「あー暑いんだよコノヤロー」

とある手芸センターのトイレを掃除しながら、銀時は一人ぶつぶつ文句を言っていた。

(大体、手芸センターなんて上品なとこに来んのは上品なマダムのはずだろ。なんでこんなに便器汚ェんだよ)

食う金に困って、知り合いの経営するこの店に仕事をくれと押し掛けた自分が言うのもアレな話ではあるだろうが、それでも至る所に飛び散ったあれやらそれやらを見ると泣きたくなるのも道理だと思う。トイレまで冷房は効いていないという悪条件にも大概参ってしまう。
しかし悲しいかな、現在万事屋にここのトイレ掃除以外の仕事が入っていないのは事実。大食漢の娘を抱えるシングルファザーとしては、投げ出すわけにはいかないのだ。
結婚もしてないのに子育ての苦労を絶賛体験中の自分になんとも言い難い侘しさを感じた。

「旦那じゃありやせんか。何してんですかィ?」

「あれ総一郎君?」

「総悟です」

旦那それわざとでしょ、と軽口を叩きながら近付いて来たのは紛れもなく真選組が誇るドS王子、沖田総悟だ。

「アンタもここの生徒で?」

「いや掃除のバイトだけど、何? 『アンタも』ってことは沖田君はここで手芸習ってんの?」

まさかこのドS王子が? という疑問は嫌そうな表情を浮かべた本人に直ちに否定される。
どうやら勘違いされるのが相当お気に召さなかったらしい。

(まぁ確かに似合わねェもんな)

そう思って口に出すと、「俺よりもっと似合わねェヤローが習ってますがねィ」なんてニヤリと質の悪い笑みと共に言われた。
沖田がこんなことを言う人間は大体決まっている。恐らく『彼』だろう。彼なのだろうが……、


「……誰?」

「またまた、分かってるって顔してますぜィ?」

「いや、うん。でもほらねぇ、精神衛生上この推測が間違ってた方がいいって言うか」

「だったらその推測で正解でさァ」

冷や汗だらだらの銀時が愉しくて仕方ない様子で、ニヤニヤし続ける外見だけ爽やかな青年を見て、銀時は青ざめたまま絶叫した。

「ギャァァァァ! じゃあやっぱ習ってんのって多串君んんんんん!?」

想像するだけで視覚の暴力になりそうな真実を。



 *



(うわ、ホントに習ってやがる……)

教室のドアを少し開けてこっそりと覗くと、必死に縫い針を動かしながらテディベアを作っている鬼の副長がいた。
討ち入りかと疑うような険しい面持ちで、愛くるしいテディベアを握り締める男。夢に出てきそうだ。もちろん悪夢で。
他の生徒は皆、いい年こいた御婦人方ばかりだ。その中でよく一人黙々と手芸など出来るものだ、といっそ拍手を送りたい。
しかし、ぺちゃくちゃと喋りながら手を動かす御婦人方の作品と、黙々と手を動かす土方の作品と……、どちらが集中しているか一目瞭然であるのに、何故彼のテディベアはあんなにカワイソウなことになっているのだろう?
いや、原型を留めていないという意味ではない。寧ろ形は九割九分九厘完璧だ。だって九割九分九厘先生に作ってもらっていたのだから。
その代わり彼が自分で作った残りの一厘分については、言葉では言い表せない……敢えて言うなら溶けかけのナメクジのようになっている。
そもそもあんなに簡単な並み縫いを、一体どうしたら『なんか疱瘡の痕みたいなでこぼこ』に昇華出来るのか不思議だ。

「沖田君……」

「なんでさァ」

「あの子何? あーゆー子だったの?」

「あー、アノヤローは大抵のことは初めてでも人並み以上にこなせますがねィ、手芸(これ)だけは相性が悪かったみてェで」

ちょうどいい弄りネタが出来たんで近藤さん言いくるめて習わせやした、と悪びれもなく言い放つのだから大した青年だ。
そんな手前勝手な理由で、有能な鬼の副長に非番を出して上からお咎めはないのだろうか。

(……ないんだろーなぁ)

多串くんも大変だなー、と。どこまでも他人事の感想を抱く銀時は、暫くクールな顔して不器用過ぎる彼を沖田とともに馬鹿にしつつ生暖かい目線で見守ることに決めた。
すると、突然バタンッという音が鳴り響いて、ちょうど自分達が覗いているドアの向かい側にあるドアが、威勢よく開かれた。

「ちょっと初日から遅刻とはいい度胸ね、谷さん!」

「あ? 京からの定期船が遅れてやがったんだぜェ? 俺ァ関係ねェよ」

講師の叱咤に、傲慢な口調で堂々とそう言い放った派手な着流しを身に纏う隻眼の男は、いたく銀時の記憶を刺激した。
どこかで見たことがあると首を傾げる前に、反射的に隣で共に覗きをしていた沖田の目を塞いでいた。

(た、た、た、高杉ィィィィィ!?)

何故ならそこにいたのは、凶悪攘夷志士である指名手配犯の高杉晋助であったのだから。

(何でお前ここにいんの!? つーか何で手芸習いに来てんの!? 馬鹿なのお前馬鹿なのォォォ!?)

もがもがと目隠しをされた沖田が、その手を外そうともがくのも気にせず、土方が手芸を習いに来たと知った時よりも遥かに盛大に銀時は――内心で――絶叫した。
確かに幼少の…共に松陽の元で勉学に励んでいた頃の高杉は、チビのくせに偉そうで負けず嫌いで意地っ張りな、だけどどこか抜けてるお馬鹿な晋ちゃんであった。
だが攘夷戦争に参加し、隊を指揮する立場になった頃くらいから、彼はクールを気取ったのか何なのか、いやに達観した笑いを見せるようになった。
そして紅桜の際に再会した時、狂気に身を沈めた高杉を見て、もうあのからかいがいのある盟友の晋ちゃんはどこにもいないのだと悟った。悟っていたのに。

(いたよ晋ちゃん! 普通に健在だったよ晋ちゃん!)

パニック寸前の脳内は、とりあえず条件反射で突っ込みを入れた。

(いや、いやいや待て待て冷静になれ俺、もしかしたらテロの下見とか見張りとか何やらで潜入してるだけかも知れねェじゃん!)

それでもやっぱり認めがたくて、苦し紛れに導き出した銀時の希望的観測は、しかし意外と、有り得ないと言いきれるものでもないと思えた。
もしかしたら本当にただのテロの準備に来ているのかも知れない。苛立たしげな風体は万斉辺りに無理矢理言いくるめられたからかも知れない。人生は暴走する車を運転するがごとしだ。かも知れない運転を心がけるべきなのだ。例え現在の高杉の格好が、手芸センターの椅子にきちんと腰かけてテディベアを作っている姿であっても、かも知れないと自分に言い聞かせて、銀時は心の安寧を保った。
視覚の暴力が土方も加え二人に増えたことに変わりはないが。




(ん? 土方? ……って駄目じゃん!)

そこまで考えて、銀時の脳はようやくこの状況の不味さを正しく認識した。
鬼の真選組副長と凶悪攘夷志士の二人が鉢合わせ状態なのだ。しかもどちらも『バイオレンスな』という形容詞がつく。
今はまだ互いの存在に気が付いていないようだが、気付けば終わり、穏やかな手芸センターが一転して凄惨な死闘場になる。それはやばい。
銀時が目隠しを解いてくれないから飽きたのか何なのか、がーがーと鼾を立てて昼寝を始めた沖田を一瞥し、――だけど念のため目は隠したままで――そっと様子を見守った。
と、言っている側から何故か高杉が、未だカワイソウなテディベア――らしき物――と格闘中の土方に歩み寄り出した。

(え、おまっ、なっ何やってんのォォォォ!?)

斬り合うならせめて外行け外! と言ってやりたい。だがそんなことをすれば、今自分が目を塞いでいる沖田にも高杉の存在がバレてしまい、もっと凄惨な死闘――バズーカとかだ――が繰り広げられるに違いないのだ。
結局どうしようもなくて、息を潜めて、成り行きを見守るしかない。

「おいアンタ」

「何だ?」

高杉がとうとう声をかけ、土方が器用に片眉だけ吊り上げて振り向く。
あああ、終わったグッバイ俺のバイト先、と銀時は頭を抱えた。




「この縫い方違ェ、ここはこうするんだ」

「え、そうなのか? あ、あぁ成程、アンタ上手いな」

「まぁ俺様に出来ねェ事ァねェからな」




(晋ちゃァァァァァァんんん!)


次いで訪れた、余りにも想像とかけ離れた光景に、銀時は――再び内心で――悲鳴を上げた。
一体誰が鬼の真選組副長と凶悪攘夷志士が談笑するこの光景を予想しただろうか。
現在、高杉の浮かべるニヤリとした笑みは、狂気に彩られるあれとはまた違ったモノだった。そしてそのテディベアを縫っていく驚異的な速さに感嘆の声を上げる土方は、瞳孔が開いているというより寧ろ瞳がキラキラ輝いている。
てか何で晋ちゃんそんなに手芸上手なの!? という銀時のツッコミは最早今更だろう。

(いや、いやいや待て待て俺、もっかい冷静になれ俺)

それでもやっぱり、やっぱり認めがたくて、最後の足掻きと銀時はこの状況を推理する。
だって、どうやら本気で高杉だと気が付いていない土方は別としても、高杉の方は土方が攘夷派の不倶戴天の敵の実質的トップだと知っていて、だからこそ知らぬふりをして近付いたのではないかとも、まだ考えることが出来るのではないだろうか。
常人とは逸脱した嗜好を持つマヨラ星の王子様は、常人とは逸脱した思考を持っていてももう諦めよう。世界中の皆がマヨを好きだと信じてる時点であいつは馬鹿だと銀時は思っている。
というか、あれだけ特徴的な格好を視認して、それでも高杉だと気付かないだなど馬鹿以外に有り得ない。早く眼科もしくは頭の病院に行った方がいいと思う。
そうだ、ツッコミ要員ではあるが一応ギャグパートもこなす土方はともかく、高杉は完全なるシリアス要員だ。間違ってもボケをかますわけがない。
だが、再び訪れかけた心の安寧は、続いた高杉の言葉に不吉な影を宿した。

「あ、そうだ、アンタ名前は?」

「土方だ、土方十四郎。アンタは?」

「谷だ」

「谷……だけか?」

「あぁ、偽名だからな」

「ふぅん、面白ェ奴だなお前」


(あ、れ…? 普通土方が真選組だって知っていて近付いたんなら名前訊かねェよ…な?)

ものすごーく嫌な予感がした。

(偽名だってカミングアウトしねェはずだよな?)

偽名という所に引っ掛かりを覚えない土方にも、何故だか疑われもしていないのに平然と偽名だとバラす高杉にも、突っ込めない程に嫌な予感がした。

(…まさか……あいつ…気付いて…ないん…じゃ……?)

「面白ェかぁ? お前ェの方が面白ろそうだしその上美人じゃねェか。……あぁ、うん、よし気に入った、嫁に来い十四郎。一緒にこの腐った世界をぶっ壊そう」

「晋ちゃァァァァァァんんんん!」

やっぱり気が付いてなかったお馬鹿な晋ちゃんに耐えきれず、とうとう沖田を放り出して銀時は盛大にツッコミを入れた。

「万事屋!?」

「銀時?」

何でお前がここに? というような二人の問い掛けは無視だ。そもそもそれを言うなら、何で真選組副長と指名手配犯がここに?だ。
最早『晋ちゃん』が生きていた事に喜べばいいのか悲しめばいいのか分からない。真選組唯一の常識人と称される土方さえも所詮この程度だったことに同情すればいいのか何なのか分からない。
取り敢えず貴重なツッコミがひとり消えたとだけは分かった。

「え? 谷って万事屋と知り合いなのか?」

「あぁ腐れ縁でな、十四郎も?」

「俺も腐れ縁だ。不本意極まりねェが」

「ククッ、違ェねェ」

とか何とか、共通の話題を見つけた事で急接近を見せる――本来水と油であるはずの――二人の天然を眺めて、銀時は明日にはこの手芸センターのバイトを辞める決意を固めた。
グッバイ俺のバイト代。金も何も要らないから、紅桜篇でのシリアス返せ動乱篇での俺の頑張り返せ、と怒鳴ってしまいそうなこの空間から直ちに脱却したかった。

(何で俺の周り馬鹿ばっか……?)

どうしようもない脱力感に見舞われて、思わず『類は友を呼ぶ』という諺が思い浮かんだが、直ぐにそれを打ち消した。
自分は『類』ではないと信じたかった。









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