「さぼるな総悟ォォォ!」

カラリと晴れた空に、土方の怒声が響き渡る。現在、真選組屯所は大掃除の真っ最中であった。

曰く、田舎の芋侍と揶揄されないよう清潔にすべきだ。
曰く、不衛生は男所帯のむさ苦しさを助長させる。
曰く、っていうかお妙さんは綺麗好きのイクメンが好きらしい。
そんなことを、朝からキラキラした瞳で延々訴えられては、近藤に大概甘い土方が無下に出来るはずもない。始末書の期限が迫ってるんだがなぁ、と谷より深い溜め息を吐きながらも、結局、見廻りと門番を除いた隊士総出で、時期外れの大掃除を決行することを認めたのだった。

しかし、普段から当番制で掃除をしている屯所は、意外と目立った汚れも少なく――トイレは悲惨だったが――、この調子なら午前中の内に掃除を終えることが出来そうである。汚れが酷い一部の場所以外は、隊士たちもサボらず楽しそうに床を掃いたり雑巾がけをしたりしている。
そもそもここの人間は、身体を動かすことが好きな馬鹿共なのだ。変に時間が空いてデスクワークをやらされるよりは遥かにマシなのだろう。
まぁそれでも相変わらずこいつはサボるんだがな、と土方は縁側に寝そべる沖田を睨み付けた。人をおちょくったようなアイマスクが癇に障る。

「こんの…起きやがれ総悟ォォォ! もしくはそのまま死ねェェェ!」

呼び掛けても一向に起きない沖田に、とうとうキレた土方は、抜刀して思いっきり降り下ろした。
勿論、本当に殺すつもりなんてない。案の定沖田は首を僅かに反らして刃を避けた。

「なんでィ土方さんか。うるせェな何イライラしてやがんでィ。あの日?」

「誰があの日だコラァァァ! 掃除しろっつってんだよ!」

俺ァ男だ! と。聞き捨てならないことを言われ、更にギャンギャン吼えてやれば、露骨に嫌そうな顔をされたあと、「分かりやした」と、存外素直な言葉が返ってきた。
沖田が土方に唯々諾々と従うなどあり得ない。裏がある、と直感したところで、ニタリと笑ったドS王子に先手を打たれた。

「じゃあ土方さんの部屋を掃除してきてあげやす」

「ちょっと待てェェェェ!」

爽やかなどす黒い笑顔で宣言された台詞に、土方は瞳孔をいつもの5倍増しにかっ開けた。
こんなドS王子に自室を弄らすなど冗談にしてもタチが悪い。いや、冗談にすらならない。掃除が終わって見てみれば、部屋が余計汚くなっていました程度ならまだいい。下手をすると、副長室そのものがなくなってしまうかもしれない。
ここで、大袈裟なくらいはっきりと拒絶しておかなければ、取り返しのつかないことになるだろう。土方は自分より若干低い位置で揺れる亜麻色の髪を睨め付けた。曖昧な受け答えをしては、たちまち言質をとられてしまう。
許可もまだしていないと言うのに、そそくさと副長室に向かおうとする沖田の襟首に手を伸ばす。が、それは寸での所でゴツい腕に阻まれた。

「え、近藤さん?」

伸ばした手首を掴む、自分のそれよりひとまわり以上太い男らしい腕。それは、土方が見間違えるはずもない近藤の腕だった。
離してくれという意味を込めて、掴まれた部分を軽く捩るも、その大きく温かい手が拘束を緩める気配はない。
土方は少し瞠目した。何故、近藤が自分の邪魔をするのか分からない。沖田の日頃の行いを思い起こせば、毎回被害をこうむっているのは明らかにこちらなのだ。土方を庇いこそすれ、沖田を擁護する理由がどこにあるというのか。

「済まないトシ、だがこうするとお妙さんとの結婚が早まるらしくt…」

「あんた総悟に一体何を拭き込まれたんだァァァァァ!?」

告げられた、あんまりと言えばあんまりな回答に、感じた頭痛は勘違いではないだろう。
その一方で沖田は、土方が頭の弱いゴリラに気をとられている隙に、スルリと副長室に潜り込んでいた。
ドグシャワァァァンッ! と、どう考えても掃除の音とは異なる破壊音が聞こえてきて、部屋をドS王子に襲撃されたことに気付く。明らかに何かを壊した音だった。
土方は真っ青になって近藤を振り払い、副長室に飛び込んだ。そこには重要書類は当然のこと、普段から屯所で寝泊まりをするゆえに個人的な私物もたくさん置いてあるのだ。サディスティック星の王子の餌食になっては、堪ったものではない。
それに、見られては困るものも、ある。

「テメー総悟!」

部屋の惨状はある程度予想通りだった。
先ほどの音は沖田愛用のバズーカのものだったのだろう、畳や襖のあちこちが黒焦げになり、ぷすぷすと煙を上げている。それでも、上に提出しなければならない書類だけは無傷で残っているのは、一応気を使ってもらったのか何なのか。
どちらにせよ、掃除どころか逆に散らかったことに変わりはない。
どうせ反省しはしないだろうけど、せめて盛大に叱りつけてやろうと、肺いっぱい空気を吸い込んだ。しかし、それを吐き出そうとしたところで、タイミングを同じくして沖田が「土方さん」と、こちらの顔を覗き込んでくる。出鼻を挫かれて、ぐぅと息が詰まった。

「これァ何でさぁ?」

ずぃ、と目の前に突き付けられたのは、1冊の綴じ本だった。何度も何度も読み返したために手垢でぼろぼろになり、深緑の表紙はしわくちゃで柔らかく、随所に開き癖がついている。
どうしてこいつは、こう土方を追い詰めることにかけては鼻がきくのだろう。思わず舌打ちをしたい気分になった。

「…昔、寺子屋で使ってた教本だ」

「へぇあんた寺子屋なんて行ってたんですかィ」

とんだお坊っちゃまじゃねェか、と揶揄もあらわに嗤われる。
そんなお上品な柄でもないくせに。自分自身そう思うが、喧嘩師まがいのことをして放浪していた頃に出会った沖田は、余計そう思うのだろう。

「俺の実家は豪農だ」

寺子屋に通った経緯と実家が豪農だったことに、実は直接的な関係はない。その上、妾の子として腫れ物のような扱いを受けたあの家を『実家』と呼ぶことにも抵抗があった。
それでも、寺子屋に通うこととなった経緯にあまり突っ込まれたくなくて、何でもないことのように鼻を鳴らして見せた。多少口調に苦々しい響きが混ざってしまったのは、この際仕方がない。

「でもこの教本の内容って、あれですよねィ」

笑みを貼り付けたまま、沖田は視線を外そうとしない。その笑みは、どこかいつもと違う、奇妙なものに感じた。
なるほど、彼は本の中身を見たのだ。無駄に行動の速いやつだと思う。


「「尊皇攘夷論」」


どうせなら言われる前に言ってやろうと口にした真実は、奇しくも沖田の台詞と重なった。

「といっても、天人の技術力は認めるべきだとか、藩を越えて団結すべきだとか、単なる攘夷論以上のことが書いてありやすけどねィ」

「早ェな、もうそんなに読んだのかよ」

「馬鹿にしないでくだせェ。こんなガキ用の教科書ぐれぇ楽勝でさァ」

見くびられていたようで気に入らないのか、ぎゅっと眉をひそめる表情は、かつて彼の姉が喧嘩をして帰ってきた自分を見る表情にそっくりだと思った。
彼女は、苛立ちと焦燥を晴らすためだけの喧嘩を、快く感じてはいなかった。女の身でありながら、当時の自分などよりずっと武士の戦いというものを理解していた。

「で、結局これは何でィ」

「……別に、ガキの頃学んだことが、そっくりそのまま今の思想に反映されるわけでもねェだろ」

言い訳がましく呟いて、沖田の手から教本を引ったくる。少々乱暴だが、ぶっきらぼうな土方にとっては、たいして不自然でもない動作だ。
例え、幼い頃、真選組副長が攘夷論を学んでいたとしても、現在攘夷思想を持っていなければ何の問題もない。土方が攘夷派に傾いていないことは、これまでの功績からして火を見るより明らかなのだ。
そもそも元攘夷志士でさえ、現在活動していなければ捕縛の対象にはならない。
沖田はしばらく土方の抱える教本を見詰めていたが、やがて「それもそうですねィ」と肩をすくめた。

「土方さん弄りにも飽きたんで、1番隊の様子を見てきやす。いたいけな部下を虐げる横暴上司に、きったねェトイレ掃除押し付けられた可哀想な俺の隊を励まさなきゃなんねェんでさァ」

「割り振りは公平なくじ引きだっただろうが! つか今の今までサボってたやつの言い種かそれ!?」

「じゃあ副長室の掃除頑張ってくだせェ。アディオス!」

「アディオス! じゃねェよ、テメーが片付けろゴルァァァ!」

咄嗟に、傍に転がっていた文鎮を投げつけるが、当たる前に標的は部屋の外へと消える。目標を失った文鎮はドグッと鈍い音を立てて壁にぶつかったあと、ボゴンとこれまた鈍い音を立てて焦げた畳の上に着地した。しまった、へこんだ壁と畳を直すのはやはり自分なのだ。自業自得という言葉が浮かんで、こちらこそがへこんだ。
溜め息をつきつつ、ふと視線を手の中の教本へと落とす。
教本の内容――というよりは、それに関する土方の想い――に興味を示していた沖田が、割りとあっさり去っていったのは、何も土方の言い分に納得したからではないだろう。おそらく、これ以上尋ねても教えてくれないと、あの妙に気付きのよい青年は悟ったのだ。
そして、それは概ね正解だった。

「教えられるわけ、ねェだろうが…」

瞼を閉じれば、生き場を再び与えてくれた温かい笑顔と、行き場を示してくれた力強い翡翠の双眸が蘇る。
焦げた部屋の真ん中で、土方は守れなかった約束に想いを馳せた。



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