その日の来神高校は珍しく、机は宙を飛ばず、ナイフは振り回されない『平和』な午後を迎えていた。
夏の日射しを遮るものがない屋上での昼食はなかなかキツイものがあったが、それでも新羅が室内に入らないのは、午前中までの天敵との喧嘩で、体力を使いきってしまった静雄がここにいるからだ。ふわふわの金髪を揺らしながら、立ち上がるのも億劫そうに、渇いた喉を潤すかのように紙パックの牛乳をキュイキュイと飲んでいる。いつも彼と共に昼食をとっているから、暑いからといって自分だけ室内には避難しづらい。
現在、屋上にいるメンバーは新羅と静雄と、その天敵と、そして門田の合計4人だけだ。他の生徒は静雄と臨也がここで喧嘩をしていたとき既に退避をしている。二人が揃っていても物怖じしない図太い神経を持つ生徒は、この学校では新羅と門田ぐらいしかいないのだ。

「なんだか貸し切りみたいだね」

ぐるりと辺りを見回しながら、新羅がそんな暢気な感想を漏らしたのは、やはりどこまでもマイペースな性質ゆえだろう。
愛妻弁当だ、と自慢する昼食は見た目は完璧だが味は独創的……つまり深い愛を持ってしてでなければ食べられたものではない。この屋上にいる全員の周知の事実だ。恋は盲舌であるとは臨也の言。

「やだなぁ新羅、こんなんじゃ貸し切りなんて言えないよ」

ケタケタと揶揄を多分に含めた笑いを見せたのは、その臨也だった。夏だというのに真っ黒な学ランを着込む男のこだわりは全く理解出来ない。
それを言うなら愛しの彼女も年中無休でライダースーツなのだが、彼女は人外だ。それ以前に、彼女の豊満なボディにぴったりとしたライダースーツはたいそう似合っているのだから、新羅にとって何一つ問題はなかった。

「じゃあ君は一体どういう状況だったら『貸し切り』だと思うんだい?」

軽い口調で尋ねてみると、瞳だけを赤く光らす真っ黒な少年もまた軽く返してくる。

「それはやっぱり、愛するシズちゃんとふたりっきり、とかさ」

「ぶごふぅ!」

「あーもう、汚いなぁシズちゃん」

牛乳を噴き出した静雄を、「白濁まみれー」と、年相応の無邪気な表情でからかう臨也は、一見爽やかな好青年に見える。しかし残念ながらギラギラと慾の滲んだ赤の双珠が全てを裏切っていた。
しまった、と新羅は思った。隣に視線を向ければ、門田も同じことを思っているようだ。不味い、という顔をしている。

「あ、あー臨也? そろそろ教室戻らねェと午後の授業始まっちまうぞ?」

「ねぇドタチン。授業ってさ、シズちゃんを愛でることより大切なのかな?」

「……………」

惚気話が始まってしまう予感を感じ取った門田が、なんとか臨也の意識をそらそうとした作戦は失敗に終わったらしい。こう言われてしまっては門田は反論出来ない。
勿論それは、門田も授業より静雄を愛でる方がずっと有意義なことだと思っているから、ではない。目の前の変態ではあるまいし、そんなわけがない。単に、真顔で言い切られたため、これ以上の説得は不可能だと経験上悟ったからだ、と新羅は結論付ける。
新羅も、門田の微妙な表情の変化からここまでのことを読み取れるくらいには、この状況に慣れきっているのだ。別に慣れたくもなかったが。

「ドタチン、それと新羅も。ほら考えてみなよ、目の前でシズちゃんが白濁にまみれてる。そんな神様マジあざーっすなシチュエーションを放棄してまで、漸化式と数学的帰納法は学ぶ価値があるものかな?」

「悪い臨也。何言ってるか分からねェ」

「っていうか分かりたくないよね」

いっそニヤニヤ変態的な笑みを浮かべながら語ってくれたら良いものを、臨也は極めて真面目に真面目に、まるで世の中の真理を口にするときのように真剣に話す。
これが臨也の惚気が嫌がられる一因だ。聞いているこちらの頭が狂ってくる。
他の要因は内容が気持ち悪いとか内容が気持ち悪いとか内容が気持ち悪いとか、そんなところだろう。

「もう、ドタチンも新羅も冷めてるよね。シズちゃんだよシズちゃん、erotic sweet lovely angelシズちゃんが白濁まみれなんだよ? これは興奮しとかないと男として駄目だよねぇ」

「文法めちゃくちゃなのに無駄に発音良いとか苛つくね門田くん」

「つーか、牛乳を白濁って言ってるのをそろそろ誰か止めてやれ」

ため息混じりの門田の言葉に、新羅は「僕は嫌だよ」と、同じくため息混じりで返した。
門田としては、正論を言ったつもりなのだろう。しかし新羅としては、じゃあそれ誰が言うのさ、という心境だ。たぶんそんなことを言えば、臨也は小一時間くらい牛乳と白濁とそれにまつわる静雄のエロスについて演説し出すことだろう。全力で勘弁願いたい。
…だというのに、とっくにスイッチが入っていたらしい臨也は、訊いてもいないのに、「そういえば、白濁と言えばやっぱり昨日のシズちゃんとの教室エッチを思い出すかな」とか何とか語り出した。なんだこいつ、と本気で神経を疑った。

「嫌だ嫌だ人が来ちまうってワンワン泣きながらさ、でもぎゅうぎゅう締め付けてきてこいつホントに止める気あんの? とか思っちゃって。まぁシズちゃんの嫌だはイイって意味だからね、分かってるけどね。俺は誰よりシズちゃんのこと理解してるから。俺は誰よりシズちゃんのこと理解してるから! ここ重要。それで、最終的にシズちゃんはトんじゃったのか大声で喘いで臨也もっとぉ…とかおねだりするもんだから逆に俺の方が誰かにバレないかひやひやしちゃったよ。嗚呼、勿論俺はシズちゃんと教室エッチしてることを知られようが広められようが痛くも痒くもない寧ろ虫除けになるから大歓迎ってぐらいなんだけど、ヤってる最中のシズちゃんってほら、もう最終兵器だからそれを他の奴に見られちゃうのはちょっとねぇ。虫除けは歓迎だけど虫が増えたら本末転倒じゃないか。だからそう思って早めにフィニッシュを決めようとラストスパートしたんだ、シズちゃんのために(強調)。なのに最後の最後臨也いっきまーす! な瞬間目が覚めちゃってさ、ホントあれは惜しいことしたなぁ。というワケで、今日は朝から目覚まし時計に殺意覚えるとか貴重な体験をさせてもらったよ」

「夢オチかよ!?」

「落ち着いて門田くん! 冷静に考えて静雄が臨也とどうこうなるワケないじゃないか。よってこれは冒頭から既に臨也の妄想だってバレバレだよ」

「夢オチでも妄想でもないよ。夢でシズちゃんとヤったっていう純然たる現実の出来事さ」

「だから夢っていうのが……あぁもういいや! 面倒臭い!」

新羅はなんだか酷い頭痛を感じて、頭を抱えつつ踞った。
これ絶対静雄怒ってるだろうなぁ、と思い、ちらりと視線を横に向けると、そこには怒りを通り越してドン引きしている静雄がいた。
うん、まぁ当然だよね、と同情した。

「……おいノミ蟲。それ以上ほざいたら捻り磨り潰し殺す」

声は多分に怯えていたが、なんとか怒りのようなものを込めて静雄が睨みを効かせた。いや、効いていなかったが。

「へぇ、捻り磨り潰し殺すってどんなのかな?」

余裕たっぷりに臨也はクツクツと嗤う。

「そこは単純に殺すでいいだろ? 痛そうな単語並べたってそれじゃあ逆に滑稽なだけだよ。あぁそれともあれかな? 単純なだけの『殺す』は言いたくなかったのかな? 先週の日曜日シズちゃん散々ベッドで言ってたもんね、あんあん言う代わりにずっと殺す殺すって。あれは流石の俺も萎えるかと思ったよ、って俺がシズちゃんとヤってて萎えるとか有り得ないんだけどね。まぁあれだけ殺すって言ってたらそりゃあ思い出しちゃうから言いたくないかぁ、シズちゃん照れ屋だし。っていうかそもそも恋人との同意しかも初エッチなのに殺すとか酷くない!? あ、なんか思い出したら泣けてきた」

一体どこからスイッチが再び入ってしまったのか、またもやベラベラ卑猥な妄想を垂れ流す臨也は、相当気持ち悪かった。
新羅は、愛するセルティが作った弁当の中身を危うく胃からリバースするところだった。愛の力で耐えた。購買のパンで、愛の力などなかった門田はリバースした。
それにしても、これは本気で静雄キレるのではないだろうか、と懸念する。
そうなる前に避難しなければ、と様子を窺うと、静雄は可哀想なくらい顔を真っ赤に染め上げていた。

「「…………え"?」」

思わず奇妙な声が、新羅と門田から漏れたのも、無理からぬことだったろう。
だってこれは怒りで頭に血が上っているというより寧ろ……。




「〜〜〜っっ! 人前で暴露するとかマジ死ねノミ蟲ヤローがァァァァァァ!」


バッと勢い良く立ち上がった静雄は、そのままくるりと背を向けて、耳まで赤く色づかせたまま新羅達の視線から逃げるように屋上から飛び降りた。たぶん大丈夫だろうが。
校庭から「きゃー! 人が降ってきたー!」だの、「平和島が自殺を謀ったー!」だの聞こえてくるが、大丈夫といったら大丈夫だ。
そんなことよりも、自分達は今とんでもない真実を知らされたのではなかろうか。

「…………つまり、こっちは本当にあった怖い話ってこと?」

まさか臨也の惚気話を止められなかったがゆえに、こんな真実を発掘してしまうとは、人生とは恐ろしいものである。静雄と臨也が、だなんて、今年1番のホラーだ。夏の日射しが緩和され、背筋にぞくりと悪寒が走った。まさしく怪談効果だ。
新羅の問いに答えるように、キーンコーンカーンコーンと明朗なチャイムが鳴り響いた。

当然4人とも授業は遅刻だった。。





(誰か嘘だと言って!)




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