普段から人通りのない道特有の据えた臭いが鼻をついた。だが眉を顰める程のものでもない。
尾行を始めて数分、かなり入り組んだ細い裏路地を辿りながら、土方は民家と民家の間の薄暗い空間に来ていた。足元には紙くずやらのごみが散乱し、音を立てないで進むのは大層難しい。仕方なく、尾行対象との距離を十分に開ける。
今、自分が後をつけているのは『あの』高杉晋助だ。姿を追うというよりも、最早気配を追いながら息を詰めた。
いや、距離を取らなければ気付かれてしまうからというのは言い訳だ。何度も見失いかけても頑なに近づこうとしないのは、明らかに常の自分の行動様式とは異なる。普段ならば、とっくに間を詰めて斬りかかっているか、気付かれるの覚悟でもう少し近づく。
なのに今日に限ってそうしないのは。
だって、見たくないのだ。
本当は高杉をその視界に映したくないだけなのだ。あの鮮やかな緋色が視界をかすめる度にガンガンと頭痛が酷くなった。まるで心臓が脳内に移動したかのように脈拍と呼応した痛みの波がうねった。

『嫌だ!』

相変わらず、恐らく過去の自分であろう少年が、叫ぶ悲痛な声は鳴り響いたままだ。だって、あたまがいたい。

『嫌だ!』

声が叫んでいる。
うるさい。

『嫌だ!』

うるさい。

『嫌だ!』

うるさい!

『おいてかないでよ!』

「ッッ黙れ!」

激しさを増すガンガンとした痛みに苛立って、思わず取り乱した。何より、変声期前の甲高さで泣き叫ぶ『自分』の声が癪に障る。
と、そこで自分が悲鳴に近い怒声を張り上げてしまったと気付いて焦った。犯してしまった失態を理解する。
一体何をやっているのだろう自分は。自分で自分が信じられない。
朝からどうもおかしい。夢見が悪かったで片付けられるようなものではないだろう。
ずいぶん前を行く、ひとつ角を隔てたところにある高杉の気配が止まる。こちらへと戻ってくる。逃げなければと警鐘が鳴った。なのに身体は逃げようとしなかった――逃げたくなかった。高杉が戻って来るというのに。
いや、戻って来るからこそだろうか。
角から緋色の着流しを纏う男が現れた。木偶の坊のように突っ立っている先程叫んだ男が、真選組の副長であったことに若干驚いた表情をして、しかし直ぐに笑みを湛えて歩み寄ってきた。
ゆっくり、ゆっくり、何かを確かめるように。何かを噛み締めるように。そして何かを追い詰めるように……。

距離が縮まれば縮まる程『嫌だ!』『嫌だ!』と駄々を捏ねる声が大きくなる。
頭痛が酷い。
余りの痛みに頭が割れるのではないかと危惧した。ヒュッと喉が鳴る。上手く呼吸すら出来ない。
身体の不調に気をとられていると、いつの間にか間近に高杉の均一の取れた顔があった。
香る煙管の煙に、あの頃はなかったのにと、意味のわからない寂寥感を抱いた。だけど、次いでその中に、確かな彼自身の甘い匂いを感じて、泣きたい程の安堵が全身を襲った。
嗚呼、くらくらする。

あたまがいたい。
いやだと『おれ』がさけぶ。
あたまがいたい。
くらくらする。

くらくら、する。


その深い緑の隻眼と、視線がぶつかった刹那。限界だ、と。

限界だと思った。




「いかないで、しんすけ……」


すべりおちたことばに、しんすけはやさしくほほえんでくれた。





(それは溢れてはいけないモノでした。)




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -