カタン、という軽い金属音に振り向くと、高杉が煙管を放り出して仰向けに寝転んでいた。さっきまで、馬鹿みたいにぼんやりと、窓の外に煙を吹かせていたというのに。どうしたのか。
見ていた竹内のアニキのDVDを一時停止にして、土方は煙管を拾い上げた。畳が少し焦げていた。

「何しやがる」

人ん家だと思って、と唸ってみせるが、傍若無人な男は畏縮する気配もない。
開け放した窓から入る冬の空気が寒いのか、高杉は寝転んだまま、ずりずりと陽光の当たる位置へと移動した。

「飽きた」

天井を見詰める隻眼は、不機嫌そうに顰められていた。
晴れた空は綺麗に澄み渡っている。飽きたとは、部屋に閉じ籠っていることに対してか。

「我慢しろや、テロリストが」

「あんたと行ってみたい場所があったんだがなァ」

高杉はクッと喉を鳴らす。微妙に会話が噛み合っていないのに気付いているのだろうか。相変わらず、中途半端に人の話を聞かない男だ。
ふと、ドSの部下とムカつく銀色を思い出して、自分の周りはこんなやつばかりだと、ため息をついた。

「せめて雨だったら良かったと思わねェか?」

高杉は言いながら、ことん、と天井を見上げたままだった顔をこちらに向けた。細められた緑柱石の瞳からは、それが本気なのか冗談なのか、うまく読み取れない。
ただ、この男は恐らく苛立っているのだろう、とは分かった。京では面を隠すのに一役買っていた編み傘は、洋装が珍しくなくなった江戸の町では逆に浮いてしまう。
要は外に出れなくてむくれているのだと思うと、土方は途端に可笑しくなった。だが、浮かびかけた笑みは咄嗟に自制する。こんな穏やかな空気の中を、よりによってあの高杉とこの自分が共に過ごしているなど、失笑する価値すらない出来の悪い茶番だからだ。

何故こんなことになってしまったのだろう。隣の男に気取られぬよう、こっそりと自嘲した。
確かに自分は喧嘩っ早い性質ではあるが、自制心は強い方だと思っていた。殊の外、惚れた腫れたに関しては。なのに、そんな自己評価を嘲笑うように、現状は敵である男を私宅に招き入れて、のんびりとした時間を過ごしている。
恋人ではない、と思う。
非番の度に逢瀬を重ねる間柄だとしても、幾度も身体を繋げた関係だとしても、土方は一度もこの男に好きだと告げたことはない。高杉も、言わない。言葉にしなくても伝わるとか、馬鹿げたことを考えているわけではないけれど。
そもそも彼との間に流れる感情は、誇れるような綺麗なものでもなければ、自惚れられるほど強固なものでもないのだ。

向けられた1本の視線に惹かれるように、土方はそっと転がったままの高杉に近づいた。戯れにその長い前髪をかき上げて、滅多に自分からはしないくちづけを落とす。唇にではない。額でもない。包帯に、いや、気持ちとしては包帯の下の左瞼に、だった。
一瞬、反対側の瞼が驚きに大きく押し上げられたけれど、案外単純なところのある男は、次の瞬間には余裕の表情で満足げに喉を震わせていた。くつくつと言うよりは、ぐるぐるに近い音にまるで猫だと感想を持つ。

「どうした土方ァ、珍しく甘えたじゃねェか」

「はっ、馬鹿かてめえ。俺が?」

珍しくも無防備な表情を晒しているのは、てめえの方じゃねェか、と。高杉の顔を跨ぐように手をついて、ちょうど馬乗りで押し倒す形で隻眼を見下ろした。
夜は別だが、昼間ふたりで何となく過ごすときは、この体勢で落ち着くことが多い。それは単に、大抵高杉が寝そべっているからだけなのだが。以前に、座っていると身長差が目立つか、と揶揄交じりに問いかけてみれば、思いのほか真剣な目付きで睨まれた記憶がある。
ぐちゅ、と今度は高杉からくちづけが贈られた。もちろんこの男のことだから、瞼になんて可愛らしい真似をするはずもなく、生々しいディープキスだった。

「ふ、ぅん」

体勢的に有利なのはこちらだというのに、激しい舌使いに耐えられず、思わず鼻に抜けた甘ったるい声が漏れた。
頭の芯に熱が灯る。だが、完全に思考が溶けきる前に、それはいたずらに音を立てて離れていった。

「猫みてえだな」

土方は、その気まぐれさに、やはり猫の面影を認めて言った。

「昔飼ってた猫みてえだ」

すぐひなたで横になりやがるんだ。そして、かまえかまえと鳴きながら視線で人を誘う。
そう言って、土方は笑ってみせる。
しかし、そんな猫扱いも、酔狂な男は不快に思わなかったらしく、「へぇ…」と愉しそうに隻眼を細めた。

「名前は?」

「ノラだ。野良猫だからノラ。昔、俺が住み着いてた寺の先住民だった」

「おいおい、それは飼い猫とはいわねェだろうが」

「俺が餌やってたんだから俺のペットだ」

そう言い切ると、無茶苦茶だな、なんて愉しげに笑われたけど、そんなことお前にだけは言われたくないと思う。

「……どうせてめえだってまた俺の届かないところで無茶苦茶やるくせに」

土方はおもむろに高杉の上から退くと、その隣にごろりと身体を投げ出した。そしてそのまま、男の胸元に額を擦り付ける。
すると高杉が体勢を横向きに変え、ぎゅっと抱きすくめてきた。髪にくちづけが落とされる感触がした。

「あんたの届く範囲で暴れたら、真選組が来ちまうだろうが」

耳に吐息がかかる近さで、この男にしては珍しく慈しむような柔らかい声で、そんなことを吹き込まれた。
反射的に背筋を震わせて、ごくりと息をのむ。

「はっ、流石の高杉晋助もお手上げってか」

「まさか。幕府の狗なんざ、いようがいまいが変わりゃしねェよ」

「んだとコラ」

ゾクリと背中に走った感触を誤魔化すように鼻で笑えば、予想に反してなめきった発言を返され、こちらこそが苛立った。
不機嫌な面持ちのままに「チッ」と舌打ちをすると、高杉が「そう拗ねんなや」と楽しげに宥めてくる。あやすように髪をすいてくる手が、案外優しくて困った。

「拗ねてねェし」

精一杯の抵抗で反論すれば、本当に拗ねているみたいな響きを持ってしまって、ますます困る。
それだけではない。
頭上から「クックッ」と邪気のない笑いを降らされることも、抱きしめてくる腕が人肌の温もりを宿していることも、変に甘ったるい空気も、何もかもが土方を戸惑わせ困らせる。

「あんたとは、まだ斬り合いたくねェからなァ」

「……それじゃあ、困るンだよ」

軽く告げる口調にも、しかし彼が本気で言っているからこそ、不機嫌な声で言い返すしか出来ない。
まだ、もう少し、例え仮初だと分かっていても、あの凶悪テロリストが、この穏やかな時間を失いたくないと思うなんて。殺し合いたくないと思うなんて。

――まるで本当に俺が『タイセツ』みてぇじゃねェか

まるでも何も、高杉の本心など、自惚れでも何でもなく分かってしまっていたれけど、あえて嘲るように思ってみせる。
そもそも、大の男がふたりしてひなたに寝っころがって、抱き合って、いったい何をしているのか。
自分たちは敵同士なのだ。それが、やれ斬りたくないだの、やれタイセツだの、馬鹿馬鹿しい。
くだらない三文芝居みたいだと嗤おうとして、しかし出来なかった。
失敗した事実に衝撃を受ける。
嗚呼、なんて馬鹿なのだろう。
笑えない。
震える吐息が唇から洩れた。ふと、気配を感じ取ったかのようにきつくなる抱擁に、あやすように降らされる額へのくちづけに、それらに滲む高杉の想いに、溺れそうで逆に泣きたくなった。
だって、温かいのだ、ここは。茶番だなんて――下手な三文芝居だなんて、思えないほど温かくて。また、これが『芝居』だなんて、考えるだけで顔が強張って笑みも作れないほど、思いたくなくて。
気まぐれで、人に慣れない野良猫のような男が、温もりを誰にでも与えるはずもない。
そう思えば、彼が自分に、自分だけに与えるそれは、あまりにも甘美で土方を酩酊させた。
何故なら、土方だって高杉のことを斬りたくないし、タイセツだし、つまりは彼のことが――

「すきだ」

だが、ぽろりと極自然にこぼれ落ちた言葉は、発した本人であるはずの土方に冷水を浴びせる結果になった。ざっと全身から血の気が引いた。
一気に温度が下がった気がする。
自分は今なんと言った? 決して伝えるつもりのなかった言葉を、決して日の目を見るはずない単語を、うっかり発してしまったのではないのか。

「あ、ちがっ」

焦りが高じて意味のないことを口走る。
なんてことをしてしまったのか。これは裏切りだ、真選組への。何をいまさらと言われるかもしれないが、想いを形にせず、曖昧なままでいることが、ぎりぎりのラインであったはずなのに。
慌てて否定して撤回して、弁明を考えて、そして、思いつくままに言い訳を述べようとして、固まった。

「……え?」

見上げた高杉の顔は、常にないほど真っ赤に染まっていた。

「なん、で……」

尋ねてみたものの、答えが分からないほど土方も愚鈍ではない。
途端にこれ以上ないくらいに強くなる腕の力のせいで、最早抱きしめられているのか、しがみつかれているのか、はっきり判別できなかった。

嗚呼どうして、せっかく。
慌てて否定して撤回して、弁明を考えて、そして、思いつくままに言い訳を述べようとしたのに。
した、のに。

恐る恐る腕を回して抱きつき返すと、何故か高杉は頬を染めたまま泣き笑いのような、似合わない表情を見せた。意図せずこちらも目頭がツンと熱くなって、反射的に眉を顰める。はたから見れば、ひどく不機嫌に映るだろう。だけど、短いとは最早言えなくなっているほどの時間を共に過ごした男には、もしかしたら、涙をこらえているとばれたかもしれない。
だって、そんな顔を見せられたら、許してくれと請うしかないじゃないか。
普段何事にも動じない男が、自分の些細な一言に簡単に動揺するなんて。

今だけだから、今だけだから、と。
戦場で相見えることがあれば、ちゃんと刀を抜いて斬り捨てるから、だから。
温かいのだ、ここは、とても。
許してくれと叫びながらも止められない想いを、もう認めるしかないのだ、と。

高杉が赤い顔のまま、「ああクソ」と悪態をついて上にのしかかってくる。それを受け入れながら、土方は苦笑した。嗚呼、こいつも同じなのだ、と。それは止められない想いへの呆れだったのかもしれない。抗いきれないことへの諦めだったのかもしれない。
しかしその笑みが、どれほど美しく綺麗で幸福感に満ち溢れていたかは、直接目にした高杉以外知ることはなかった。




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