「手前なんか嫌いだぁぁぁぁぁ!」

「待ってシズちゃんんんんんん!」

まるでどこかの乙女のように半泣きで走り去る静雄を、臨也は必死に呼び止めることしか出来なかった。
標識の棒でアスファルトに縫い止められた長いコートの裾が、こんなに憎かったことは今までになかった。



♂♀



 1.


不意に視界の端があるものを捉え、少女は何気なくそれを見詰めた。すると、それも少女に気付いたのか眉目秀麗と評される顔をこちらに向けてきた。
ばちりと目が合ってしまってから、少女は深く後悔した。
仕方なく少女はそれに歩み寄り、欠片ほども興味がなかったが一応社交事例として問いかける。

「折原さん? どうしたんですか?」

「やぁ園原杏里ちゃん? 取り敢えず手を貸してくれないかな」

蕩けるような、だけど限りなく胡散臭い笑顔を浮かべて、「身動き取れなくってさ」と、首を傾げて見せた男は、コートに突き刺さった道路標識により、壁に磔にされていた。

嗚呼、帰って明日の予習をやるはずだったのに、と。
これから何時間と付き合わされるだろう男の惚気話を思って、少女が深々と嘆息したのも無理からぬことだった。



 2.


少年は機嫌が良かった。
今日は学校は休みだったが、絶好のナンパ日和に家に閉じ籠っていたのではバチが当たると、池袋の街に繰り出した。そして、結果はどうあれ既に3人ほど綺麗なお姉さんに声をかけ、少年は今日という日を楽しんでいた。
鼻歌でも歌い出しそうな勢いで街を闊歩していると、ふとあるものが目に止まった。

「…………なんだ、あれ」

道路標識で壁に磔にされている1枚の黒いコート。それは刃物で切り裂いたかのようにズタズタになっていて、少し不気味だった。
非日常に憧れる親友ならあれも面白がるだろうか、と一瞬思いかけて、すぐにその考えを訂正する。
違う。あれは。嗚呼、なんという不幸か。
ズタズタで分かりにくかったが、よくよく見てみるとそのコートには茶色いふわふわしたファーが確かに揺れていた。

咄嗟に逃走体勢に入った少年の肩に、後ろからぽんっと軽く手が置かれる。
それは最早、少年に処刑宣告と同等の恐怖しか与えなかった。



 3.


青年はサングラスでおざなりに顔を隠して、池袋の街を歩いていた。片手にぶら下げた箱はズシリと重い。多めに買ったプリンの重量だ。
色の濃いサングラスで目元を覆ったその容姿は、やはりどこか彼の兄を彷彿させる。青年は無表情な外見とは裏腹に心を弾ませていた。
しかし、目的地間際というところで、青年はぴたりと歩みを止める。そして淡々と、だが本気で言った。

「死んでくれませんか」

「第一声がそれって、君ら兄弟も大概似てるよねぇ」

アパートの、恐らく兄の部屋を、電信柱の影からそわそわ見詰めていた男を一瞥して、まず青年が考えたことは、どうしたら罪にならずにこの男が殺せるのだろうか、だったりした。



 4.


ベンチに腰掛けて項垂れる後輩を、男はポンポンと頭を叩いて慰めた。

「あんま気にすんな」

「でも、今度こそ……」

「大丈夫だ、あいつのうざさは筋金入りだべ」

「……っす…」

その光景を物陰から、ぎちぎち歯ぎしりをして悔しげに睨み付けてくる存在など気付かずに、男はぐしゃりと励ましを込めて隣の金髪をかき混ぜた。



 5.


たぶん僕は八つ当たりされたんだろうな、と少年は遠い瞳で考えた。
先程まで散々少年に迷惑をかけて去っていった真っ黒な男は、確かに少年でも気取れるくらい苛ついていた。うざったくて話は殆ど聞き流していたが、ところどころに出てきた田中トムという人物が原因だろう。少年はため息をついた。
なんだか無性にムシャクシャしてきて、畳の上にこぼれたサンドイッチを片付ける手を止める。そして、別に愚痴ろうと思ったワケではないが、なんとなくケータイからチャットルームを確認する。
カチカチ、とケータイを操作する音だけが、静かになった部屋に響いていた。

やがて過去ログを眺めていく内に、このムシャクシャを発散させる妙案を閃いたダラーズの創始者は、薄く笑って文字を打ち込んだ。



♂♀



嗚呼何故、私は、

「だからさ、シズちゃんの乳首がそこにあったら吸い付かなくちゃシズちゃんへの冒涜だろう?」

夕日の美しい池袋の公園で、

「そもそもシズちゃんはツンデレの使い方を間違ってるんだよね。ツン時々デレってもんじゃないからあいつ。ツン⇒俺に対して、デレ⇒他の人達に対して、の使い分けだから。ぇ何それミステイク? やだなぁ確かにツンデレは萌えの骨頂だけど、幾ら俺の気を惹きたいかってやり方間違っちゃ意味ないよシズちゃんもう馬鹿可愛いなぁ。それともこれはいじめ? これがいじめなの?」

手の甲にボールペンが突き刺さった男の、

「俺だってシズデレが欲しいぃぃぃぃ!」

こんな変態染みた愚痴に付き合わされているのだろう!?


『つまり、いつもの喧嘩でいつものように静雄の服をナイフで切り裂いたところ、“慎ましい桃色の果実”とやらが見えたから食らいついたということか?』

心底どうでもいいのだが、私はなんとか男と会話を試みようとPDAにそう打ち込んだ。
すると変態は眉目秀麗といわれる顔に眉目秀麗のイメージをぶち壊すような笑みを浮かべて、仰々しく両腕を広げて見せた。

「まずバーテン服っていうのがエロいよね。犯罪だよね。執事服と何が違うのさ?」

『いや別にバーテン服に罪はない』

「っていうかあいつの腰の細さは半端ないね。あれ何? 腕回してぎゅっとしろって神の御告げ?」

『お前無神論者じゃなかったのか?』

「シェークをキュイキュイ飲むシズちゃんマジ天使!」

『会話する気がないなら帰れ! というかせめてPDAを見ろ!』

友人から運びの仕事を預かって、仕方なしに男を呼び出して1時間、うざ…臨也はひたすら静雄について語っていた。気持ち悪い。静雄が可哀想だ。
終いには両手で自分を抱き締めて、「シズちゃんラァブ! 俺はシズちゃん以下略」と叫び出した男に、私は居たたまれなくなった。消えたかった。だって周りの人からの視線が痛い。またかよ、って感じのアレがホント痛い。頼むやめて。
新羅もしょっちゅうイッチャッテル状態にイッチャッテルときがあるが、こいつはあれの上をいく。自分の恋人が、路上で盛るような奴じゃなくて良かった、と内心胸を撫で下ろす。静雄には悪いが。

取り敢えずこれ以上臨也が何か口走らない内にバシリ、と私は預かっていた“届け物”を変態の顔面に叩き付けた。
ブヘブッ、と間抜けた悲鳴を聞けて、ほんの少しだけ溜飲が下がる。

「なにこの紙束」

『届け物だ』

簡潔な言葉を、淡々とPDAに打ち込む。
声を出して話しているワケではないため口調に変わりはないが、もし私に口があったなら南極並の冷たさを宿しているだろう。

「ええと、何なに? わぉ、これ帝人くんからの手紙じゃないか。今時古風なことだねぇ」

『他にもあるぞ』

「あぁ、そうみたいだ。こっちは紀田正臣、園原杏里……平和島幽!?」

一瞬驚きに目を見張った臨也は、だが直ぐに心の底から愉しそうな歪んだ笑みを浮かべた。
この男の時々見せるこういうところが、きっと私は恐ろしい。
まぁ普段の静雄に対する変態じみた奇行も、恐ろしいと言えば恐ろしいが。

一刻も早く臨也から――色んな意味で――離れたいと思うけれど、しかし私は、頼まれた仕事は完遂したにもかかわらず、まだそこに留まっていた。
帝人君からもうひとつ依頼されているのだ――手紙を読んでうちひしがれたうざやさんの様子を教えて下さい、と。
そう、私が今渡した手紙には、びっしりと臨也への苦情、陳情、ただの悪口等々が書き連ねられている。それを悪趣味だとは思わない。この男はそろそろ、周囲にどれほど迷惑をかけているのか自覚して自重するべきだ。
ちなみにわざわざ手紙という形にしたのは、手書きの方が感情がより強く伝わるかららしい。最近の子って怖い。
しばらく黙って手紙に目を通していた臨也が、終いには体育座りで泣き出してしまったことから、この手紙の威力の凄まじさは察して戴けるだろう。

帝人君から見せてもらったのだが、杏里ちゃんの手紙には『なんで罪歌の刃を避けるんですか?』と大真面目で書かれていたし、帝人君のは散々苦情を書き綴ったあと『追伸、どうしてうざやさんはそんなにいざいんですか?』と書かれていた。他にも正臣君からは『臨也さん、いつ死ぬんですか? そもそもなんで生きてるんですか』だの……嗚呼そうだ、静雄の弟に至っては便箋10枚『死ね』の文字で埋め尽くされていたっけ。
怖かった。なんの呪いかと思った。あの子あんなキャラだったのかと震えた。
それともそれだけ臨也がうざいからなのか。新羅に相談したら後者と即答されそうだな。

新羅も学生時代から臨也には多大な被害を被ってきたと言っていたし、と暢気に考えていた私は、しかし大切なことを見落としていた。
いや、私だけではないのだが、付き合いの短い帝人君にそこまでを求めるのも酷だろう。

嗚呼、しまった。私は大切なことを見落としていたのだ!
膝を抱え込んでいじけていた臨也が、「ふふふふ、」と不気味に笑いながらユラリと立ち上がったところで、私はそれに気付いた。

「これだけ悪く言っていても、俺を無視するという極めて簡単で手っ取り早い方法には至らない! あぁこれだから人間は面白い!」

そうだった、折原臨也は決して懲りない。寧ろ悔しさをバネにして、より高みに跳躍する男だ。
……そう言うと、どこかの少年漫画の主人公みたいに聞こえるな。


人ラブ! 俺は人間を愛してる! あ、勿論それとは別次元でシズちゃんを愛しちゃってるけどねテヘ、とか叫び出した変態を置き去りにして、私は公園から逃げ出した。
だってもうホントに痛かった。周りの冷たい視線がホントもう限界だった。
取り敢えず、私は帝人君の提案に協力するのではなく、彼を説得して思い止まらせるべきだったのだ。軽率だった。ホントにごめんね。

何故か無性に新羅の笑顔が恋しくなって、急いでバイクを走らせた。
いつの間にか真っ暗に染まっていた夜空に影は溶けていった。




なんのために生まれて、なにをして生きるのか
(「そんなの決まってるじゃないか俺はシズちゃ…『あ、やっぱ答えなくていいです』)




 ̄ ̄
実は臨也さんと静雄さんは付き合ってる設定だったりします。
冒頭で静雄さんがキレずに逃げ出したのは、だからです。
(おまけ帝人様side)




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -