杉」

少しおとなしくなったが、往生際悪く互いに肘で押し合い続ける教え子に、松陽は呆れたように軽い溜め息をつく。そして、こちらに向かって苦笑を見せた。困っているようでいて愛しさの滲むその表情に、なんと反応してよいか分からなくて、十四郎はただ視線を泳がした。
だって、そんな表情は知らない。相手を困らせたら、煩わしい子だと疎まれて嫌われて終わりではないのか。だから自分はいつだって――母も長兄も――煩わせないように必死だった。
それともこれが、メカケのコとホンサイのコとの違いなのだろうか。いや、いっそ誰かそうだと言って欲しい。そうならまだ救われる。
『―――…』
不意に昨日の悪夢がフラッシュバックしそうになって、十四郎は慌てて頭(かぶり)を振った。3方向から訝しげな視線を感じたが、取り繕う余裕はない。
燃える火焔。
流れる鮮血。
転がる目玉。
怯える視線。
そして、震える唇から吐き出された――…

「十四郎くん?」

「…何でもないです」

明らかに何でもないことなさそうな掠れた声になってしまったが、やはり松陽はそれ以上聞き出そうとはしなかった。
その代わり、話題を変えるようなさらりとした調子で、「では、しばらくここに居ますか?」と訊いた。

「は?」

あまりにも気軽に言われた言葉に、十四郎は上手く意図を飲み込めず戸惑った。これは、例えば、少しひとりっきりになるか、という意味にも、体力が回復するまでこの部屋にいてもよい、という意味にも取れる。
そして……。
もうひとつの可能性が頭に浮かんで、十四郎は慌ててその考えを否定した。それはひどく図々しい考えで、また恐怖を抱かせる可能性だ。
しかし、松陽はそれらを無視して朗らかに笑うのだ。

「まぁここに住むなら、皆と同じように勉強をしてもらいますし、家事を手伝ってもらいますけどね」

嗚呼、やはりそういう意味だったのだ。恐ろしい提案に条件反射のように背筋が凍る。
十四郎に帰る家がないと感じ取ったのだろう。松陽としては良かれと思って言ってくれたに違いない。
だが、この身に宿る狂気が怖くて家を飛び出してきたのに、また他人と暮らすことになれば意味がなかった。いつか彼らを傷付けてしまうかも知れないと、松陽にどこか為五郎と似た雰囲気を感じては、余計に恐ろしく思った。

「あ…のッッ、おれは……!」

「私が約束します。ここは『だいじょうぶ』です」

きっぱりとした口調で松陽が言い放つ。その表情は十四郎の躊躇いにも微塵もぶれずに笑顔のままで。
反論は、出来なかった。
この人は自分の『なに』も知らない。
でもこの人はどこまでもツヨイのだ。少々の困難も笑って乗り越えていってしまえるくらい。
安堵で泣いてしまいそうになった。泣きはしないけれど、思わず。
彼の言葉は柔らかくて、しかし確固たる自信に満ち溢れていて、何故か無条件にホントウだと思わせる力を持っていた。それは、彼が言えば黒も白になるという類のことではなく、彼が白と言えばそれは真実白なのだと、嘘偽りはないのだと、信じられる空気を纏っているのだ。

不安だった。
独りになるのは嫌なのに、独りで生きなければならないのが、どうしようもなく。
これから先が、暗鬱とした将来が、怖くて怖くて堪らなかった。
――でも、
それでも、この人が『だいじょうぶ』だと笑うならば、この血まみれの手でももう一度、誰かの手を取っていいのだろうか。その手がこの人のものならば、――母のように――兄のように――手離さなければならないときなど来ないですむのだろうか。
信用してもいいのか、とは思わない。別に他人すべてを疑って生きているわけではない。
信頼してもいいのか、と思う。厄災に憑りつかれたメカケのコが頼っても、彼は――彼らは――損なわれないと信じてしまっていいのか、と。

「頼むとしたら晋助と同じ、外周りの掃き掃除ですかねぇ」

「はぁ!? 先生それ俺の仕事だろ!?」

「はいはーい! じゃあ俺のやってる竹刀の手入れの手伝いで……」

「そうすると銀時、君がこれ幸いとサボるでしょうが。その点晋助ならまじめですし、ひとりでさせるには掃除の範囲が広いと常々思っていましたしね」

「ひとりで出来るっつーの! こんな貧弱そうなやついらねー!」

ぎゃいぎゃい騒ぐふたりの悪がきを他所に、松陽の中では掃き掃除が決定事項であるらしい。「相棒になんてこと言うんですか」と――恐らく掃除のパートナーという意味だろう――どことなく先走った叱り方で晋助の暴言を諌めている。
嗚呼、信じてしまっていいのだ。
その傲慢にも譲歩にも優しさにも似た彼の強引さに、自然とそう思わされた。

「……というわけで、いいですか? 十四郎くんは」

「え、あ、はい」

勢いにのまれて思わず頷いてしまったが、対する松陽は言質を取ったとばかりに満足げな表情だ。ならばまぁいいか、と諦めた調子で苦笑する十四郎である。
これも彼の持つ力なのか、彼の差し出す提案は決して間違っていないように……いや、悪い方に転がらないように思えるのだ。
十四郎の苦笑を目敏く見つけた銀時が、「オメー笑うとかわいいな」なんて冗談交じりにくすぐってくるのには参ったが。

「よろしくお願いします」

銀時によるくすぐりの猛攻のせいで半ば抱きしめられる体勢になりながら、十四郎は頭を下げた。

「こちらこそ」

「よろしくな、とーしろー」

丁寧に頭を下げ返してくれた松陽と、屈託なく答えてくれた銀時に、今度こそ苦笑でも無理やりでもない心からの笑みを綻ばせる。それは十四郎が土方家を飛び出してきてから初めて浮かべた笑みだった。
とはいえ、ひとり面白くなさそうに膨れている晋助が、気になっていないわけではなかった。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -