その日は朝から雪が降っていた。シンシンと、空から剥がれ落ちる花弁のような氷の欠片達は、土方が居候する道場を白く埋め尽くした。
それはまるで、世界すべてを塗り潰してくれるみたいで、余りにも穢れない美しさに、土方は、ほぅと息を吐いた。
同時に、高い位置でひとつにくくり上げた髪の毛が、さらりと流れた。

「あんた、何してんでィ」

ふと上から影が差し掛かる。顔を上げると、まだあどけなさの残る茶髪の少年が訝しげに立っていた。
庭の木にもたれ、冷たい雪の上に薄い着流し一枚で座り込む土方の神経が、理解できないと言いたげだ。
腰をおろす土方には、少年がいつになく大きく感じた。

「馬鹿ですねィ」

「……総悟」

少年の声は、忌々しげな雰囲気が混じっていた割には、刺々しさがなく、嗚呼心配されていたのかと思った。
あまつさえ雪の降る寒い中、夏着に近い格好でぼんやり座する自分は、大層物寂しく、また憐れに見えたに違いない。
姉の心を奪った男に、思うところがないはずなかろうに、存外お人好しな一面が彼にはある。

(お人好しは移んのか?)

脳裏にお人好しの代表である男の豪快な笑顔が過り、土方は思わずクククッと喉を鳴らした。
それはどこか、『あのひと』の笑い方に似ていると、女々しいことを考えた思考は直ぐ様戒めした。


「取り敢えず中に入って下せェ、近藤さんが呼んでまさァ」

純日本人にしては珍しい茶髪を揺らして、沖田が言った。この少年らしい平淡な声だ。「今行く」と即答しながらも、身体は億劫がっていることは重々承知だった。
それでも重い腰を叱咤し立ち上がると、ドサッと頭に積もっていた雪が落ちた。音からして相当な量のようだ。途端に身体が軽くなった。
凝り固まった肩をパキポキ回して一歩足を進めると、きゅっという純白を踏み締める小気味の良い音が鳴った。
きゅっきゅっと、歩く度に鳴く地面が少し可笑しい。

「あんたも、行くんですかィ」

その音を止めたのは、沖田が発したその問いかけだった。いや、正確には問いかけの形を取った非難だった。
明らかな苛立ちの籠った声に振り向けば、沖田は先程自分がいた場所に立ち尽くしたままだった。憮然と腕組みをした様子から、彼の言った『行く』とは、何も道場の中に戻るというだけの意味ではないだろう。

「……あぁ、行く」

それが分かったからこそ、殊更にきっぱりとそう告げてみせた。
お人好しの彼らに、自分の過去など話さなければ良かったと、多少悔やんだ。

明日、自分達はここ――武州を発つ。江戸の中心部へと『行く』のだ。
身分問わず腕のたつ人材を集めていた幕府から、この近藤家が経営する道場にも声がかかったのは、そう前のことではない。
名目は、先の戦争が終結したと言えども、まだまだ治安の悪い江戸に住まう将軍の警護であるが、実際は恐らく幕府の兵力強化、延いては過去の遺物の排除だと土方も気づいていた。
過去の遺物。そう、『今』の幕府にとって邪魔となる攘夷志士の殲滅。
だからこそ、天人に恨みも戦争に思い入れもないこんな田舎のしがない――近藤家が幕府の要職に就く松平家と交流があったとはいえ――ただのボロ道場に、幕府直々に声がかかったのだ。
それくらい切れ者と称された『あのひと』の下で戦って来た土方には、直ぐに看破出来た。看破、出来た。
だけど、それでも……、

「近藤さんはあんたに行かなくてもいいって言ってんだろィ? それでもあんたは、」

言葉を続ける沖田の表情は、怒っているのに泣きそうだと思った。

「近藤さんには恩があるからな。ついていくと、もう決めたんだ」

決めてしまったんだ、とは心の中に留めておいた。そんなことを零してしまえば、ややこしいことになるだけだ。
土方は、幼さのまだぞんぶんに残す顔にどこか苦しみを浮かべる少年を直視出来なくて、地面に積もる雪に目を落として言った。

「ッッあんたは! あんたはそれでいいんですかィ!」

「俺が行かなきゃ、てめえらみてェな剣を振るしか脳がねェ奴ら、たちまち潰されちまうだろうぜ」

真っ白い足元を見たまま、言葉を紡いだ唇に艶美な笑みをうっそりと浮かべて見せた。
行っても行かなくても、どちらにせよ、どちらかに対しての裏切りになることに変わりない。

そうだ、自分がいなければ、彼らは腹に一物を抱えた奸狐共に、たちまち食い荒らされてしまうだろう。
そんなことは出来ない。自分はもう近藤を大将として慕うことを決めてしまったのだから。

(二度と失くさねェ)

二度と、二度と、今度こそ『大将』を護りきってみせるのだ。
ともすれば悲痛とも言えるような決意を固め、顔を上げて沖田を見据える。いや、沖田を通り越したその向こうを睨み付けるといった方が正しいか。
沖田は土方の人形のように整った相貌から、目をそらそうとはしなかった。硬質的な肌を持つ青年の頬についた雪の欠片は、まるで氷の涙のようだと思ったが、何も言いたくはなかった。言えば、ぎりぎりのところで立っている土方が、壊れてしまう気がした。

「馬鹿でィ」

道場の中に戻ろうと歩き出した沖田は、横を通り過ぎる時に、そんなことを土方に耳打ちした。もっともな内容に、しかし土方は性分なのだと、薄く唇を歪めた。

(あぁ、どうせ馬鹿さ)

だからどうしたと、自覚しようとも他人から指摘されようとも、結局馬鹿が直るはずもない。直す気もない。そういう生き方でいいと、もう決めた。

土方は、そのままおもむろに懐刀を取り出すと、何の躊躇いもなく、高い位置でひとつにくくり上げた長い髪をザクリと斬り取った。
脳裏では、ほんの少し前まで共に戦場を駆け抜けていた男が、見惚れるばかりの笑みを浮かべて自分を見ている。
果たして、男に言うべき言葉は何だろうか。
ありがとうと、ごめんなさいと、あいしてたを暫く天秤にかけて、最終的に選んだ言葉はそのどれでもなかった。

「さよなら総督」

無機質な声で別れを告げて、あの日彼が綺麗だと褒めてくれた漆黒の髪束を、ごみのように無造作に捨てた。
白い雪の上に舞い散るそれらは、黒々と存在を主張していたけど、そんなものには気付かないふりをして、土方は近藤達が待つ道場の中に入っていった。
どうせ直ぐに、雪に埋もれて消えるだろう。

振り向きたくはなかった。





(きみのとなりがいい)
(嗚呼、真実は残酷だ)




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