折原臨也と喧嘩した。
そう静雄が言うと、皆こぞって「何を今更」と同じ反応を返した。
「そういう意味じゃねェんだよ」
高校時代から二人との腐れ縁が続いている新羅も例に漏れず、万人と同じ先述の答えを返すと、苛立ったのか静雄が低く唸った。
ぎりっと睨み付けてくる視線の鋭さは、彼が爆発寸前だということを表している。一応客人だからと注いだ、砂糖だらけの紅茶が入ったマグカップは、その握力でミシリと悲鳴を上げた。
(嗚呼やめてよ、それ高かったんだから)
新羅は内心でそう嘆くも、静雄に出した時点でそれが廃棄処分になることは覚悟していた。証拠に、愛しのセルティが選んだ客用ティーカップは使わなかった。それでも、だからといってそのマグカップを廃棄したいというワケではないが。
そう言えば、セルティといえば彼女は今どうしているのだろう。気儘に池袋の街でも疾走しているのだろうか。
彼女を手放す気はない新羅だが、同時に束縛する気も――今のところ――ない。セルティが運び屋の仕事以外で、ふらりと気晴らしのドライブに出かけることもさしあたって文句はなかった。ただ行き先と帰宅時刻くらいは言ってくれてもいいじゃないかとは思う。
というか、帰って来たらそう注意しよう。
「……おい」
「あ、ごめんごめん。臨也との喧嘩の話だっけ?」
違う世界に思考が飛びかけたのを目敏く察知した静雄が、不機嫌そうに声をかけてくるのを軽く謝罪して話を戻す。自宅で暴れられては困るのだ。
単純思考と定評のある池袋の自動喧嘩人形は、新羅の謝罪に幾分落ち着いたのか「喧嘩っつーかよぉ」と、マグカップをテーブルに置いてソファーに身を沈め直した。
「最近あのノミ蟲野郎、ワケ分からねェ嫌がらせばっかしてきやがってマジきめぇ」
どうにかならないか、と真摯な光を宿した双眸がサングラス越しに向けられる。
自分は昔からこの眼にどうも弱い。
本当は、彼らの関係に口出しする気など――厄介事に巻き込まれるのは目に見えているので――なかったのだけど……。
「いつも通り一発殴ってやれば?」
「触りたくねェ」
「自販機越しでも? それは重症だ」
そう軽く驚いた表情を作って、紅茶をズズッとすする。静雄のものとは違い、砂糖は殆ど入れていない。その分アールグレイの純粋な旨みが舌を包む。単純に美味い。
もうひとくち紅茶を咥内へと招き入れようとカップを傾けた瞬間、ピンポーンと、訪問者を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「セルティか?」
腰を浮かせた新羅に、静雄がやや見上げてくる形で尋ねた。
コトリと首を傾げる仕草が存外幼く見えて、これが池袋最強だと呼ばれているのかと思うと、面白さに笑みが広がった。
「セルティじゃないよ。彼女なら私は気配で分かるからね」
「それはそれできめぇ」
「あはは、もう治療してやらないよ?」
鉛中毒にでもなんでもなればいいよ、とからかってやる。慌てた静雄がガタリと立ち上がる音を背に聞きながら玄関へと向かった。
ガチャリとドアを開けると、同時に自分の脇を黒い風が物凄い勢いで駆け抜けた。電光石火、まさしくそれだ。
「え!? 臨也?」
常人には残像しか映らないだろうスピードで部屋に駆け込んで行った黒のかたまりに、新羅は瞠目してすっとんきょうな声を出した。
それを臨也だと判別出来たのは、なんのことはない、黒のかたまりが聞き覚えのある声で聞き覚えのある愛称を叫んでいたからだ。
「シズちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「ぎゃぁぁぁ! な、なん、なん、なんで手前!」
「え、なんで俺がここにいるかって? そんなのシズちゃんに会いに来たに決まってるじゃないか」
「違ェ! なんで俺がここにいるって分かった!?」
「んもう、俺がシズちゃんの行動を把握してないわけないじゃん。あぁ、行動パターンを予測したんじゃないよ別に。服にちょっと発信器をね。君は俺の予想の斜め上を突っ走ってくれるから幾ら俺のこの優秀な頭脳でも君の行動は推測不可能で、まぁそんなとこが好きなんだけどっていうか全部まるごとシズちゃん大好きだよ愛してる愛してる愛してる! シズちゃんラァァァァブ!」
「煩ぇぇぇぇぇ!」
突っ込みどころに迷う程に、とにかくひたすら気持ち悪い台詞をベラベラ吐く臨也と、可哀想な静雄の会話が新羅の耳に入る。ホント気持ち悪い。
目の前に広がる光景と言えばそれ以上に気持ち悪く、静雄の細腰にタックルしたなんか気持ち悪いのが、ウヘヘと不気味に笑いながら顔をぐりぐり押し付けている。
(しかも、あいつ土足だし)
何がどうしてこうなったのかはさっぱり分からないし知りたくもないが、どうやら臨也は静雄を抹殺することを止め、逆に愛を注ぐことに変えたらしい。真剣に気持ち悪いが、特にその事実自体には新羅は驚かなかった。
新羅にとっては、結局どちらにせよ『同じ』だ。元々彼の殺意は、歪んだ愛情の延長線上あるのだから。
確実に『人間』ではないセルティとは――表面上とはいえ――友好的に接しているというのに、生物学上は『人間』である静雄にはそうしない、いや、あれは出来ないのだろう。
臨也は人間を愛しているが、イコール化け物を憎悪することにはならない。つまり、
(静雄、君はワケの分からない嫌がらせをしてくるようになったって言ってたけど、僕から見たら臨也の行動は四角四面、非常に一貫性があるものだよ)
アプローチの仕方が変わっただけで、臨也の静雄に対するそれは全て、世界で最も厄介で制御し難くて面倒臭くて愚かで、だけど温かくて何にも勝る幸せな――その『感情』に由来しているのだから。
そして臨也に関しては誰よりも鋭い静雄が『それ』を『ワケの分からない』ふりをするのは、きっと、それは静雄が1番求めていて、また恐れているものだからで。初恋の人を傷付けたトラウマを持つ彼が、臨也から与えられる『それ』をこんなにも恐れているのは……。
「全く、馬鹿だよね君たちって」
すぐそばに私とセルティという素晴らしい見本がいるのに、と勝手なのろけを心中で思って、新羅は二人の昔馴染みを見つめた。
「よしシズちゃん、今日は俺の部屋でしようね」
「はぁ!? きめぇんだよクソが! つーか何をだ、何を!」
「もう照れちゃって可愛いなハニー」
「……もうなんなんだよワケ分かんねェよ死ねよとにかくなんでもいいから死ねよ」
「わぉ! なんでもいいってそれはまた随分と大胆なお誘いだねぇシズちゃん。そんな半泣きのエロい顔で言われたらダーリン頑張っちゃう」
「ひぃっ、ななななな何ズボン脱ごうとしてんだ手前! 露出狂かよ触んなきめぇきめぇきめぇきめぇ」
「ハァハァそのひきつった表情いいよシズちゃん最高ハァハァ。あ、言っとくけど俺は露出狂じゃないから。シズちゃん限定だから。だからシズちゃんは責任とって、はやく俺の露出したピーをシズちゃんの温かくもイヤらしいピーで包んで隠すべきだよねぇハァハァ」
「!? だから脱ぐな脱がすな来んな死ね変態がぁぁぁぁぁぁ!」
とりあえず、ここ僕ん家なんだけど、と思いながら新羅は自宅をあとにすることにした。
あのぶっ飛んだ友人二人には是非とも幸せになってもらいたいのだ。愛したがりの臨也と、それを受け止めるだけの頑丈さを持った愛されたがりの静雄と。1番二人の近くにいた自分は本人以上に彼らの気持ちを知っている。何よりも今、お得意の怪力で臨也を振り払わない静雄がその証拠で、……まぁパニックで力が発揮出来ていないだけの可能性も十分過ぎる程あるのだが。
だけど、だからこそ、場所を提供するくらいは手を貸してやってもいいような気がした。
♂♀
『それで止めなかった結果がこれか?』
「べべべ別に気持ち悪い臨也に関わりたくなくて放置したワケじゃないんだよセルティ! 確かに、これくらいじゃ静雄は死なないだろうから任せとけとか思ったりもしたりしなかったり……って嘘嘘! 嘘だからセルティこの影やめてぇぇぇ!」
「まさか本気で他人の家で最後までするなんて思わないじゃないか!」
『なんでもいいからソファー弁償してもらえ!』