カタリ、と僅かに鳴った音に、ただ、ふと顔を上げた。なんのことはない、隣の男が席を立つ音だ。
隣に座っていた真っ黒な男は、世間では鬼とか大層な呼ばれ方をする苛烈な男で、その実ひどく繊細な男だった。
この男とこうして飲み屋で顔を合わせることは少なくない。きっと思考が似ているのだ。否、嗜好が、だろうか。どちらでもいい。
それでもこの男の雰囲気は、自分のそれではなく、寧ろ自分がかつてほんのりと惹かれた彼(か)の男のそれに似ているのだから。

それはどこが、
真っ直ぐな黒髪が?
鋭い眼光が?
雪のような肌が?
精巧な造りの面が?
艶やかな唇が?
香る紫煙の匂いが?
細い首筋が、手首が、足首が?
忠犬のような従順さが?
たったひとりへのそれが?
狂犬のような従順さが?
それ以外を切り捨てる生き様が?
前だけ見据える姿勢が?
一匹狼な気質が?
なのに大勢を惹き付ける魂が?
その気高さが?
強さが、脆さが、情の深さが?

違うだろう。違うだろう。違うのだ。そんなものではないのだ。

ただ雰囲気が、纏う空気が似ているのだ、一緒なのだ、同じなのだ。

白状するならば、はじめこの男が気になったのはその容貌がどことなく彼に似ていたからで、次に生き方を知って、一歩間違えれば彼と同じ道を歩むのではと心配になって、あれこれ構っている内に『似ているから』ではなく、『この男だから』になっていた。
こういう生き様をする人間が好きなのかと問われれば、事実そうであるのだろうし、やはりこの男も人を惹き付ける人種だからなのだと言われれば、実際そうなのだろう。

「……何見てやがる」

「多串くんが好きだから」

「はぁ?」

「ナンチャッテ」

おどけて言えば、酔っ払いの戯言だと判断したのか「付き合ってられねェ」と呆れ混じりの溜め息を吐かれた。
もしここで、そのほっそりとした腕を掴まえて、真剣(マジ)なんですけどー、と本気で本音を本当に言ったらどうなるだろう。考えてみたところで、拒絶を恐れる臆病者に、実行できるワケがないのだけれど。

ただ雰囲気が、纏う空気が似ているのだ、一緒なのだ、同じなのだ。

まるで付き合いたての恋人がお互いの影響を受けるように、まるで長年連れ添った夫婦が同じ空気を纏うように、まるで……いや、これ以上の喩えを並べるのは無意味だろう。
なんにせよ、彼らは同じものを見れる人間だった。同じ方向を見るかどうかは別として。

「ずりぃな、ほんと」

「あ"ぁ!?」

「ぶっぶー、いまのはおおぐしくんにいったんじゃありませーん」

ずるいのは隻眼の彼の方だ。かつて自分の視線を根こそぎ奪っていた彼だ。
そしてようやく折り合いがついて視線を返してくれたと思えば、今は、次に自分の視線奪っていった男の視線を奪っている。
本当に何なのだ、あれは。

「もうなんにもねェっつーのぉ」

カエシテクダサイ、なんて、どちらに詰め寄った言葉だとしても。
カエシテクダサイ、なんて、どちらも無自覚で無意識で奪ったつもりも奪うつもりもなかったのだから。

ただ、彼がこの男の視線を奪ったことについては、彼の有意識によるものだろうから、いや、それでもやっぱり、それだからこそ、カエシテクダサイなんて言えるわけがなかった。





(翻弄される観客は役者の意識にもかすらない)




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -