さんさんと照りつける太陽は、往来を歩く銀時の白い肌を焼いた。
温帯湿潤気候に属する江戸の夏は、湿度が高く、すこぶる蒸し暑い。空気が凝ったような息苦しさに、「暑ィ」と誰に言うでもない文句が口から零れた。
銀時の独り言に近い苦情にも意を貸さず、一向に弱まろうとしない日光は、なかなかいい度胸をしている。襟元を引っ張り、片手でそこにパタリと風を送って涼を求める。
が、勿論そんなことで涼しくなるハズもない。銀色の髪をぽたぽたと汗で濡らして、そこでふと甘味屋に目を止めた。
その店はまだまだ戦前の面影を残した、クーラーなどない普通の茶屋だ。別に店が涼しげで意識に引っ掛かったのではない。糖分王を自称する自分が、しかし単に糖分に惹かれたワケでもない

(あいつは……)

ただ、そこで余りにもミスマッチな男が団子を口に運んでいて、それがどうしても気になったのだ。

「土方?」

無意識の内に男に近付いて行っていた銀時は、その正面に立って呼び掛けた。
疑問系になったのは、違和感を感じたからだ。今もいつものように団子をマヨネーズまみれにして貪る男が、甘味屋に腰かけることに驚いたのではない。いや、現在の情勢を鑑みればこんなところにいるはずがない男だが、それでも甘味屋にいることがミスマッチなのではない。彼は甘いものを好まないが嫌ってもいないことを、短いとは言えぬ腐れ縁の中で気付いていた。
違和感を感じたのは、その装いについてだ。
彼は平素、黒を纏う。なにも隊服に限ったことではないと、幾度か私服姿を見たことのある銀時は知っている。
どちらかというと、おとなしく目立たない服装を彼は好んだ。しかし、

「お前、悪目立ちしてんぞ?」

どかりと無遠慮に隣に腰をおろす。だが甘味を買う金などなく、ただ土方にそう話し掛けた。最悪土方の団子を掠めとればいい。

「天パのてめえに言われたかねェな」

「なんでそこで天パ? 普通銀髪チョイスだろ、天パなんて結構いるからね?」

会うたびに繰り返されたものと同じような、くだらない応酬を交わして、嗚呼やはりこいつは土方なのだと、当たり前のことに安堵した。
彼の意識が団子から外れる。そろりと皿に残る団子に手を伸ばすが、寸前で気付かれぴしゃりと払われた。
土方の服装は、赤地に金で蝶の刺繍が施されている派手なものだった。
光沢を見れば、よほど高級なものなのだろうと見当がつく。質素倹約を地で行きそうな男が、着物に金をかける様子は意外であった。

「つーかその着物どしたの? イメチェン?」

「似合わねェか?」

「そうは言ってねェよ」

似合わないワケではない。この端麗な容姿をもつ男は、きっと着こなそうと思えば、大抵のものは着こなしてしまう気がする。
似合わないワケではない。違和感があるのだ。
いや、いっそ『嫌な予感』と言い換えてもいいかもしれない。
そんな服装では、目立ってはいけない彼が目立ってしまう。今の彼はもう役人などではなく、逆に『政府』から追われる身なのだから。

「構わないさ、目立っても」

銀時の内心の危惧を読み取ったかのような土方の呟きに、ハッと整った顔を凝視した。台詞が意味するのは何か。
やはり嫌な予感がした。
土方はスッと目を細めて江戸城を見詰めた。口元には僅かな笑みを履いているが、双眸は氷のように冷たい。しかし己をも焦がす程の豪火を内包している、そんな眼差しだった。
今の土方全体が、彼(か)の隻眼の男を彷彿させる要因にしかなり得なくて、銀時は思わず視線をそらした。

「……行くのか」

ややあって、発した言葉が疑問のそれなのか確認のそれなのか、銀時自身にも分からなかった
手持ちぶさたに爪を弾く手に、視線は落としたままだ。こんなことならさっさと団子を注文しておけば良かった。いや、金がないのだが。

「行かねェ理由があるか」

吐き捨てるように返された言葉には、単純な不機嫌さが――ただし銀時に向けたものではなく――込められていた。
おそらくその顔は苛立たしげに歪んでいるのだろう。だが目を上げてそれを確かめる気力はない

「処刑はまだ先なんだろ?」

いつの間にか親しくなってしまった豪快な男を思い浮かべて銀時は尋ねた。
ゴリラゴリラと蔑んではいたが、決して嫌いな男ではなかった。お妙へのストーカー行為は辟易するものであったが、それを差し引いても好感の持てる男だったのだ。
銀時以上に土方のあの男に対する好感は当然大きいのだろうが、だからと言って奪還を急くのは土方らしくない。
そもそもこれは奪還を目的とした奪還作戦ではないのだ。敢えて言うなら、抵抗を目的としたそれであり、成功の可能性なんて、頭の良いこの男が一番よく判っているはずなのだから。

「先まで待ってたら、総悟がな……」

ややあって熟れた唇から紡がれた言葉は、十分に説得力のあるものだった。

「沖田くん、そんなになの?」

「1ヶ月も持たねェらしい」

淡々とした返答には痛ましげな響きなど微塵もなかったが、内心どれほどの葛藤があるのか想像に難くない。
なんだかんだ言いつつも、彼はいつまでたっても手の焼ける弟分を気にかけていた。
だからだろうか、だから最期は床の上などではなく、武士らしく戦場で迎えさせてやりたいのだろうか。それとも今は亡き隻眼の男に、そう出来なかったことを悔いているからの行動だろうか。
この優しい鬼は、どちらかというと、体を治してから来いと、優しくも残酷な決断を下す性格だから

「その着物はあいつの形見?」

ふと思い付いて訊くと、何故か怪訝そうに眉を顰められた。

「なんだ、やけに質問が多いな」

「腐れ縁を3本も失う俺に、最後の一時くらいくれたっていいでしょーが」

冗談めかして答えたのは、きっとこの『最後の一時』を重苦しいだけのものにしたくなかったから
銀時の言葉に「てめえがそんなこと気にすると思わなかった」と、どれだけ薄情だと思っていたのか、土方がぼそりとこぼした。
そして一言「てめえの想像で合ってるよ」と言った。気楽な口調だった。

「つっても、少々裾直しはしたがな」

「あぁ、あいつチビだったもんな」

「あぁ、チビだった」

クッと喉を鳴らした男に、「それを着て世界でもぶっ壊すつもりか」と疑問をぶつければ、「あほか」と簡潔に否定される。

「俺の敵はあくまで新政府の、しかも近藤さんを捕えてるやつらだ。ただ世界にしろ政府にしろ、壊すなら晋助もその場に連れてってやりてぇと思っただけだ。……あいつが最も憎んだ旧幕府の天人共は、新政府になっても相変わらず天辺で胡座かいてるからな」

「うわぁ…連れてくって……。くっさー。前々から思ってたけどお前らのその中二思考どーにかならねェの」

煙管では乱戦になれば落としてしまう。刀は使いなれた自分の愛刀の方がいいに決まっている。だから着物なのだ。
きっぱりと言い切られて、銀時は若干引いて見せた。

「死ぬなら彼氏に包まれて死にたいってか?」

「気色悪ィこと言うなくるくるパー」

聞き捨てならないことを言い放って土方が立ち上がる。「マをつけろマを!」という反論も意に貸さず、凛と伸びた背中は澄んだ――むしろ透明な空気を発していた。
幾度も見てきた、死に臨む者の背中だ。
今ここで『死にに行くのか』と尋ねれば、彼はきっと『喧嘩しに行くのだ』と答えるだろう。死にに行くと言われれば、銀時だってまだ護りようがあるというのに、この男は最後まで護らせてくれないのだ。
伊東がクーデターを起こした時も、結局銀時の保護の中から、振り返りもせずに飛び出していった。
どうして彼はいつもいつも……。
そこまで思いかけて初めて銀時は、自分にとって土方は護りたいものだったのだと気付いた。正確なニュアンスで言うなら『護りたい人』だろうか。
嗚呼、そうだ。自分だっていつもいつも気付くのが遅い。

「最後にもうひとつ訊いていいか?」

もう護りたいと願いを抱くことさえ叶わない男の後ろ姿に声をかける。
思いがけず、捨てられた子犬のような、途方に暮れた声になってしまった。

「……なんだ」

土方が低く問う。

「……ヅラを…恨んでるか?」

声が掠れてしまったのはおそらく、返る答えを聞くのが怖いからだ。
友人が恨まれることを怖れたワケではない。桂だってそれくらい覚悟の上だろう。ただ、この男が恨みつらみという負の感情を抱いて終わっていくのが堪らなく嫌だった。

「恨んでねェよ」

だからキッパリと土方から与えられたそれは銀時の心をほんの少し軽くした。

「桂は本懐を遂げただけだし、近藤さんの助命に手を尽くしてくれたことも知ってる。あいつも自分の大事な信念(モン)を護っただけだろ?」

「けど……」

「晋助のことを言ってるなら、それこそお門違いだろ。あいつの死因は結核だ。今の総悟と同じ、な。てめえらがあいつと袂を別ったのとは全く関係ねェ」

違う、そんなことは分かっている。訊きたいのは、言いたいのは、そんなことではない。
では何と言いたいのかと自問しても良く分からない。だけど、ただただ銀時の心は急く。

幕府が倒れたのは時代の流れからしてある意味当然のことだった。しかし、その上に出来た新政府が天人と手を結び、結局は幕府と何ら変わらない体制を築いている。
いや、桂のやり方は正しいのだ。まだまだこの国はバラバラだ。真に良い方向に行くには、誰かが強大な力を持って方向性を指し示さねばならない。君主政治はもう古いが、いきなり広野に投げ出されても途方に暮れるだけのように、民主政治はまだ時期尚早なのだ。
期を見て身を引く。それが出来る男だから。桂は。

だが、そんなことは土方にとってどうでもいいことなのかも知れない。土方が桂を恨んでないことは確かに事実であると感じられた。
そして銀時もまた桂の政策の真意など、どうでもいいことに思えた。
桂はおかしな男だが、彼なら国を良い方向に導けると確信しているし、土方が負の感情に突き動かされていないことが分かれば十分だった。

嗚呼そうだ。土方は桂も幕府も――政府も天人さえも恨んでいない。
恨みで剣を取るワケではないのだ。

大切なものを護りに行く。

ただそれだけだ。

正規警察から一転、賊軍になろうが、いつまでもこの男は穢れない。
なるほど、だから銀時は訊けなかったのだ。言えなかったのだ。言いたいことが分からないのでは本当はなくて。

いかないでくれ、なんて、侮辱もいいところだ。



 *



土方が立ち去ったあとも、銀時は暫くそこを動かなかった。間もなく江戸城は喧騒に包まれるだろう。それにしては静かな空だった。
かつて高杉が死んだと土方から聞かされたときもこんな静かな空だった気がする。そのときは友人の死を悼むよりも何よりも、土方と高杉が恋人同士だったことに驚きを覚えたのだが。

「明治、」

空に向かって新しい年号を口に出してみる。未だにしっくりこないものだ、まだまだ江戸時代の面影を十二分に残すこの景色には。

「明るく治める、ねェ……」

生真面目なくせにちゃらんぽらんな男が中枢では、存外その通りになるかも知れないと苦笑しながらも、銀時は多大な犠牲の上に築かれる『これから』に想いを馳せた。




The daybreak




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