ここは京にある鬼兵隊のアジトだ。と、万斉は思った。泣く子も黙るどころか斬り捨てて黙らせる、あの過激派攘夷組織、鬼兵隊の。
だから、今ここで大の男の涙声が響いているのは、何だかおかしいのではないかと、今更ながらに考えてしまうのだ。


ドンガラガッシャーン、と派手に転んだ音が聞こえてきて、次いで泣きの入った男の悲鳴が上がった。

「土方に嫌われるゥゥゥ!」

もう勝手にすればいい。万斉はそう思った。

鬼兵隊の頭である高杉が、真選組の土方に入れ込んでいることは、既に隊内で有名な事実である。張本人――勿論土方ではない方の――がところ構わず惚気るものだから、側近の幹部から末端の雑魚まで、一応『鬼兵隊』に属している者なら、少なくとも両手では足りない回数の土方談義を聴かされている。迷惑この上ない。
高杉が土方に一目惚れしてから紆余曲折を経てお付き合いに漕ぎ着けるまでの間に、何をどう間違ったか知らないが、黒い獣がピンクの蝶々に進化したらしい、とは鬼兵隊で専らの噂だ。

しかし、ふたりがまだ付き合う前、高杉の命令で土方を護衛――という名目のストーカー――をやらされていた頃よりは随分ましな状態なのかもしれない。局長とベタベタし過ぎだとか、坂田銀時と仲良過ぎだとか、土方関係においてとにかく心が狭い男のそういった不満が、土方本人にぶつけられるようになったのだから。
大きな事件があった日には、未だに護衛――という名目の以下略――を、寧ろ僕らが事件を起こす方なんじゃなかったんですかと思いつつ命じられることも多々あるが、回数自体はかなり減った。
最近では、土方の隠し撮り写真を朝から晩までうっとり眺め、時折頬を染めながら気持ち悪い思いだし笑いをする高杉を、生暖かく見守ってやろうということで隊の意見は一致している。もし土方と別れるような事態になれば、こいつ自殺するんじゃね? と悟ったのだ。

何はさておき、今はそんな苦労ばかりの思い出話に浸っている暇はない。
なんだかご機嫌斜めらしい馬鹿を宥めすかすことが先決だと、万斉は悪魔退治に赴く聖職者のような気分で、件の馬鹿のもとに向かう。放っておけば、ゆうに1週間、ぐずぐずと自室に引きこもられることは経験済だ。


「晋助、入るでござるよ」

部屋に辿り着いた先、荒れている高杉に返事を待っても無駄だと知っているので、そのままドアを開けた。

「これは……、今度はどうしたのでござるか」

「……体重だ」

部屋の惨状は、万斉が予想したよりもずっと穏やかなものだった。壁がへこみ、投げつけられたらしい電子体重計が粉々になっていることを除けば、被害はまったくない。
どうやら今回の八つ当たり対象は体重のようだと結論付ける。あくまでも原因が自分の身体にあるものだから、盛大に暴れまわることは流石に出来なかったのだろう。実はこの男、変なところで律儀である。

「土方に嫌われる……」

「おぬし何をしたでござる」

さめざめと泣き崩れる上司を目の前に、げんなりする思いで万斉は一応尋ねた。
このヘタレ、とは心の中だけに留めておく。

「土方に…腹ァ出たら抱かせてやらねェって、言われてたんだ」

「出たでござるか!?」

「出てねェ」

「はぁ!?」

「出たらどうしよう」

それだけ呟くと再び泣き伏した隻眼の男に、そろそろ本気で怒りがわいた。
なんだそれは。
現実に起こってもいないことに鬱っていたのかこのヘタレは。

「何故そんなことを急に…」

まさか気紛れに風呂上がりに体重計に乗ってみて打ちのめされたなどという乙女のような事情ではあるまい、と訊けば、鼻をすする音に混ざって、「最近あいつ苦労続きだったんだ」と返された。
あいつとは恐らく土方のことだろう。

「しかも大怪我で入院してよぉ。あいつ動かねェと太るんじゃなくて、筋肉が落ちて痩せるタイプでな、俺としちゃあもっと肉をつけた方が健康的だと思うんだが…」

嗚咽を交えながら始まってしまった土方談義に心底辟易した。
万斉としては、高杉が何にショックを受けたのか尋ねただけだったのに、どうしてこうなった。

「この前ヤったあとに、痩せたか? って訊いたら、4kgなって言われて……」

そこまで言って耐えきれなくなったのか、7センチィィィ! と泣きじゃくり出した上司を見て、あぁそこに繋がるのかと思った。
7センチとは土方との身長差だ。そして、もともと土方の体重は64kgだった。つまり今は60kgということになる。
ちなみに何故万斉が土方の身体情報を知っているのかというと、高杉に命じられた護衛以下略のおかげ……いや、せいである。

「む? そう言えば、おぬしの体重も…」

60kgではなかったか、と以前また子が言っていたことを思い出した。


「あぁ、それで落ち込んでいるのでござるか」

「…………」

何もかも理解したという風に溜め息を漏らせば、床に伏して子供のように足をばたつかせて泣いていた高杉が、恨ましげに顔を上げた。
身長差は埋まらず、体重が同じになったことが、前に土方に、恐らく戯れに言われた『腹出たら抱かせてやらねェ』発言と相まって、こうなったのだろう。まったくもって人騒がせな連中である。

高杉は決して太っているワケではない。寧ろ小柄で細身な方だろう。土方が痩せ過ぎているのだというのが万斉の見解だ。
それに、一時期体重が落ちたとしても、あの生真面目な男のことだ、すぐに元に戻してくるに違いない。

だから何も気にする必要はない。

そう万斉が伝えようとしたとき、突然高杉がガバッと勢いよく起き上がった。その形相に若干引きつつも、顔が涙と鼻水でキラキラ光っているのを認めて咄嗟に視線をそらす。
誰が好んで、自分の付き従っている男のヘタレな部分を見たいものか。そんな男を選んだのかと、今更離れられないからこそ、自分が可哀想になるではないか。
そんな万斉の態度を、どう勘違いしたのか、高杉は怒りと悲嘆を絶妙な匙加減でブレンドした表情で低く「……分かった」と唸った。嫌な予感しかしない。


「てめえらがそんなに言うならダイエットしてやらァァァ!」


あぁぁああぁあぁ! と喚きながら、止める隙もなく部屋を飛び出でいく高杉は、なんだか根本的に間違っている気がする。
彼の身体能力で、これ以上体重を落としたら、それこそガリガリになるのではないかと思うのだ。

「………まぁそのうち飽きるでござろう」

予想に希望を含ませて、万斉は上司が開け放していったドアを、生暖かい視線で見送った。




その後、土方と同じ食事を取れば痩せるハズだ、と明らかに間違ったマヨネーズダイエット――というか最早ただのコレステロールの過剰摂取――を続け、高杉が病院に運び込まれたのは、1か月後のことだった。




 ̄ ̄
なんか、ごめん。




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