2.


早朝、私塾の前を掃き掃除するのが晋助の日課だった。ここの塾生は必ず何かしら――配膳だったり花の水やりだったり――自分が担当する仕事をひとつないしふたつ持っている。
由緒正しき武家の長男で、蝶よ花よと育てられてきた晋助は、素直に家事の手伝いなどする性格ではなかったが、唯一尊敬する師である松陽に頼まれたら断れるはずもない。それどころか、綺麗に掃けましたね、と優しく頭を撫でてもらえるのだから、密かにこの仕事が大好きだった。
だから今日も、同年代の小太郎が年寄りくさくラジオ体操をし、銀時がまだ惰眠を貪る中、こうして箒を片手に私塾の門を出たのだ。

「…って、なんだこいつ」

ところが、そこには見るからに怪しげな子供がひとり行き倒れていた。
薄緑色の生地に紅葉をあつらえた着物は上等品に見えたが、あちこち破れていて正確な判断は下せない。足は泥と血にまみれて草履が片方脱げていて、青白く貧弱そうな肢体は擦り傷と切り傷に覆われ、黒々とした髪は――泥か血か――ところどころパリパリと固まっていた。
生きているのか死んでいるのかよく分からない状態だったが、そのまま放置するのも忍びない。
むやみやたらと犬や猫を拾ってきては、松陽にどやされることの多かった晋助だが、傷付いた小鳥を連れ帰ったときだけは何も言われなかったよな、と幾分ずれた結論に達する。

「チッ、今日はいつもの時間までに掃除終われねェじゃねーか」

ぶつぶつと悪態をつきながら、門の横に箒を立て掛けると、自分より幾らか小さい身体を担いで松陽の部屋へと向かった。



 *



「晋ちゃんが女連れ込んだってホントか!?」

「銀時、静かになさい。そしてそんな言い方をするもんじゃありません」

バッシーン! と、凄まじい勢いで部屋に飛び込んできた銀時は、松陽からふわふわの銀髪にげんこつを食らった。
その様子を、ざまぁみろとせせ笑うのは、未だ眠り続ける『女』とやらに付きっきりの晋助だ。誰から聞いたか知らないが、この腐れ縁の銀色は中途半端に間違った情報を手に入れたらしい。連れ込んだのではなく保護したのだ。
そして、目の前で布団に横たわるこの子供が、女のように白くて華奢で綺麗なのは確かなのだが…

「おい銀時ィ。こいつ男だぜ」

「えぇ!? オメー幾らチビでもてねェからって男に走ったら目もあてらんねェよ」

「よし表出ろや、腐れモジャ白髪。今日こそテメーを灰にしてやる。髪の毛以外も真っ白に燃え尽きさせてやる。リングの上で安らかな死に顔さらして逝け」

「はっ、どうせ返り討ちにあうのが富士の山だぜ低杉くんよ。それとこれは白髪じゃなくて銀髪ですぅ。つかテメー早く明日●ジョー5巻返せよ」

「関の山だろクルクルパー。てめえが俺に6巻渡せば返してやらァ」

低レベルな言い争いを始めたふたりの塾生を、松陽は微笑ましくも呆れた思いで見守る。どうせ止めても、この場がおさまるだけで直ぐ様別の理由で喧嘩を始めるのだ。
それに、子供の喧嘩は相手との距離を掴むいい練習になる。今のうちにたくさんたくさん喧嘩して、どんなときに相手が怒るのか、どうすれば仲直り出来るのか、たくさんたくさん学べばいい。
さて、今はそんなことよりも晋助の拾ってきた少年をどうするかだ。

「う…」

そのとき、ぎゃあぎゃあ騒ぐふたりの罵声に混ざり、か細い呻き声がした。
それに目敏く気付いた晋助は、喧嘩を切り上げ――というか放置して――再び少年の傍へと寄っていく。

「先生!」

「えぇ」

晋助の呼び掛けに頷いて、松陽はぺちっと少年の頬を軽く叩いた。いや、触れた、といった方が近いかも知れない。
少年は、もう一度「うう…」と呻いて、ゆっくりと目を開く。漆黒というに相応しい髪とは対照的な薄い虹彩が現れて、晋助はハッと息を飲んだ。蒼っぽい灰色の双眸は、宝石のようにキラキラしていて綺麗だった。

「気が付きましたか?」

目覚めたらいきなり見知らぬ場所だった不安からか、きょろきょろ忙しなく視線を動かした少年に、松陽はふわりと微笑んで尋ねた。
大きな瞳は、その柔らかな笑顔を認め、めいいっぱい見開かれたあと、何故かすぐに落胆したように伏せられた。そして再び松陽に視線を向けて、次いで晋助を見て、最後に銀時を見て、そこで止まった。
視線を自分に固定された銀時は、困ったようにグシャッと髪を引っ掻き回してから「珍しい?」と、銀糸を摘まみながら訊いた。
間髪を入れずに、こくんと小さい首肯が返される。

「あ、あー…、うんまぁ、そりゃそうか。あ、えっと俺は銀時ね。銀色だから銀時。オメーは?」

「と、十四郎…」

「ふぅん、よろしく十四郎」

基本的に人懐っこい、というか萎縮しない銀時が、自分の銀髪に興味を持たれたのをきっかけに、率先して十四郎へと近付く。すぃ、とごく自然に差し出された握手のための手に、しかし十四郎は「ひっ」と怯えて身を引いた。
それは予想外の反応で、銀時はうつむく十四郎の顔を覗き込んだ。前髪で隠れた目と視線を合わせようと、手を差し入れたところで、バシリと十四郎の白い手に叩き落とされる。

「俺に触んな!」

ガチガチと歯を鳴らして己を抱き締める十四郎が発した悲鳴に、銀時の顔から表情が消える。

「何、俺が怖いの?」

さっきまでとは全然違う、ぞっとするほど冷えた声で、銀時は嘲笑した。こういった反応には慣れているつもりだったが、松陽に拾われ、他の塾生たちにも受け入れられていたものだから、久しく忘れていたのかもしれない。
銀髪だから? 鬼だとでも思った? とって食われるかもーとか?
今度は自嘲も加えて、そう続けようとした彼を遮ったのは晋助だった。

「銀時は馬鹿だがいいやつだ。外見で判断すんな」

きっぱりと言い放つ。曲がったことが嫌いで、仲間想いの晋助らしい言葉だ。
激昂したわけでもない静かな口調に気圧されたのか、十四郎はびくっと身体をすくませた。そして、2、3度まばたきをしたあと何かに気付いたように息を飲み、痛そうに顔を歪ませながら「ごめんなさい…」と蚊の鳴くような声で謝った。
そこまで強い意味で言ったわけではなかった晋助は、今にも泣き出しそうな十四郎に逆に焦った。銀時が誤解されてムカついたということでもなく、単に外見で判断するのは良くないと思い、外見で判断されたことに幼なじみが傷付いていたから、間違いを正すつもりで言っただけなのだ。もしや口調がキツかったかと申し訳ない気持ちになる。
それは銀時も同じだったのか、「まぁ俺ァ慣れてっから」とぼそぼそとフォローを入れていた。
それでも十四郎は、ひどく後悔した様子で謝罪の言葉を止めようとしなかった。ふるふると必死に首を振る仕草はまるで小動物か何かだ。もしこの場に短刀があれば、後悔のままに切腹でも図りそうに見えた。

「先生ぇ…」

たまりかねて、松陽に助けを求めたのは晋助だった。甘やかされて育った彼は、自分の思い通りにならない事態にとても弱い。
目に見えておろおろし始めた教え子の求めに笑いをひとつこぼすと、松陽は十四郎に向き直った。青みがかった双眸を真っ直ぐ見詰めると、血の気をなくした小さな唇がきゅぅと引き結ばれた。必然的に謝罪は止み、感心した晋助がきらきらした目を向けてくるが、それは根本的な解決ではない。
完全に怯えてしまっている十四郎に、どうしたものかと思案していると、ふと気になることがあった。自分を守るというより、押さえつけるように自身を掻き抱く彼のその仕草だ。

「…もしかして、君が嫌がったのは銀時に触れられることではないのですか?」

ゆっくりと問いかけると、重苦しい沈黙だけが返ってくる。
それを肯定と見取った松陽は、少し考えてから口を開く。

「君が嫌がったのは誰かが『自分に』触れることですね? それを誤解され銀時を傷付けてしまった君は、だから銀時の慰めも聞かずひたすら謝った。違いますか?」

「…ごめんなさい」

「謝って欲しいわけじゃありませんよ。ふたりの早とちりにも非がありますから」

やはり、幾ら銀時たちが弁解しても謝罪を止めなかったのは、その弁解が的外れだったからなのだ。思えば、最初に銀髪を認めたとき、この少年の瞳に嫌悪の色はなかった。
傍らの悪ガキふたりの頭を冗談めかして小突けば「「俺ァ悪くねェ!」」とピタリと息のあった反論が返る。

「つか泣かせたの晋助だし!」

「はぁ!? 俺ァテメーを庇っただけじゃねェか! 最初に誤解したテメーが悪いに決まってんだろうがこのパー!」

「んだとチービ!」

「誰がミジンコドチビだァァァ!」

「お前そのちょいちょい他の漫画のネタ持ち込むのやめてくんない!? 確かにお前もエドもチビだけどね! でも向こうは錬金術使えるだけテメーよりスペック上だからね!」

「てめえだって使えねェだろが! パーだから」

「ふたりとも、いい加減にしなさい!」

今はそんな場合ではないだろうに、あっという間に収拾がつかなくなりつつあった罵り合いを、ぴしゃりとした叱咤が諫める。
十四郎は、これまた双子のように同じタイミングで、ぶぅと頬を膨らませるやんちゃ坊主を、ぽかーんと見詰めた。怒鳴り合いながらも仲の良い状態というのが信じられないのだ。
だって自分は嫌われていたから罵られてばかりで…。
普通、相手が嫌いだから悪口を言うのではないだろうか、と疑問を抱いたところで、ぐぅぅぅとベタな音が響き渡った。
パッと3人の顔が十四郎に集まる。

「あ…いや、これは俺じゃなくて…」

昨日から何も食べていないが腹は減っていない。鳴った自覚は全くなかったが、確かに本人以外からしてみれば、行き倒れていた人間の腹が鳴ったと考えるのが普通だろう。
しかし、それでも違うのだ、と。羞恥で真っ赤に染まった顔で、しどろもどろ弁明していると、不意に銀髪の少年がヘラリと笑いながら手を挙げた。

「悪ィ、俺だわ」

「「「お前かよ!」」」

今さらっと俺が鳴らしたことにしようとしてたよなこいつ!?
土方十四郎、人生初のツッコミは、銀色のちゃらんぽらんに対する綺麗にハモった三重奏だった。



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