池袋の梅雨は、今日も蒸し暑い。年中無休できっちり着込んでいるバーテン服のせいもあるだろうが、弟からもらった大切な服を、たかだか暑さに負けて脱ぐワケにはいかない。
静雄はネクタイを少し緩めた。不快指数はあまり変わらない。どんより曇った空は気分を重くした。

仕事はつい先ほど終わり、上司や後輩とも別れたばかりだ。苛々するのは周りに気を紛らわせてくれるストッパー達がいないからだろうか。
上司が『気温が上がると、おかしなやつも増えるから気を付けろな』と言っていたのを不意に思い出した。この場合、『気を付ける』のは静雄の身の危険ではなく、相手の身の安全なのだろうが。おかしなやつがおかしなノリで静雄を絡んだとしたら、待っているのは血の海でしかない。

(でもよ、こんだけ不快じゃ頭壊れんのも無理ねぇよな)

事実、自分だっていつ苛々が爆発するか分からない。静雄は曇天に向かって舌打ちをした。

「シーズーちゃん!」

 すると、後ろから無駄に明るい弾んだ声が聞こえてきて、静雄は嗚呼どうりでやけに苛つくワケだ、と納得する。
奴が池袋にいたから、汚臭で心がざわついていたのだろう。振り向き様に殴ろうと、傍にあった立て掛け看板をガシリと掴む。

「臨也くーん、池袋には来んなって何度も………って、うわぁ…」

決まり文句を吐きながら、背後でニヤニヤしている世の中の害蟲を見た瞬間、静雄は思わず喉の奥から気の抜けた音を漏らした。いわゆる『ドン引き』というあれだ。
だが、それも仕方のないことだと思う。

(いや、そりゃ今日は暑いがよぉ。だからって……)




「裸にコートはねぇわ」

「あはは、何興奮しちゃったぶぐはぁ!」

よくぞ警察に捕まらなかったものだと半分感心しながら、とりあえず手にした看板で潰しておいた。ちょっと素手では触りたくない。
潰れた男を冷たく見下ろして、珍しく自分の暴力が世間様の役に立ったようだと頷いた。
ひとつの救いは、一般に言うところの『はいてない』状態の臨也だが、コートの裾でなんとか吐き気を催すモノが顔を出していない点だろう。どうせこのノミは正真正銘『裸にコート』なのだ。
いや、実際は何の救いにもなりはしないのだが。というか、そもそも何故コートを脱がずに中を脱いだ。

「酷いよシズちゃん!」

「げっ」

ガバッと鼻血を滴らせながら身体を起こした臨也に、復活しやがったよこいつ! と嫌悪を露にするよりも速く、べらべらと良く回る口から発せられるマシンガントークが、静雄の思考をさらっていく。

「シズちゃんがツンデレなのは知ってるけど、いきなり恋人に暴力はないよねぇ」

「おい待て、なんか今すげぇ聞き捨てならねぇ言葉が聞こえた気がしたんだが」

「あぁ、ごめんごめん。暴力じゃなくて照れ隠しだった?」

「いや激しくそこじゃねぇよ」

べらべらべらべらと、止まるということを知らない口は、どんどん静雄の怒りを煽っていく。一体何なのだろう、この男は。自分は暴力は嫌いだというのに、この男を全力でぶち殺せれば、人生最大の爽快感を味わうことが出来る気がする。
青筋が引き釣り、煙草を噛み潰したところで咥内に苦味が広がった。嗚呼まだ火をつけたばかりだったのに。口の中の苦いものが胸まで浸透してきて、静雄は目を伏せて「は、」と気だるげに息を吐き出した。
……ら、臨也が突然抱き着いてきた。

「は?」

凄まじいスピードだったために避けることさえ出来ずに、呆然と腰にくっつく奇妙な黒い物体を見る。
そこにはハァハァすりすりしている男がいて、目眩を感じると共に鳥肌が一斉に起立した。

「な、な、な!?」

混乱混乱混乱だ。こういう時こそ怪力で引き剥がして、ついでに丸めて捨てれば良いのだが、いかせんパニック状態の脳ミソではそこまで考えつかなかった。
なすがままにされていると、調子に乗ったらしい『人知を越えた奇妙な黒い物体』が、ひどく切羽詰まった顔で睨み付けてくる。

「シズちゃん何それ、誘ってるワケ? ネクタイ緩めて首筋に汗を一滴伝わせちゃってさぁ。気だるげな表情とかもう何なのヤバイよ、ヤバイヤバイ」

「はぁ? 日本語喋れよ、ワケわかんねぇ」

「これは歴とした日本語だよ。ほらそうやってツンに見せかけた天然かますってもう、とにかくシズちゃんはぁはぁ」

「うっわ、きめぇ! 離れろクソが!」

「あ、シズちゃんの匂い」

「ひぃぃぃぃ! 腰を擦り付けんなぁぁぁぁ!」

くるりと踵を返し、静雄は臨也から逃げ出した。人生初の天敵からの逃走かもしれない。
だって気色悪かったのだ、太ももに腰を――延いては硬いモノを押し付けてくる男は。何が当たっていたのかなんて考えたくもない。

『気温が上がると、おかしなやつも増えるからお前も気を付けろな』

脳内で、つい先ほど聞かされたドレッドヘアの上司の注意がリピートされたが、何だかそれを聞いたのは、遠い昔のような気がした。





(っていうか巻き戻させて下さい。こいつに遭わないよう家に閉じ籠りますから)


 ̄ ̄
アニメ版のコートでズボン履いてない臨也を想像してください。いざやごめん。





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